3ー5 お相手は
公爵家は王宮の中枢近くに居を与えられている。
王太子に目通りするにも補佐官という立場から特別な許可など要らず、王宮に勤める者で補佐官の冷徹な美貌を知らぬ者は居ない。
王太子の執務室を守る近衛たちは身を引いて公爵を出迎えた。
だが、その背後に顔を引きつらせた見慣れぬ人間を認め、近衛騎士は公爵殿、と声を上げる。
「本日、殿下への謁見予定はございませんが」
そちらは、と声を掛けたのは王太子護衛のマクだ。慣れた幼馴染みが相手だが、部下の目もある。流石に畏まった態度の男に苦笑しながら公爵は答えた。
「こちらはジジェス伯爵殿。先日の一件で殿下にお礼申し上げたいとのことでお連れした」
王太子と光の奇行をげらげらと笑いながら聞いていた彼は、笑みを浮かべながら了承と頷いた。
何故自分はその場に居なかったのか、と強く後悔していたようだが、お前が後悔するのはそんなことではない。護衛対象である王太子が一人で城下に行ったことだ。職務怠慢もいいところだ。
扉を叩くと入れ、と声が返ってくる。
真面目に執務机に着いた王太子という珍しい姿に片眉を上げつつ、公爵はゆったりと頭を垂れた。
「先日殿下がお救いした令嬢の父、ジジェス伯爵をお連れしました。執務中に申し訳ございません」
ぴくりと右頬だけを持ち上げた王太子は勿体ぶるようにゆっくりと筆を置いた。
「ああ。茶を入れさせよう」
扉横に控えていたマクが視線だけで部下に指示をすると、自身も部屋を出ようと身を引くが公爵がそれを止める。
「お前もいてくれ」
「はっ」
程無くして現れた女官が茶の用意を終わらせると、それまで公爵と明日の公務を確認していた王太子は、身を小さくしていた伯爵の発言を促した。
「ファイナ・ジジェスでございます。先日は娘たちをお救い頂き、また、その後も何かとお気遣い頂きありがとうございます」
「よい。こちらも勝手をしたからな。宰相殿からはそちらに詫びが行ったかと思うが、気にせず受け取っておけ」
「はい。勿体ないことでございますが、ありがたく頂戴致します」
城下での一件は、例の侯爵が身内である宰相へと直ぐ様報告された。頭の痛い思いをしていた宰相はこれ幸いとばかりに侯爵への厳罰を行い、侯爵が囲っていた、行儀見習いとは名ばかりの少女たちを親元へと返した。勿論、口止めとばかりに侯爵が所有していた宝石や仕立てたドレスを持たせて。
その一部がジジェス家にも届けられていた。
「それで?」
一口だけ茶をすすった王太子がじっと公爵を見据える。貴族の中では腑抜けだの能無しだのと王太子を揶揄する者も居るが、それは大きな間違いであると公爵は知っている。
「わざわざ俺に会わせようと連れてきたのには何の裏があるのだ」
ただただ、政治家としてならば自分が有能だと公爵は自負していた。
隙有らば王位継承を押し付けようとする王太子だが、人の上に立つ魅力というものは彼に敵わない。深い金の双眸も、裏表の無い清んだ心根も人を惹き付ける。
「銀山の彼らと、伯爵夫人が接触したそうです」
「詳しく話せ」
先ほど聞かされた事をそのままに伝えると、王太子は眉間に深く皺を刻んだ。
「早急に、夫人と会いたい」
「それが…妻は昨日、港に買い付けに出たばかりでございます。明日には船に乗る予定でございます。呼び戻しても十日は掛かるかと」
まさか直ぐ様王太子に目通り出来るなどとは思っておらず、夫人は予定通りに買い付けに出掛けた。
末の娘が偶々取り付けた王太子との縁。王太子本人と会うのは無理だろうが、共に居た娘は公爵家にも縁があるようだったと娘は言う。ならばその娘と何とか会えないだろうか。身分は知れぬが、王太子が婚約者だと言うにどこかの令嬢だろう。
王宮に勤める友人に声を掛けてみれば、公爵家に行儀見習いらしい若い娘が居るらしい。情報通である友人でも見掛けぬ令嬢だが、公爵家侍女長自ら娘の教育に努めている。
きっとその娘だという確信と共に伯爵は公爵家へと乗り込んだ。
公爵に会えなくとも、その娘に会えば何時かは王太子に辿り着けないだろうかと期待を込めて。
まさか、その日のうちに王太子にまで辿り着くとは。
自身の近衛騎士を伯爵夫人追走へ向かわせる。夫人が戻り次第夫婦で登城するようにと言い付け、王太子は伯爵を下がらせた。
青い顔をした父親が大急ぎでミレを連れ帰って直ぐ、王太子がいつもの調子で現れた。
「残念でしたね。もう少し早くお越しになればミレに会えたのに」
茶と菓子を出しながら言うと王太子は小さく首を傾げた。美少女の姿を拝み損ねたというのに、何を残念がるのかと理解出来ないようだ。
そんなんだから恋人の一人も出来ないんだよ。
日本語でこっそりとごちる。王太子に促され、嫌々ながら彼の前に腰を下ろした。
「近々、公爵家主催の夜会があるのは知っているか」
「それは勿論。皆さん毎日大忙しですからねぇ」
公爵の誕生を祝う夜会だという。
光が通っていた高校の体育館が三つは入りそうな公爵家ホールに、何百という招待客が押し寄せる。屋敷の者は皆その準備に追われ、普段は澄ました表情の侍女長すら光に構う暇もなく侍女たちに指示を出し続けていた。
「そこでお前を婚約者として披露する」
「ぶはぁあっ?!」
茶を口にしていなくて良かった。
全くもって理解不能な王太子の言葉に、光はがくがくと顎を鳴らした。声を無くす、とはこのことだ。
「ミレ嬢にダンスの手解きを受けろ。衣装の用意はあるか?」
「既に十着は作らせてありますが、当日までに殿下の衣装に最も映えるものを用意致しましょう。ご用意されていますか?」
「ああ。黒に金の刺繍を入れるだの言っていたな。聞いてみてくれ」
「分かりました。後は侍女長に任せましょう。宝石はこちらで用意しても?」
「ドレスに合うものがあれば俺が用意しよう。母上の部屋に眠っているはずだ」
「勝手に持ち出すおつもりで」
「自分の娘になる者に飾るのだ。母上も、怒って俺の枕元に立つような真似はしまいよ」
「ちょいちょいちょーーーいっ!!!」
光本人を置き去りにして進められる会話に光は思わず声を上げた。お気に入りだった芸人のネタが思わず出た、なんてのは気付かれるはずもない。突っ込み不在!
「何言ってますか!誰が誰の婚約者で、誰を披露するですって?!」
「「お前が「俺」「殿下」の婚約者だ」」
「こういう時だけ仲良くハモるなぁああっ!!」
光の怒りに王太子は不服そうに首を捻り、公爵はくつりと低く笑んだ。