プロローグ
青春小説が好きでたまらず、気づいたら文章を書いていました。
なるべく更新したいですが(そのために連載という体を取りましたが)ちゃんと書き続けられるかどうか……ごめんなさい。
人には誰しも苦手なものってのがある。
こう言われて「そんなもんないさ」と強がる人もいるだろう。しかし、心にそうやって鎧を纏っても、身ってのは剥き出しにされている。どんなに強がったところで、本能的に苦手なものってのに身は弱い。
その身までも偽ることは、果たしてできるだろうか、いや、大抵の人はできないはずだ。というわけで、自分の苦手なものってのを頭に思い浮かべた上で、ちょっと話に付き合って欲しい。
さて、苦手なものってのはなんだろう? それは人によって違うだろうが、身近でわかりやすい例でいこうか。
たとえば、虫。苦手な人、多いんじゃないか? ゴキブリなんてのはその最たる例じゃないかな。
まあゴキブリじゃなくてもいいから、自分がいっちばん苦手な虫を思い浮かべてほしい。どうかな? 思い浮かべただけで、逃げだしたくなる衝動に駆られないか? この場に本体がいなくてもそんな風に思える人もいるかもしれないってくらいなんだから、人間の想像力ってのにはつくづく恐れ入るね。
俺? 俺には苦手な虫はいない。ゴキブリだろうとハチだろうと、俺にとっては可愛いもんだ。
えっ、なに? 「さんざん偉そうなこと言っときながら、強がってんじゃねえ」? そういう意見が出るのも、もっともだ。
けれど、俺は強がってるわけじゃない。あくまでも苦手な虫はいないと言っているだけであって、苦手なものはある。
いや、正確には「あった」というべきか。
書店に行くと、帯がついている本をよく見かけると思う。
ほら、あの誇張も甚だしい文句がスペースいっぱいに躍る帯。
「全日本が泣いた!」とか「今最も熱い作家の、最もホットなミステリー!」とかさ。
俺、ああいうの大の苦手だったんだ。なんか見てるだけで、体がこそばゆくなってさ。
だからそういう本は極力避けて、帯がついてないか、もしくは帯の文句がおとなしめ(といっても、そんな本あまり無いけど)のやつを好んで買ってたってわけ。
でも、今になって思うことがある。そういうあり方だってあっていいじゃないか、と。
たぶんそれまでの俺は斜に構えてたんだ。
「なんでこんなのが流行るんだか分からない」 「こんなのより俺が好きなやつの方がずっと面白い」
こんなことをずっと考えてたんだから、笑えるよな。
そんなアホくさい考えは、完全に、もう跡形もなく吹き飛ばされた。
どんなことにも機会というものはつきもので、俺もその例に漏れず、出会いという名の機会が俺を変えた。
その出会いは、ひとつじゃあなかったな。
色んな奴に会ってきた。
そいつらと出会ってからというもの、時に助け、時に助けられ、時に言い合い、時に和解して……そうして俺が出来ていった。
これまでの日々は、俺の胸で醸成され、体に染みつき、心の一部分として、一生記憶に残るに違いない。
中には思い出したくもない時期だってある。そんなとき、近くにいた連中がどれほどの助けになったか、わからない。
そういうときに、絆ってやつを実感するわけさ。
ここまで読んでくれたらわかるだろ? ほら、最後なんて見てみなよ。絆だってよ、絆。
たぶん昔の俺なら一生使うことも無かっただろう単語だぜ、これ。
でも、そんな単語だって臆面もなく使えちまうのが今の俺さ。昔の俺も嫌いなわけじゃないけど、今の俺からみたら稚拙だったね、生き方が。まあ、生き方なんてそんな偉そうなこと言うのにはまだまだ早いよ、ってあいつなら言うだろうけどな。
おっと、そろそろ始めるか。大切な、貴重な、出会いの話ってやつを。
その前に、ここまで痛々しい文章を読んでくれた人たちに感謝するよ。ありがとう。
たぶん、これからもっと痛々しいことになるだろうけどな。最初の頃は、俺もまだまだだったからなあ。
そう、あれは桜が咲き誇る春に――
ああ、読み返すと恥ずかしいなあ……。それでも書いてみたかったんです、こういう感じの話を。
これから少しずつ書いていきたいと思いますが、前書きにあるとおり、なかなか難しい状態です。
それでも、欲を抑えきれず、つい書いてしまいました。
こんな痛々しい文ですが、気に入っていただけたら嬉しいです。