2−3 天使が現れた!光は悪巧みを覚えた!
鬼教官は日に日にその鬼っぷりを上げている。あれはもう鬼の域を超えた。神レベルだ。
そんな事を光はつらつらと考えながらウォークの屋敷からの長い帰路を歩いていた。公爵家の屋敷ともなると城の中枢近くにあり、城門近くにあるモールの屋敷とは随分と距離がある。
身体はぐったりと重いし、精神的疲労も限界に近い。背を丸めとぼとぼ歩きたいところだが、ここ数日叩き込まれた作法が身に付き始めたらしい。背は自然と伸びたままだし足運びも隙なく綺麗に見えた。
「このままではあいつらの思い通りになってしまう…!」
ああ嫌だ、と唸り声を上げた光はいくつか考えた策に思いを巡らした。
手っ取り早いのは身を隠す事だが、何をするにも資金が必要だ。小遣い程度は貰っているが使う所がないのでほんの僅かだし、勿論部屋を借りるだけの資金はない。
切羽詰まったらウォークの屋敷にある、やたら豪奢な装飾品の一つでもくすねてやろうとは思ってはいる。
「後は…」
誰にも迷惑を掛けず、我が身を護る方法がある。それには必要なものがあるのだが、と考え込む時の癖で足元に落ちていた視線を上げた。
そして、光は息を飲み、感嘆の声を上げた。
「うっわぁ…」
目の前に天使が居た。
雑誌で見るような外国人の女の子。ふわふわの柔らかな金髪に透き通るような白い肌。ばちりと大きな双眸は淡い藍色。簡素なワンピースから伸びる細い手足は高級なビスクドールのように煌めいている。
「うっはぁあ!」
「え?え?なに?!」
光は奇声を上げてわきわきと指を動かしながら天使に近付いた。
その奇行に眼を大きく見開いた天使がずりずりと後退る。何だこの子。怖い。眼が怖い。
後退るより早く光が天使の手を取った。ほっそりと長い指から一瞬にして血の気が引いていく。
「貴女、王妃になりませんか?!」
「……は?」
ぽかん、とした表情。愛らしい顔に似合わぬ低めの擦れた声が、夕闇に溶け込んでいった。
「いや〜本当可愛いですねぇ」
「いや、怖いから。離して」
目の前で怯える、いや怯えるというより欝陶しいと言わんばかりの天使に向かいへらへらと笑ってはいるが、握った手には力を込めた。離してなるものか。これは自分が解放されるために必要な人材なのだ。
「いやぁ〜貴女みたいな美少女が、王妃さまだなんて国民は大喜びですよ!」
「いやだから、王妃なんてなれないから。そんな身分じゃないの」
「いやいやいや!その小さく可憐なお顔!全身から滲み出る気品!まさに良家のお嬢様!」
わたしとは雲泥の差!と叫んだ少女をじっとりと見下ろしてから、天使はそっと息を吐いた。
「で?」
「で?」
問われ、光はきょとんと首を傾げた。
「おれを王妃に据えて、君に何の得があるの」
一体君は何者で何がしたいのか、澄んだ双眸がそう問い掛けてきて、光はごくりと喉を鳴らす。
自分をおれと呼ぶなんて、反抗期でちょっとツンな女の子。
これだけ綺麗な少女ならば蝶よ花よと大切に育てられ、のほほんとした世間知らずなのだろうと勝手に思い込んでいた。だが、その双眸からは自分のそれと似た強い意思を感じる。口先で思い通りに動かせるような部類ではない。
光は観念するとゆっくりと口を開いた。あの男どもの目論みを暴露するために。
「実は」
信じてもらえるとは思えない、異世界から来たという事実は綺麗に隠して。