第1話
国境近くの孤児院は、いつも風が強い。
古びた石造りの建物の隙間から冷たい空気が入り込んで、冬になると子供たちは皆で同じ毛布にくるまる。
まあ、それでも。
前世で日本人だった私からすれば、ここはそこまで悪い場所じゃない。
パンは固いし、スープはほぼお湯だけど。
少なくとも、毎日誰かが笑っている。
「エ、エリシアぁ……」
泣き声が聞こえて、私はため息をついた。振り向くまでもない。この孤児院でこんな泣き方をするのは、一人しかいない。
「今度は何」
振り返ると、金色の髪の少女がこちらを見ていた。大きな青い瞳に涙を溜めて、今にもこぼれそうな顔をしている。痩せてそれなりに薄汚れているのは同じなのに時折神々しさが混じる少女。
セラフィナ。
この孤児院で一番泣き虫な子だ。
「……パン、取られた」
「また?」
私は額を押さえた。犯人は大体わかる。
向こうでニヤニヤしている年上の子供たちだ。どうせセラフィナの可愛らしさに惚れて、ちょっかいを出している子供。全くどんな男も何故好いた女に嫌われるようなことをするかね、とため息が出る。
「はぁ……」
私は立ち上がり、彼らのところへ歩く。
「それ、返しな」
「あ?ブスが調子乗んなよ」
まあ、そう言うと思った。はいはい、私はセラフィナに比べたらそりゃ天と地程の差がある事くらいわかってますよー!だ。
普通の子供ならトラウマにでもなりそうな事を平気で言ってしまうあたり子供らしいといえばそこまでだが。
私はパンをひったくってセラフィナの手に戻す。
別に喧嘩が強いわけじゃない。ただ、相手が本気で殴るほどの価値がないと思われているだけだ。
モブってのは、そういう立場だ。そして主人公というのは紛うことなきセラフィナだ。
「ほら」
パンを差し出すと、セラフィナはぱっと顔を明るくした。
「ありがとう、エリシア!」
そしてぎゅっと抱きついてくる。将来はそれはもう美しく育つ予定のセラフィナに抱きしめられるのはちょっとだけ恐れ多い。それになにより、
……近い。
「離れて」
「やだ」
「なんで」
「エリシアが好き。離れたくない大好き」
私は小さくため息をつく。
ピンク色の唇を私の頬にあわせて何度も何度も口付けてくる。男なら張り手を食らわせてるところだが、どうにも私はセラフィナに弱かった。
でもセラフィナは笑っている。泣き虫なくせに、笑うと更に可愛らしい。そして結局は放っておけない。
……私まで流されてどうする。
私は前世の記憶を持っている。普通の日本人だった。
特別な能力もない。容姿だって平凡の中の平凡。ただ一つ分かっていることがある。
ここは乙女ゲームの世界だ。
そして。
セラフィナは、この世界の主人公。
聖女として選ばれ、王都へ行き、攻略対象たちに守られて世界を救う。
そして私は、エリシア・グレイ。
名前すらゲームに出てこない。完全なモブ。だから本来、私はこの物語に関わるはずがない。
……はずなんだけど。
「エリシア」
「なに」
「一緒にいてね」
セラフィナは真剣な顔でそう言った。今にも泣き出しそうな声音で、震える手を重ねて。
「どこにも行かないで」
……重い。いや、ほんとに重い。
「大げさだなぁ」
「だってエリシアいなくなったら嫌だよ」
「孤児院だよここ。皆いつか出てくんだから」
「やだ」
子供みたいに首を振る。いや、子供なんだけど。でもその必死さに、私は少しだけ困った顔になる。
「…まぁ泣かれるのも困るしね」
私は適当に言う。
「しばらくはいるよ」
それを聞いて、セラフィナはほっとしたように笑った。まるで世界が救われたみたいな顔で。
……ほんと、大げさな子だ。
でも。
こういう日々は、嫌いじゃなかった。騒がしくて。
泣き虫がいて。面倒で、それでも少しだけ温かい。
ずっと続くわけじゃないと分かっていても。
前世に未練があった訳じゃないけど、少しだけ孤独な心を癒してくれたのは、セラフィナだったからだ。
この時の私は、まだ知らなかった。
この平凡な孤児院の日常が。
どれほど特別だったのか。
そしてある日。
その日常は、突然終わる。
孤児院の前に
王国の紋章を掲げた馬車が止まった。




