3ー6 犬と猿
ターンの度に足を縺れさせていたのが嘘のように優雅に足を運ぶ。忙しい合間を縫ってまで侍女長が続けていた指導も実を結んできたらしい。すっと伸びた姿勢に視線を揺らす事もない。
光の姿にミレは満足そうに頷いた。
「完璧ですお姉様!」
「えへへ。ミレのお陰だよ」
褒められた光はへらりと笑ってミレの手を取った。顔を見合わせて笑い合う。
「そろそろ練習のお相手が必要ですわね」
「ええーーっ?!やだよー」
「本番で殿下の足を踏むおつもりですの?」
「高い踵で思いきり!」
「お姉さま…」
冗談冗談と笑うが、この人ならやりかねない。
自分の身長が光より高ければ相手役も出来たろうが、残念ながら踵の高い靴を履いても彼女の視線に届かない。
さて、時間を裂いてダンスの練習に付き合ってくれる男性の知り合いなど、ここに居ただろうか。
父親が城に出入り出来るようになったのはミレが(大きくしたのは王太子と光だが)起こした一件からだ。それまでのミレの世界とは、お世辞にも広いとは言えない領地と城下の屋敷くらいである。城に呼ばれる事もなければ、城内に近しい者も居ない。
一番に思い浮かぶのは美貌の公爵だが、王太子よりも忙しい人が付き合ってくれるとは思えない。
「ああそうだわ!ルッカ様はお付き合い頂けないかしら」
公爵の従者、ルッカ・エジンは公爵とは対称的に穏和で優しげな雰囲気の男だ。爵位としては最下位、田舎男爵家の長男だが公爵の目に止まり召し上げられたという。
絶えず笑顔を浮かべるその人は冷ややかな公爵の横にあって、更にその笑顔を魅力的に見せる。一部からは冬と春と呼ばれているらしい。
その姿を思い浮かべながら光はこっそりと嘆息した。
「ルッカさんは物凄く忙しいよ?きっと無理」
この屋敷で最も働いているのは公爵だが、それに劣らぬ仕事量をこなしているのがルッカだ。公爵の補佐作業は勿論、屋敷のことも公爵から一任されているため、奉公人たちはルッカを頼ってくる。
言えば喜んで時間を割いてくれるだろうが、にこにことしている裏で寝る間も惜しんで働いているのを光は知っていた。無理はして欲しくない。
「ルッカ様が無理でしたらわたくしはお手上げですわ。父をこちらに呼び寄せる訳にもいきませんし」
「王太子呼ぶ?」
「なりません」
一番暇そうな人間を上げてみたのだが、可愛い眼差しで睨まれた。
それならやっぱりダンスなんてしなくていいじゃないか。と光が口にしようとしたところに近衛第二隊隊長が現れた。
非番なので光の練習を見に来たと、なんとも平和でお暇なことだ。
ミレとは初見であったために簡単な挨拶をし、お休みなのでしたらダンスのお相手はお願い出来ませんかとすがりついてみる。
「ダンスねぇ」
勿論出来るが、とマクは困ったように頭を掻いた。
「俺はこの図体だし、初心者の相手には向かないよ。初心者ならウォークに任せるのが一番。あれはどんなお相手でも花に化けさせる天才だ。頼んでこよう」
「え、嫌!嫌です!!」
マクの提案に光はぶんぶんと首を振った。
あんな男相手にダンスだなんて冗談じゃない。
「是非!隊長お相手お願いします!!」
「えー?俺、歩幅が広いから振り回しちゃうかもよ?相手に合わせると足がこんがらがって転びそうになるし」
「そこをなんとか!」
仕方ないなぁ、と苦笑する。
本当に上手くないからね、と光の手を取ると部屋の中央へと進んだ。
「ちょっとだけ合わせてみよう。歩幅大きかったら言って」
「はい」
見上げると首が痛くなるので視線は厚い胸元。軽く握られた右手を置く手はごつごつと固く大きい。腰に回された腕もがっしりと太く力強い。
なんて男臭い体だろうか。
