3ー9 綺麗な花には
真っ赤なドレスに身を包んだミレは初めての夜会に胸を踊らせていた。
流石は貴族で最高の権力と財力を持つ公爵家の夜会だ。使用人たちが行っていた準備を見てはいたものの、ダンスの練習で何度か使ったホールはその時とは様変わりしている。
きらびやかな姿の招待客たち。婚約もしていない王太子も参加するとあって、姿が見える前から自己主張の激しい娘たちの合戦も繰り広げられていた。
どれだけ美しく整えようともその表面に浮き出た欲望はみっともなく汚ならしい。うんざりする、と心中でごちて表面は笑顔を保っていた。
ざわめきの中、一際大きなそこに知らず視線をやると、それは見知った顔であった。こちらに気付いて微笑んで歩いてくる。
そこら中の視線を全て引き連れて。出来れば来て欲しくなかったな、なんて口が割けても言えない。
「こんばんは、ミレ様」
「こ、こんばんはディラ様」
花のような微笑みにミレはその美人を呆然と見上げた。
艶やかな金の髪を結い上げ、そこには宝石も散りばめられているがただの添え物でしかない。普段手入れをしていない髪に手を入れただけでこれだけ輝くとは。
化粧は薄っすらとしか施されていないのに長い睫毛も薔薇のような頬も、この場に居る誰よりも美しく輝いていた。
柔らかい微笑みに彩られ、美の女神の化身のようだ。
ミレはうっとりと魔女を見上げて息を吐いた。
「ディラ様お綺麗です。女神のようですわ…いつもそうしていてくだされば良いのに」
「まあ、ありがとう。でも、私には似合いませんもの。こんなドレスでは薬草も弄れません」
口調も仕草も実に丁寧に、作られた笑顔も非の打ち所がない。
傾国の美女など絵物語かと思っていたが実在するなんて。
「どれだけ汚しても構わないから側に居て欲しいという殿方が大勢寄ってきましたでしょう?わたくしも財力さえあれば、ディラ様に着て頂きたい型のドレスがたくさんございますわぁ」
「ありがとう。とても嬉しいけれど辞退しますわ。おれの本性を知っているだろう?」
こっそりと落ちた声といたずらな笑みにミレは小さく息を吐いた。どんなに着飾ろうとこの人の本質は野山を駆け回る少年のように粗野なのであった。
その笑みすら魅力的だというのに残念な美人である。
「そろそろ公爵様もいらっしゃるのではないかしら。今のうちに飲み物でもいかがです?お父様も」
共に来ていた父の存在をすっかりと忘れていた。横を見れば唖然と絶世の美女に視線を奪われている父親。
ミレは慌てて互いの紹介をする。
「紹介が遅れました。ディラ様、わたくしの父、ファイナ・ジジェスでございます。お父様、こちらはディラ・ファウル様です」
「はじめましてジジェス伯爵。ご挨拶が遅くなりまして申し訳ございません。ディラでござます」
「ああ、これはこちらこそ。あまりにお美しいので声も出ませんでした」
「まあお上手ですこと」
ほほほ、と上品に笑んでいるが何一つ喜んでいないように見える。
美しい微笑みの裏にうすら寒いものを感じ、伯爵はぶるりと身を震わせた。綺麗な花には棘や毒が潜んでいるというが、これは特大のものが着いているに違いない。
「殿下とカリィお姉さまはいつ頃いらっしゃるかご存知ですか?」
「どうでしょう。主賓は最後に話題を浚うおつもりかしらねぇ」
娘たちの会話を聞きながら、伯爵は周囲の視線に肩を竦めた。親馬鹿だと思うが並ぶ娘たちは輝くほどに美しい。
金の美人に並ぶ娘はそれは多少見劣りするが、真っ赤なドレスに負けぬほどの存在感を溢れさせていた。王太子と公爵家の娘に出会い、娘はその華やかな世界に感化されたのか洗練されてきたように思える。
いつ、どこから声が掛かってもおかしくない。
そんな事はまだ先だと思っていたのに、末の娘が嫁に行く様を浮かべた伯爵はぐすりと鼻を鳴らした。
ざわりと空気が動いた。
「出てきたな」
皆の視線が一斉にそちらに行ったものだから、魔女はいつもの様子でにたりと笑ってミレに顎をしゃくって見せた。
ホールの入り口に現れたのは恐ろしいほどに似合いの婚約者たちだ。
いつもの冷ややかな美貌の男に寄り添うのは着飾った美しい人。普段の男装も美しいが、結い上げた髪も細く白いうなじも女性のそれでしかなく、彼女が持つ凛々しさは影を潜めている。
