カポレットの戦い
1917年10月30日
やられた
ドイツ軍がオーストリアに援軍を送ってきて反攻作戦を始めやがった
初期の攻勢で数日続くはずの準備砲撃がたったの4時間で終わった
この砲撃じゃあガス弾も使われて塹壕が砲撃とガスでぐちゃぐちゃになっちまって皆混乱してた
砲撃が終わったあとすぐにドイツ軍が攻めて来た
塹壕が混乱してたから防衛戦はすぐに突破された
その後はなし崩し的に撤退することになって今はタリアメント川まで後退してきた
無能な司令官はほとんど何も出来ずに自分だけ逃げてしまった
俺の部隊は俺以外全員死んだか降伏した
マタジュール山では1個旅団が捕虜になったりしてたらしい
もうイタリアは終わりかもしれない
でも例え国が滅んでも、必ず…
砲撃音が聞こえてきた
ガブリエーレ・リッチは1917年10月30日にドイツ軍による砲撃に巻き込まれ、戦死した
彼の遺体は左半身が酷く損傷している状態で発見された
カポレットの戦いは1917年10月24日から11月19までに行われた独墺軍によるイタリアへの攻勢であった
この戦いでイタリア軍は死傷者と行方不明者合わせて4万人、29万人が捕虜となるという大損害を出した
戦いの敗北の責任により総司令官であったルイジ・カドルナは解任された
カドルナは後の世で「第一次世界大戦の司令官の中で最も卑劣な無能者」と呼ばれることになった
イタリアではこの戦いのあとカポレットという言葉は敗北を意味する俗語となった