エピローグ:余白の設計図
1. 1870年、函館
雪が解け、箱館の街にはかつてない活気が満ちていた。
港に停泊する「開陽丸」の甲板では、榎本武揚が双眼鏡を覗き込み、空中に浮かぶ巨大な蒸気気球の軌道を確認している。
「小栗様。この浮力、零式鋼の磁場安定度は完璧です。これなら津軽海峡を越え、東京まで数時間で物資を運べる」
背後で、小栗忠順が懐中時計を確認し、短く頷く。
「時間は、もはや我々を縛る枷ではない。……榎本、この航路は『国』を繋ぐためのものではないぞ。世界を塗り替えるための、血管だ」
小栗の手元には、かつての横須賀のそれとは比較にならないほど複雑な、多重次元の都市設計図が広げられていた。
2. 街道の風
箱館の喧騒から離れた街道を、二人の男が歩いていた。
一人は、和泉守兼定を腰に差し、新選組の羽織を脱ぎ捨てた土方歳三。
もう一人は、播州住手柄山氏繁を杖代わりに突き、不敵に笑う永倉新八。
「……で、これからどうするんだ、土方」
永倉が空を仰ぐ。そこには、かつてのどの戦場でも見たことのない、紫金色の薄い膜が空を覆っている。
「まずは、この新しい余白を歩くさ。……歴史の奴隷としてではなく、ただの剣客としてな」
土方の視線の先には、未知の植物が芽吹き始めた、誰も知らない原野が広がっていた。彼らの腰にある零式鋼の刃は、もはや因果を斬るためではなく、自らの道を切り拓くために研ぎ澄まされていた。
3. 未踏の記録
五稜郭の最深部。
カイは、膨大なデータを処理し終え、静かに瞳を閉じた。
彼の内側には、かつて敵であった武市瑞山の「志」や、敗れ去った芹沢鴨の「暴力」、そして小鹿が抱いた「未練」までもが、一つのエネルギー源として統合されている。
「……坂本さん。僕の中に、新しい声が聞こえます」
隣で、手入れを終えたS&Wを懐に収めた坂本龍馬が笑う。
龍馬の背後には、彼が創りたかった「誰も死ななくていい世界」の萌芽が、工場の煙突や人々の笑い声となって形を成していた。
「それは、おまんが神様になった証拠じゃないぜよ、カイ。……おまんが、この世界の『一部』になったということながだ」
龍馬が廃坑の出口を指差す。
そこには、光に満ちた外の世界が待っている。
「さあ、行こうか。……地図のない道の方が、面白いぜよ」
4. 観測者の不在
1870年、冬。
かつての「正史」が記した戊辰戦争の終結は、ここにはない。
あるのは、技術と意志が、歴史の修正力を力技で捩じ伏せ、強制的に分岐させた「新しい現在」だけだ。
黄金の眼はもう現れない。
世界は、この強大なバグを、もはや正せない事実として受け入れ、新たな循環を始めた。
降り続く雪は、全てを覆い隠すためではなく、新しい物語を書き込むための、真っ白な紙のように大地を染めていた。
(完)