これで無精髭が似合う顔だったら光の好みど真ん中だったのだが、マクは笑顔が似合う好青年だ。もっとこう、独特の色気が漂うような雰囲気だったら。
勝手に残念がっていると、ミレがリズムを取る為に手を打ち鳴らし始めた。
「いくよ」
「はい」
手を引かれる方向にと身を任せて足を運ぶ。ああ、確かに一歩が大きい。
優雅とは言い難い必死さで足を大きく開いた。ドレスに包まれているお陰でそんな必死さなど表からは分からないだろう。これが水面下の白鳥ってやつだなと感想を抱いている場合ではなかった。
「う、わっ」
「大丈夫?」
「ええ、はい。すみません…」
戻るにもやはり歩幅が大きすぎて体制を崩してしまい、マクの腕に抱き止められた。
「やっぱり初心者相手に向かないなぁ」
たった数歩で光を転倒させてしまったマクが申し訳なさそうに笑う。ミレも肩を竦めてマク様と声を掛けた。
「もう少し歩幅は合わせられませんか?」
「やってみるけど、一緒に倒れたらごめんね」
その時は俺を下敷きにするんだよ、と言われて光は不安げにマクを見上げた。この体躯ならば下敷きにしても平気だろうが、年頃の乙女としては恋人でもない相手とそこまでの密着はお断りしたい。
「初心者にマクの相手は務まらんだろうよ」
「ウォーク」
いつから見ていたのか。扉の横で鼻を鳴らして笑う公爵に、光は頬をひきつらせた。
「そう言うならお前が相手してやってくれよ」
「私が?」
これの?と続きそうな声音に光が睨んでやるが、公爵は相変わらず小馬鹿にしたような冷めた視線である。
「わたくしからもお願いいたします公爵様!お姉様の成果を無駄にしない為にも、皆様の為にも!!」
きらきらとした素直な眼差しに公爵は視線を柔らかくした。
美少女好きのロリコンかこいつは。わたしへの態度とは雲泥の差だなぁおい。
「いいよミレ。公爵様はお忙しいから、優しい隊長にお願いする」
「そこまで言うならば付き合ってやらんこともない」
「わたしの話聞いてます?」
「ミレ嬢の頼みだ」
「聞け!嫌だっつてんの!あからさまでしょうが!暇か!!」
「生憎、私の予定は詰まっている。お前の相手をしている余裕は微塵もない」
「なら今すぐ仕事に戻れ!!」
「貴重な時間をお前に、ではなくミレ嬢と殿下の為に使うのだ」
四の五の言わず手を出せ、と体を寄せられた。マクの優しい手から凍りつくような白い手への変化に思いきり眉をしかめる。
こんなことならルッカに頼んでしまえば良かった。
「型は覚えているのだろうな」
「勿論。記憶力だけが取り柄ですから、どんな曲にでも合わせてみせますよ」
「では、基本の型を」
ふっ、と額に落ちてくる息。
マクとは比べ物にならない細身だが、腰に回されたのはしっかりと男の腕だ。ああ何故、苦手な男とダンスなどせねばならないのか。
視線を上げると、こちらを見下ろす青とかち合う。それは思ったより冷ややかではなく、こちらを挑発するような色が浮かんでいた。うっわぁ、睫毛長っ!と頬をひきつらせる。歯の矯正なんて技術はこちらにはないのに綺麗に並んだ歯は生まれ持った物。唇の端に至るまで歪みなどない。間近で確認しても何の欠点も見付からなかった。
ここまでくると腹立たしい。
眉根を寄せた光に公爵はふっと笑みを落とした。
「いくぞ」
先程と同じくミレの手拍子に合わせて足を踏み出す。
手を引く腕も、腰に回ったそれも決して強引ではないのに、こちらの意など欠片もないように男のステップに合わせていた。
右に踏み出し、左を前に出す。タンタン、タンタンと緩やかな音に合わせて足を踏み、公爵の腕の中でくるりと回った。
「ムカつく」
「何?」
「いいえなにも」
上級者になれたような気分だなんて、死んでも言いたくなかった。