1−1 殴っても良いですか?
さらさらと揺れる銀に冷たい光が宿る碧の双眸。
少女は呆然と美人の男だぁ、と呟きそうになったが、次の瞬間にはその言葉を飲み込み表情を引き攣らせた。
「何だこの貧相な娘は。ドロー殿、これが貴方の秘蔵っ子だと?」
失礼極まりない男の発言に、少女はうわぁ、と声を上げた。
貧相とは何処を見て言っているのか?成長途中(希望)の胸の事か?それとも平凡な顔の事かっ!
ぎりりと睨めつけてみるが、冷ややかな視線は少女の身体を上から下へと滑って行く。胸元で殊更残念そうに眉が寄せられたのは気のせいではあるまい。
「悪かったな貧相で!殺意!本気で殺意!先生、何か尖ったものか鈍器的なものか紐状のものを!!」
「待て待て待て!何をする気だ!」
先生と呼ばれた男、モール・ドローは慌てて少女の腕を掴んだ。彼女は誰が相手だろうと、所望した凶器的な物で攻撃するだろう。それが次期宰相と呼ばれている男であろうと。
一般的な少女らしさは彼女には存在せず、それを求める事も無駄だと理解している。共に過ごした数ヶ月で理解せざる負えなかった。
孫ほどの年齢である彼女に振り回される様は実に滑稽だろうとごちる。
「カリイ、落ち着くのだ。コルト殿に無礼を働いてはならんと言っただろう」
「先に無礼を働いたのはあっちですよ!私悪くない!鈍器鈍器!」
この場に連れて来るには早過ぎたらしい。
暴れる少女を背後から羽交い締めにしたモールは、深々と息を吐いた。
美人の男、ウォーク・コルトは白々と少女を眺めた後にモールへと問い掛ける。
「異世界から来たというのは本当ですか」
「はい。確たる証拠と言われれば何も無いのですが、見たことのない材質で作られた衣服を身に纏い、突然目の前に現れた。聞いた事も無い言葉と文字を使う」
そこで言葉を止め、未だ暴れる少女に落ち着きなさいと声を掛けた。
「僅かな時で言葉を理解し、私が挑んでいた公式の矛盾点を指摘する賢さは恐ろしいものがありますが、他国からの間者にしては無防備過ぎるのです」
「ごく普通のジョシコーセーですから」
「何だそれは」
美人の問い掛けに少女はむっつりと頬を膨らませ、もう暴れませんから離して下さいと声を上げた。
モールが腕を離してやるとぐるぐると肩を回して解す。羽交い締めという初めて受ける行為は脱臼するかと思った。無駄に暴れたのは自分なので文句も言えないが。
「この世界には学校はあっても、金銭的余裕がある人間、しかも身分が高い人しか通えませんよね。私の国では九年間の義務教育期間があって、誰もが学校に通えます。ジョシコーセーとは、その義務教育を受けた後、更に教育を受ける女子のことです」
「教養を持った女だと言いたいのか?」
その行動でか、と問い掛けられているような錯覚を起こしつつ、引き攣る頬を押さえながら首を振った。
「半数ほどは、更に上の教育機関に行くので私は普通の女子ですよ」
普通、と続けた少女のどこが普通なのか説明して欲しい。モールは自然と寄ってしまう眉根を解しつつ、コルト殿と声を掛けた。
「カリイはこの世界にはない知識と教養を持っております。必ずこの国に利益をもたらしましょう」
「お国のため、とか柄じゃないので、国に仕えるとか辞退させて頂きたいんですがね」
むっつりとしたまま横を向いた少女を見据える。意思の強そうな双眸はばちりとした二重ながらも釣り上がり気味で、気が強そうな印象が強い。背中の中程で揃えられた黒髪は癖もなくさらさらと揺れていた。
一見すればごく普通の少女だ。だが、普通の少女が次期王位継承者の補佐官を前にして、このような態度を取れるものか。
「面白いな」
「…はい?」
怪訝にこちらを向く少女に笑んで見せると、彼女は音を立てて凍り付いた。王城の花と言われる容姿に何と失礼な。
「私の身の回りを世話させてやろう」
ぽっかりと開けた口に菓子でも放り込んでやろうか。ウォークが、執務机の引き出しから手頃の菓子を手にした所で覚醒したらしい少女が、ななな、と声を震わせる。
「断固拒否するっ!!」
扉の前に控えていた男が、抑え切れない声を漏らして肩を揺らしていた。