2−10 獲物が現れた!光は逃がすまいと必死だ!
「俺は宰相殿の言葉など信じていなかったのだぞ。貴方は奥方が居る身。神の教えに背くような事はするはずがない」
なあ、ミルコ。
にこりと笑んだ王太子に、伯爵は何の反応も出来なかった。
やる気がないだけかと思っていたが、この男、中々に意地が悪い。
光はうむ、と腕を組んでやり取りを眺めていた。
王太子だと知れてしまえば自分の出る幕などない。お忍びだと思ったからこそ、時代劇を真似てみたのだ。公爵家縁の者と知れれば無下に扱えまいと思ったのに。
出番を奪われた形になり、光はこっそりと肩を落とした。実は楽しんでいたらしい。
「あの…」
恐る恐る掛けられた声。すっかり忘れていた。
「はい。この事は御内密に!」
「え?」
きょとん、と首を傾げたのは姉妹の姉だった。妹は愛らしい顔を精一杯歪めているが、それすらも可愛らしい。
この数週間、出会う人間が美形ばかりで、自分がひどく惨めな容姿に思えてしまう。普通、自分が普通なのだと主張。彼らがちょっと、いやかなりおかしいのだ。ああ、モールの丸々とした癒し顔が恋しい。
「何故、バライ殿下がこのような所に居るのですか」
「わたしのストーキングをしてたから…」
「聞こえませんわ」
ぴしゃん、と言った美少女を光はまじまじと見下ろした。
自分の世界では人工的にしか有り得ない、薄い桃色の長い髪。小作りな顔に意志の強さが現れた大きな緑色。その顔の小ささは魔女と変わらぬほどで、芸能人顔負けだ。美女力は魔女に軍配が上がるが、気の強そうなところは甲乙付けがたい。
「そもそも、貴女は何者です」
自分よりいくつか年下に見える気の強い美少女。実際には同じ年齢なのだが、童顔に加え小柄で華奢な彼女は中学生にしか見えない。
頭は悪くなさそうだ。自分の素性をべらべらと話す訳にはいくまい。さて、どうはぐらかすか。
「それは俺の嫁だ」
「ばっ…」
馬鹿か!
光は悲鳴を上げた。そして、その場の視線を集める。
「よめ?!」
「そのような話、私は聞いておりませんが!」
「公表しておらんからな」
「どこの令嬢です?!」
「あー」
伯爵の追及を面倒そうに流しながら、視線だけでお前が説明しろと命令するが知ったことか。自分でいらぬ種を撒いたのだから自分で何とかしろ。
つん、と横を向いて無視してやるが、美少女に腕を引かれた。
「本当に貴女が正妃様に?」
「まさか。殿下の戯れ事に耳を傾けてはいけません。彼には妄想癖がありましてね」
「おい。妙な噂を植え付けるな」
「殿下は黙ってなさい!良いですか?伯爵や貴女もご存知ないような見た事もない平凡な娘、いえわたしなんですがね。そんなわたしが正妃になんて有り得る訳ないでしょう。早く身を固めろと言われ続け、面倒になった殿下は、若い娘全てが自分の嫁に見えるのです。ええ。全ては殿下の妄想です」
ご心配なく、と光が言い切る。美少女はぽかん、と光を見上げた。どこか誇らしげに見える風変わりな彼女の背後で王太子が呆れたように首を振っている。不敬として切り捨てられても仕方ない言いようだが、殿下はそれを咎める気はないらしい。
本当に、一体何者なのか。
「それよりもだ、ミルコ」
「は!」
がらりと声音を変えた王太子が伯爵を見下ろした。うっすらと笑みを浮かべてはいるが金の双眸は全く笑っていない。
「今後、お前の屋敷には行儀見習は入れぬ。侍女も五十以上でないと認めん」
「で、殿下…」
「後は書状にしてウォークに送らせる。異議は認めん」
顔どころか全身を蒼白にした伯爵に強い口調で言い付けた王太子は、光に向かって行くぞと声を掛けた。
「お待ち下さい」
凜とした美少女の声に王太子は初めて彼女を正面から見下ろした。すっと腰を落として最上の礼をする少女は、そのままの体勢でありがとうございましたと口にしたが心が篭っていない。義務と言わんばかりだ。
顔を上げた少女は、案の定笑顔すら作っていない。むすりと王太子を見上げてきた。
「ですが、頼んでおりませんわ!わたくし、自分で解決いたしましたのに!」
「ミレ!」
姉はさっと顔色を変えた。王太子相手に何て事をと、その小さな肩を後ろから掴んで引き寄せたが、妹の視線は鋭く王太子を刺したまま。
あの少女の不敬を許すのは自分の正妃だからであり、妹を同じように許すとは限らない。いや、許す訳がない。
だが、王太子の反応は信じられないものであった。
「くっ…はっ!」
「うわぁ。ツンデレキャラだっ」
妹の不敬に王太子は声を上げて笑い、光はきらきらと眼を輝かせた。
「俺の身分を知ってもその態度か。面白い」
にやりと笑む王太子。光は彼を押し退けて少女の手をぎゅっと握った。
「貴女王妃になりませんか?!いえ、なりましょう!!なるべきです!!」
光の双眸はきらきらなんて可愛らしいものではない。獲物を見付けた狩人のようにぎらついていた。ぎゅっと握った両手を離すものかと力を込める。
ミレは光と、その背後で苦笑する王太子を唖然見詰めた。