2−2 宰相が現れた!だが、存在感がなかった!
その日補佐官の執務室に現れた王太子は、普段とは様子が違っていた。
まず、訪れる時間が早い。いつもならばお気に入りの少女が午後の休憩に茶を持って来るのを見計らって現れるというのに、今日は朝一番、ウォークが執務室の扉に手を伸ばした瞬間声を掛けてきた。
更には彼の後ろに控えるのは護衛で腐れ縁のマクではなく、しかめっつらをした宰相閣下。枯木のような老人は薄緑の双眸に強い光をのせて、じっとこちらを見上げている。
何事か、と整った眉を寄せた。
「今日の予定はどうなっている」
「午後から謁見の予定が二件入っております」
「午後か…」
「それまでに対策を立てましょう」
「対策とは」
執務室に入ると宰相がしっかりと扉を閉める。どかりとソファに腰を落とした王太子が深々と息を吐いた。
「父上が面倒な告白をした」
それはそれは嫌そうに吐かれた言葉にウォークは表情を凍らせる。
「おれに姉が居るらしい」
ここに宰相の姿が無ければ、暴言を吐いて頭を抱えていただろう。既にいくつも問題を抱えた現状で、そのうち一つも解決していないというのに更に大きな問題を抱える羽目になるとは。
「補佐官殿は魔女をご存知か?」
「魔女でございますか」
魔女とはまた何を言い出すのかと思いながらも宰相の言葉に小さく頷いた。
この世界にはかつて魔術師、魔女と呼ばれる者が居た。精霊や自然の力を借りて火や水を操ったと言われる彼らの力は随分前に失われている。
宮廷魔術師という地位を与えられたモールでさえ、蝋燭を点す火さえ操れないのが現在の魔術師たちだ。彼らのほとんどは魔術師や魔女の家系で、過去の遺物である魔術を研究・解明することを生業としている。
「二十年前までこの城に魔女は存在していた。噂くらいは聞いていないかな」
「魔女…ただの噂ではなかったのですか」
「紛れも無い事実だ。彼女は美しく聡明で、そして自然を操る強大な力を持っていた」
「そしてその魔女が父上の子を産んだ。その子供が女であろうが、争いの火種になるのは面倒だ」
あのくそ親父、と。この国で最も地位と権力を持つ国王に対し悪態を付いた王太子にウォークは問い掛けた。
「何故今更、そのような話しが出てきたのですか」
久々に感じるひどい頭痛の種類は覚えがある。これは面倒事が起こる前触れに違いないのだ。勘弁してくれ。
「魔女に娘が居ることが分かったのは昨夜だ。魔女を迎えに行ったが、魔女は既に他界しておりその娘が跡を継いだという。その娘とやらを連れて戻ると連絡が入った。
魔女はその娘を、城を出て直ぐに産んだ。それを知った父上は自分の娘に違いないと、死ぬ前に会いたいのだと言う。本当に迷惑な話だ」
美しく聡明な魔女と恋に落ちた国王。魔女は自分が身篭った事を知ると、身分や政治的な事を案じて自ら身を隠したのだろう。
「その娘は…どのような類の娘か、お二方はもうご存知なのですか」
「お前の婚約者殿が連行している。報告によると、とても成人しているようには見えない。十五、六に見える小生意気な小娘らしいぞ」
「リリィが…」
「補佐官様に婚約者?!」
リリィですって!と背後から上がった叫びに三人は一気に振り返った。朝の茶を用意してきたらしい侍女が顔を引き攣らせている。
「どんな物好きですか?!」
「黙れ」
この少女の反応ばかりは予測が付かない。王太子は楽しそうに笑っているが、宰相は見慣れない少女に警戒心を向けている。それを紛らわそうと宰相に大丈夫ですよと声を掛けた。
「これが先日お話した殿下の婚約者候補の娘です」
「何をおっしゃるか!」
宰相の言葉を遮って悪態を吐こうとする少女を視線だけで黙らせると、いつから聞いていたと問う。
「ノックしましたが返事が無かったので開けさせて頂きました。開けた瞬間、殿下がお前の婚約者が〜とおっしゃったのでそりゃもう驚きまして。
聞き間違いか、わたしが知らぬ似た発音の単語がまだあったのかと、五度は言葉を反芻しました」
ええ、耳がおかしくなったのかと思ったほどです、今でも信じられませんと続けた少女はうんうんと頷く。
ウォークはむっつりと口元を歪めた。自分の家柄ならば産まれる前から婚約者くらい居てもおかしくないのだが、この娘の反応はどういう意味であろうか。
「驚くほどのことではあるまい」
「いくら婚約だけとは言っても、補佐官様がお相手なんてどんな物好きかドMかのどちらかと」
「分かる言葉を使え」
「同じ意味がこちらには存在しないので」
語尾を上げてにこりと微笑む。どうせろくでもない言葉なのだろうが。
「嫁御」
「……」
王太子の呼び掛けに、誰の事でしょうと言わんばかりの素知らぬ顔を張り付ける。
全く強情な娘だ。
「カリイ」
「はい!何でございましょう!!」
ころりと態度と表情を変えた光に向かって、茶を煎れたら下がってくれと命じた王太子は、彼女の手元を見ながらぽつりと声を落とした。
「代わりに王位を継いでくれれば楽なのだがなぁ」
「殿下…」
宰相と補佐官が嘆息と共に吐き出した声はひどく疲労したものであった。