3-1 坊ちゃま
お久振りでございます。番外編より本編が書けたので、いい加減こちらを投下。
有難申し訳ないことに休んでいる間にお気に入り件数が増えて。。随分休んで申し訳ありませんでした!
「ミレを召し上げて欲しいです」
「ならん」
その何度目かも分からない即答にもめげず、光は美貌の補佐官に詰め寄った。
有り得ないことだが、見様によっては光が迫っているように見える。有り得ないことであるが。
「一度会ってみてくださいって!本当に気が強くて可愛くてですね」
「気が強いなど害にしかならん。王妃は慎ましく従順でなければ」
「え。待って。わたしのどこが従順だと…」
「それはいま調教しているだろうが」
「ちょ、調教て!わたし金遣い荒いんですよ!ドレスとか死ぬほど買いますよ!慎ましくなんかないっ」
にたり、と笑んだウォークに光は喚いたが、彼はそうかそうかと頷くだけ。
「衣装部屋に行くか。お前の寸法に合わせた服が山ほど用意してある」
宝石もいくらでも持っていけ、という補佐官の言葉に光は頭を抱えた。何故、いつの間に、と呪詛のように言葉を続ける。
「さ、最高級の物しか口にしません!」
「そうか。当然だな」
「うぁあああ!他に贅沢が思い付かない!」
「貧相な頭だな」
煩い!と叫んだ光の背後で、悲鳴が上がった。
振り返ると、小刻みに身体を震わせた侍女長が鬼の形相で光を睨み付けている。
しまった。熱くなり過ぎて物音に気付かなかった。
主に従順な侍女長が、彼の返答も待たず扉を開ける事はない。どれだけ待っても何も返してこない主の部屋から光の喚き声が聞こえてくれば、流石の侍女長も扉を開けてしまうだろう。
「坊ちゃまになんて態度です!」
案の定、主人への態度の悪さを指摘してきた。別に、わたしのご主人じゃないし、と口の中でもごもごとごちる。
「言いたい事があるのならはっきりとおっしゃいなさい!」
「何もございません」
しれっとした笑顔で答えた光は、しゃんと背を伸ばしてから身を引いた。更に小言を言おうと口を開いたカッセの名を呼んだウォークは、嘆息しながら懇願する。
「坊ちゃまは止めてくれ。それから、これの態度はまあ、いい。許してやれ」
「ですが坊ちゃま!」
「だからな…」
我関せずとすましているようだが、坊ちゃまと呼ばれるウォークを嘲笑うかのように唇の端をひくつかせている光。それを横目で見遣り、彼は深々と息を吐いた。
産まれる前から世話になっている侍女長には強く言えない。おっとりと浮世離れした滅多に会わない実母より、育ての母親とも言える彼女を前にしては冷徹な男も形無しだ。
「もういい。それより、何用か」
「お客様がおみえですが如何いたしますか」
「客?」
今日は休日だが来客の予定は無かったはずだ。そもそも、たまの休日を他人から邪魔されるのは嫌いである。家から出る事もしない。
休日に押しかけてくる気の利かない図々しい人間と言えば二人ほど思い当たるが、一方は先日の勝手な外出に対しくどくどと説教したせいか、暫くはお前の顔を見たくないと言っていたこともあり、彼ではないだろう。
となればもう一方か、と小さく息を吐いた。
「マクか」
だが、侍女長は首をふった。彼女が告げたのは想定外の人物。
「ジジェス伯爵様とご令嬢ミレ様でございます」
「ミレ!」
パァ、と輝くような笑顔で部屋を飛び出した光の背に、侍女長はカリイ!と名を呼んで制するが欲望に忠実な彼女が止まるはずもない。
馴染みの男たちより随分と面倒なものがやってきたと、ウォークは深々と息を吐いた。
光が、気が強く愛らしいのだと力説するように、一見しただけで少女の激しい気性が窺えた。意志の強い双眸はじっとこちらを見上げてくる。この年頃の娘としては可笑しな反応だ。うっとりとウォークの美貌に見惚れるのが普通の女性としての反応だが、この少女は親の仇でも見るような鋭い視線を送ってくる。その横で彼女の頭を撫でる光ほどではないが、面白い少女だ。
「まずは、突然の無礼をお詫び申し上げます」
そう言って腰を折った男、ジジェス伯爵にウォークはゆるりと笑みを向け構いませんよと声を掛けた。