男の横でにっこりとたおやかに笑む様からは普段の近衛騎士団長という姿は想像もつかない。
「リリィーラ様…お美しいですわねぇ」
「そうだね」
何故だか憮然とした様子の魔女にミレは慌てて付け加えた。
「それでも!ディラ様には敵いませんわ!!」
「ありがとう」
リリィーラが自分より美しいと言われたようで不服だったのかと、ちょっと的外れな誉め言葉に魔女はくすりと笑う。自分の容姿に無頓着だと知っているくせに。
「ミレは可愛いねぇ」
「え?いやですわ、からかわないでくださいまし」
あなたのような美人に言われても、と続けて赤くなった頬を押さえる少女は本当に愛らしいと思うのだが。
うそだの、どなたなの!だのと唐突に上がった悲鳴じみた声に少女たちは顔を見合わせた。
「来たぞ」
「お姉さま…」
ミレは祈るように両手を握り込めた。
騒ぎの先には当然、いつものように食えない笑みを浮かべた王太子と、にこやかな表情の光。ぴったりと仲睦まじい恋人同士のように寄り添っている。
「まあ、お姉さまが笑ってます」
「仏頂面で出てくると思ってた?」
「はい」
素直でよろしい。
くつくつと笑んでいる魔女を気にも止めずにミレは二人を見守っていた。彼女が何の問題も起こさずに済ませるとは思っていないが、あの笑顔が酷く恐ろしい。
王太子が同伴した見慣れぬ少女は誰だ!と辺りは騒然となった。公爵二人と談笑している所に割り込めるほどの度胸も身分も彼らにない。誰かがその少女は誰かと問いに行かないか、と様子を窺っている。
「伯爵、お嬢様をお借りしますね」
「ああ」
分かりましたと伯爵が頷く前に魔女はミレを連れて騒ぎの中心へと歩き出す。
こんなに目立つ人たちと一緒にいたくないのが本音だが、それは光とてそうだろう。
お姉さま一人にお辛い思いをさせてはいけないわ!とミレは小さく拳を握った。
「リリィーラ様、いつもの凛々しい姿も素敵ですが、今日のドレス姿は一段とお美しいです」
「ありがとう。カリィもとっても可愛いよ。落ち着いた形なのにとても華やかに見える。闇夜の髪と瞳に映えて、とっても魅力的だ」
「あ、ありがとうございます」
歯が浮くような言葉に流石の光も頬を赤らめ視線を落とした。公爵はうんざりとしたようにリリィーラを見下ろす。
「お前はどこのタラシだ」
「本当の事を言っただけです。こちらの殿方たちからは、ドレスの感想すら聞かせて頂けないでしょうから」
この朴念仁どもが、と大概に言われているようだが、王太子は肩を竦めるだけ、公爵に至っては眉一つ動かさずに言う事などなにもないと無表情を貫いている。
全く、こんな男たちに想いを寄せるそこらの乙女たちの気が知れない。
「ごきげんよう、コルト公爵閣下」
「お招き、ありがとうございます公爵様」
「これはこれはディラ殿、ミレ嬢。今宵はまた華やかですね」
「このロリコン野郎」
自分とリリィーラへの態度とは大違いだ。やはり美少女好きらしい公爵に対して日本語で悪態をつく。
「何か言ったか?」
「魔女様の美しさに驚いて、声も出ないと申しました。ミレもとっても華やかで愛らしいわ」
「お姉さまも本当に素敵です!」
きゃあきゃあとはしゃぐ乙女たちを横目に男二人は顔を見合わせた。いい具合に皆がこちらに注目しており、このような場で異性を寄せ付けない王太子が側に置いている少女たちへの関心が、いやが上にも高まっている。
そろそろか。
「ああ!先生!」
華やかな様子を遠巻きに見ていたモールが光に呼ばれ、びくりと豊かな腹の肉を揺らした。
呼ばれたからには仕方がない。目立つのは好きではないが、彼女の保護者である以上、側に行かなくては。
「先生、ミレとは初めてでしたよね?」
「あ、ああ」
いつも溌剌と喋る娘であるが、今日はどうしたことか周りの野次馬どもに聞かせるように声を張っている。はて。
「彼女はミレ・ジジェス。ジジェス伯爵の娘さんで」
大きく息を吸う。
この日のために、散々我慢をしてきたのだ。さあ、今だ!
「王太子殿下の婚約者候補のお嬢様です」
ホールが水を打ったように静まり返る中、 光は一人にたりと悪い笑みを浮かべた。