4ー2 可愛いっていいな!
細身で小柄のミレには、王太子妃の為にと誂えていたドレスは裾の長さは当然として、身頃一つも合わなかった。
それは元より、犬種で言えば大型犬と小型犬ほど印象の差異がある二人が、それぞれのために作られた衣服など似合うはずもない。
年頃の少女特有の甘さや浮わつきが欠片もない、凛とした涼しげな外見の光にレースやフリルなどは似合わない。せめてもと、高価な生地をふんだんに使用して細やかな刺繍を施す。
仕上げに宝石を縫い込め、肩の荷を下ろしたのは祖父の代から続く王室お抱えの仕立て屋だ。
若い娘の衣装など、滅多に仕立てていなかったので(コルト、ドナウ両公爵家にも贔屓にしてもらっているが、両公爵家唯一の若い娘であるリリィーラ嬢がドレスを仕立てるのは年に二度、婚約者と自身の誕生日だけだ。他の夜会へは騎士服の礼装で現れる)随分と苦心したという。
コルト公爵家の衣装部屋に用意されていたものは全て光へと贈られた。不要なら金にでも変えろ、というのが王太子と公爵の言葉だが、公爵家が仕立てさせた王室の印が入ったドレスを一体どこの誰が引き取ってくれるというのか。
そんな品扱えないと血相変えるか偽物と判断されるか、はたまた盗品だと有らぬ疑いを掛けられるか。
結局は箪笥の肥やしにする他ない。モールにとっては価値のあるらしい(他の人間からすれば「がらくた」だ)資料部屋の半分をドレスが占領している様は異様であった。
困ったことがあれば、これは先生が処分してくださいと伝えたが、今この瞬間にも困っていると返答された。勝手に処分すれば良いのにと思うが、国に飼われている身としてはそんな行為は許されないのだろう。
国になぞ仕えるもんじゃありませんよ、利用するもんです。と。
光は至極真っ当な事を言ったとばかりに鼻を鳴らしてみせたが、モールはがっくりと肩を落として他所でそのような事を口にしてくれるなと懇願したのであった。
そのようなやり取りの翌日。光はにまにまとだらしのない表情で、ミレがくるりと回って微笑むのを眺めていた。
鮮やかな新緑のドレスは裾に向かうにつれ色を濃くし、ふんだんにあしらわれたレースが少女の甘さを強調する。
「いかがでしょう」
「良い!とっても可愛い!!」
一月ほど前に青い顔をしながら光の寸法をしていた仕立て屋の主人は、光がこんな顔をしていただろうか、と首を傾げるほどに柔らかに表情を変えてその意見に同意した。
「ミレ様はどのようなお色でもお似合いになりますから、私も様々な型を用意させて頂きました」
「派手な色が似合わない地味なわたしのドレスを作るのは、さぞや大変なお仕事でしたでしょうねぇ」
「え、いえいえいえ滅相もない!」
光の言葉に一度は頷きかけた主人は、大慌てで首を横に振った。
「カリイ様はお年に似合わぬ風格がございますから、普通のお嬢様にと用意するようなものでは霞んでしまいますし、いえだからと申しましてミレ様がお若すぎるという訳ではその」
こちらを立てればこちらが立たぬ。片や王太子の婚約者、片や公爵家縁の少女。どちらを立てるべきか。
しどろもどろの主人の様に光はにんまりと笑んだ。
祖父と変わらぬほどの主人を苛め罪悪感がないかと問われれば、無いと答えるのが光だ。年上を困らせるのが(いたぶるとも言う)趣味とも言える光の言い分は、年上がおろおろしてるのってなんか可愛いじゃない、だ。とんでもなく質が悪い。
「大丈夫ですよ。わたしは自分の分というものを弁えています」
「カカカカリイ様!」
努めて冷ややかに見える笑みを浮かべてそう答えてやれば、主人は今にも泣き出さんばかりに顔を歪めた。
「お姉様!意地悪はおよしなさいませ」
「だって、ご主人すごく……素直で!」
くはは、と腹を抱えて笑い出す光の様子に嘆息し、ミレは気の毒そうに眉を寄せて主人の腕を叩いた。
「お姉様のことはお気になさらないで?ねえご主人。裾をもう少し膨らませてはどうかしら?」
「ミレ様」
孫ほどの娘に遊ばれ、孫ほどの娘に救われる。
ミレの笑顔に、ええと頷くと下履き用のスカートを用意し、こちらをお召し頂けば、と笑顔で用意を始めた。
ミレが新しい生地に興味を示し、主人と楽しそうに会話をするのを数歩離れて笑顔で見守りながら、その目はふいと遠くを見る。
公爵家主人と同じく無駄に豪奢な窓枠。その先の中庭に、王宮に向かう無駄に美しい公爵と王太子付きの近衛騎士が見えた。
さて。
そろそろが頃合いか。
年頃の少女に酷く不似合いな笑みを浮かべて光はその場を去った。
「相談ってなに?モールが待ってるんだけど」
「まあまあ。どうせ先生の質問を聞き流しながら、先生の秘蔵品をこっそり懐に入れてるだけでしょう?」
「……なんで知ってるの」
「知らない方が良いこともあるんですよ?」
「聞かなかったことにしとくから、君も黙っておいて」
「もちろんです」
お互いににっこりと笑い合う。どす黒い空気を纏いながら。
ここ数日、モールの研究補助と称して屋敷に出入りしている魔女を光は自室へと連れ込んだ。
特に手入れされている訳でもなさそうだが、綺麗に整った眉を寄せた魔女は何事だと訝しむ。
まあまあと宥めながら厨房からくすねてきた菓子と茶を振るまい、ふう、と一息吐いた光はお願いがあるんですと口を開いた。
「魔女様の秘密をわたしは知ってしまいました」
「あ?ああ」
そういえば「婚約者殿にあなたが姉上だと話しました」と、弟がそんな事を言っていた。
国家機密とも言える自身の出生の秘密を、まさか弟が溢すとは思っていなかったが、この少女なら他に漏らすことはないだろう。
「リリィーラも知らないから、言っちゃ駄目だよ」
「分かってますよ。リリィーラさんは城内で育ったという割に素直で正直過ぎます」
ぽろりと言ってしまってから他人に指摘されて気付きそうだ。
「ああいうのが一番質が悪いんだ」
「何があっても、例え色仕掛けされたってリリィーラさんだけには言いませんから安心して下さい」
話が逸れましたね、と使い古された手帳を差し出す。それを魔女が手にする前に、光は秘密を吐き出した。
「わたしはこの世界の住人ではありません」
元の世界に帰る術を、一緒に探して頂けませんか、と。