閑話・お兄ちゃんなんて大嫌いなんだから!
きっちり計量して作ったマドレーヌもどきをモールへと届け(何分、小麦と卵以外の材料が代用品であったので、そっくり同じ味は作れなかった)その帰りに声を掛けられた光は、作ったばかりの笑顔を困惑に変えた。
「ねえカリイ、かの御三方とお会いしたって本当?!」
「かのおさんかた?」
ドロー家の調理人である見知った女性に問われた光は、ゆっくりと女性の言葉を繰り返して首を傾げた。
自分好みの茶を煎れようと奔走していた光は、牛乳を入手する際に彼女に世話になったのである。
それからも親しくしていたが、この様に興奮している姿を見るのは初めてだ。
興奮気味の彼女は御三方よ!と叫びながら片手に持った棒状の野菜をぶんぶんと振り回している。地球では存在しないであろう不可思議な野菜だが、硬い刺と皮に守られた食用部分は美味ではある。武器にでも使えそうなそれに光はヒヤァと色気のない悲鳴を上げた。
「待って、危ないからそれ!刺さる刺さる!」
「え?ああ、やだ」
はしたない、とでも言うように、彼女は自身の背にそれを隠すが今更である。
「何そんなに興奮してるんですか。御三方…って、ああ、あのぐだぐだトリオか」
後半は日本語で呟いて、言葉が通じないって便利だなぁとごちる。
三人のやり取りを思い出すとぐだぐだは二人だけで、一人は怜悧な男だが引きずられてぐだぐだになっていた。一対一ならばあの男に勝てないかも知れないが、二対一ではあのぐだぐだ二人には勝てない。
少しだけ同情したのは内緒だ。
「ウォーク様に召し上げられたって聞いたけど!」
「召し上げ…いやぁ、まぁ。あんまりそういう言い方は勘弁して下さい」
え?なんで?と首を傾げる彼女に答える事はせず、辺りを見回して他に人気がないのを確認する。
「あの人達って、三人セットで有名なんですか?」
「そうねぇ。幼い頃から三人ご一緒で、それぞれ身分も見目好い方でしょう?やっぱり噂の的なのよ。で!で?!」
「で?」
「お話したのでしょう?羨ましいわぁ」
「はぁ…」
あの三人のどこが良いのか、光にはさっぱり分からない。
次の国王である王太子は、容姿は男性的に整っているし身分は申し分ない。
だが、あのやる気ない怠惰的空気は、統率者に向くものではないし、あんな恋人・配偶者など考えられない。現代日本では絶対に生きていけないだろう。
その補佐官であるウォークの母親は王太子の伯母にあたる。つまりは二人は従兄弟同士で、彼自身は王族の血を引きコルト公爵家の後継ぎらしい。容姿は恐ろしいほどに整っており、文句を付けるとすれば完璧過ぎて人間味のないところか。
彼の欠点を上げるとすれば、その性格の悪さだと光は胸を張って言える。
近衛第二隊隊長であるマクは伯爵家の三男である。爵位を継ぐ事はないが王太子の信頼厚い。がっしりと男性的に整ってはいるが他の二人に比べれば親しみやすい容姿であるのも良いらしいが、親しみやす過ぎて、けらけらと笑うあの軽率な空気は如何なものか。
三人それぞれに文句を着けられる者など中々居ないというのに、光はそれを易々と口にして顔をしかめている。
「…カリイの理想って高いのね?」
「違うよ!普通!普通が良いって思わない?!」
「贅沢だねぇ〜」
何の前触れもなく掛けられた声に光は飛び上がるほど驚いた。声の主はここ数日で聞き慣れた男。
「騎士様…心臓に悪いから勘弁して下さい」
「普通に声掛けただけなのに」
「可愛く言わないで下さい。気持ち悪い」
そのやり取りに調理人は心中で悲鳴を上げた。
近衛隊長という身分はそれほど身近なものではない。彼女自身、モールの屋敷着きになるまでは王宮調理室で働いていたが、マクと会話した事などなかった。他の貴族とは比べものにならない程に砕けた男だが、それでも調理人が気軽に話せる相手ではない。
そんな彼に対して気持ち悪いなど物凄い暴言で、彼の身分ならば切って捨てても咎められないだろう。
だと言うのに。
彼は心底楽しそうにけらけらと笑い声を上げ、彼女が身を案じている光は嫌そうに歪めた表情を更に歪めている。
「で?我々の誰が好みかって話だっけ?」
「どれも。誰も好みではありません。そもそも、そんな話ではありません。さっさと仕事に戻ったらどうですか?」
「冷たいな〜妹になるかも知れないのに」
「なりません!」
「やっぱりウォークの妹に」
「ならんっつてんだろうが!」
怒鳴られているというのに嬉しそうに声を上げて笑う騎士に、こいつはマゾかとごちる。人を怒らせて喜びを覚える人種をマゾと言うのかは光には分からないが、彼は変態の枠に入れておく。
「あーやっぱりカリイは面白いなぁ」
「わたしは面白くありません。さあさあ!仕事に戻る!隊長が仕事サボってどうするんですか」
「カリイの煎れたお茶が飲みたくて抜けて来たのに〜」
「帰れ!仕事しろ!」
ぐいぐいと背を押されても笑みを崩さない。
喧しい二人に存在を忘れられ、二人の背が遠ざかって行くのを呆然と見送った彼女は、我に帰った瞬間に顔見知りが居る調理室へと駆け込んだ。
その日から、光が好奇と嫉妬に塗れた視線に晒される事になったのは報告するほどの事でもない。