何の約束もなしに公爵家に押し掛けてくるとは非常識にもほどがある。だが、公爵家に繋がりを持たない彼にはこれしか手段がなかったのだろう。
何度か顔を見た程度。王太子にお前の記憶力はおかしい、とさえ言わしめる彼であっても、紹介もされていない伯爵の顔と名までは一致しない。王太子からジジェス家での一件を任された彼は、当然ながら名前にしか覚えのない伯爵の身辺調査も行った。報告によれば既に嫁いだ娘も、孫もいるということだったが、甘く整った顔立ちの伯爵はとても四十代には見えない。どう見積もっても三十代だ。
「娘たちをお救い頂き、感謝致します」
「ありがとうございました」
ここでようやく娘が声を上げ、優雅に腰を折った。少女らしい高音の凛とした声は耳障りのよいもので、光はそれすら愛らしいとにやにやとしている。
「お嬢様方がご無事で何よりでした。こちらこそ、世間知らずの娘と殿下が迷惑お掛けしました」
「それはわたしのことか」
「何か申したか」
「いいえ」
にっこりと作り笑いをする光を視線だけで黙らせる。か弱い少女ならば悲鳴の一つも上げるような眼光の鋭さだが、光はふいと視線を反らせただけ。それどころか、令嬢の頭を撫で、今日は纏めてるんだねぇと、薄い桃色の後れ毛を弄んでいた。図太いにもほどがある。
「ミレは今日も可愛いねぇ」
「お褒め頂き光栄です御姉様」
「おね…!」
光は衝撃を受けた。はにかんだ笑顔でこちらを見上げてくる彼女。
「か、可愛い!」
堪らず、その細身の身体をがばりと抱き締めた。父親がひっ、と声を上げているが無視。美貌の人がおい、と声を掛けてきたのでちらりと一瞥する。
「何ですか。譲りませんよ」
「お前は…いい。ミレ嬢を連れて下がっていろ」
「はい」
侍女長の指導により少しは見れるようになってきたかと思っていた娘だが、相変わらず頭を抱えたくなるような態度だ。もう少しきつく躾けるべきか。
こんな時ばかり返事が良い光は、にっこりと笑んでから少女を連れて退室する。彼女は何か言いたそうにこちらに視線を寄越していたが、光が気付くはずもなく扉は閉められた。
「さて」
入室してすぐに勧めた長椅子に今度こそ座って頂こうか、と。ウォークが視線だけでそれを促すと、伯爵はおずおずと腰を下ろした。
「本来の御用件を伺おうか」
年齢はそれこそ親子ほど離れているが、れっきとした身分差というものがある。本当にあの娘の父親かと疑うほど気弱そうな伯爵は、はい、と小さく頷いた。
「何もない部屋ですが、まあゆっくりしてね」
「はぁ」
執務室の向かいにある空き部屋の一つを、光はこの屋敷での自室として与えられていた。鬼教官の不在にしか使用しないこの部屋は、主人の休憩用にと侍女長が誂えたらしいが、執務室に籠ったままのウォークには不要である。
簡素な寝台に長椅子が二組。目立った家具はそれくらいなものであった。
「元々、無駄美人の休憩室なんだって。わたしも寝泊まりしてる訳じゃないから、ほとんど使わないんだよね」
長椅子に腰を下ろした光はその横をミレに勧めた。
「無駄美人?」
初めて聞く造語にミレは眉根を寄せた。
「公爵さまのことですよ。ミレも思うでしょ?無駄に綺麗なくせに酷い性格」
「こ、公爵様にそのような口を…」
王太子への態度も酷かったが、隙の一つもなさそうな麗人に対してもこの物言い。この人は何者なのだろうか。
唖然としたまま彼女を見詰める。ごくごく普通の同年代の少女に見える。態度は大物だが、その立ち振舞いは貴族にすら見えなかった。きちんと躾られた幼児にも敵いそうにないほど破天荒に見える。
「それで?わたしに何の用なの?」
唐突に表情を変えた光に、少女は小さく息を飲んだ。自分より僅かに年を重ねただけであろう光の視線。年齢に見会わない威圧的とさえ感じられるそれに、ミレは一瞬だけ唇を噛み、意を決してお願いがございますと声をあげた。
「わたくしを貴女のお側に置いて下さいませ」
「え?」
きょとん、と。光は真ん丸に目を見開いた後に忙しなく睫毛を瞬かせた。