新たなる日常と侵入者
エリスが俺の隠れ家に居つくことになった翌日から、俺のスローライフは少しだけ変化した。
「レオン様、おはようございます! 本日の朝食はいかがいたしましょうか?」
朝、目が覚めると、エリスがすでに身支度を整え、リビングで俺の起床を待っていた。その姿は、まるで専属の侍女のようだ。さすが剣聖の末裔、その凛とした佇まいは朝から絵になる。
「様、は要らない。レオンでいい。朝食は、昨日捕まえたスウィフトラビットの肉で、軽く焼いたものがいいな。それと、無限収納にパンがあるから、焼いてくれ」
「かしこまりました!」
エリスは元々剣士であるため、料理の腕は素人同然だった。最初の頃はパンを焦がしたり、肉の焼き加減を間違えたりと散々だったが、俺の細かな指示と、彼女自身の真面目さ、そしてなにより俺の料理への執着が彼女を成長させた。わずか数日で、簡単な調理ならこなせるようになっていた。
俺が温泉に浸かっている間に、香ばしい匂いがリビングから漂ってくる。湯から上がると、焼き立てのパンと、絶妙な焼き加減のスウィフトラビットの肉が用意されていた。
「いただきます」
エリスは俺が食事を始めるのを確認してから、自分も手を合わせる。彼女は、あのロックゴーレムの肉を食べて以来、俺の料理に心酔しきっている。食事の際の真剣な眼差しは、剣の鍛錬をしている時と変わらない。
「うむ。美味い」
スウィフトラビットの肉は、フォレストボアのような強烈な旨味はないが、その分、繊細な甘みと柔らかな食感が特徴だ。特に、俺が調合したハーブソルトでシンプルに焼くと、その素材の良さが際立つ。
食事が終わると、エリスは当然のように俺の後に続く。
「レオン様、本日はどちらへ?」
「様は要らないと言っただろうが。今日は、森の東側にある、もう少し大きな魔物がいるエリアに行こうと思う。新しい食材の開拓だ」
「承知いたしました。では、私が先行して道を切り開きます!」
そう言って、エリスは腰の長剣を構え、意気揚々と森の奥へと踏み込もうとする。しかし、彼女の左腕はまだ完全に治癒しておらず、本調子ではない。
「待て、エリス。お前はまだ本調子じゃない。それに、俺は戦闘を求めているわけじゃない。あくまで食材の探索だ。それに、魔物に使役させているゴブリンどもが、ちゃんと道を掃除してくれている」
俺の言葉に、エリスははっとした顔で、森の茂みから姿を現した数匹のゴブリンを見た。彼らは、俺が魔物使役の能力で従えている、この隠れ家周辺の安全を確保するための働き手だ。
「ゴブリン……を、使役しているのですか!? これほど従順なゴブリンは見たことがありません……!」
エリスは驚愕の声を上げた。一般的にゴブリンは凶暴で知能が低く、人間にとっては敵性の魔物だ。だが、俺に使役された彼らは、人間で言えば家畜に近い状態にあり、非常に従順で、俺の命令には逆らわない。俺が倒したゴブリンの親玉の力を取り込んだことで、彼らの習性をある程度理解し、効率的に使役できるようになったのだ。
「食材の探索、と言っても、ただ見つけるだけじゃない。場合によっては倒す必要もあるからな」
そう言うと、俺は結界の外へと足を踏み出す。エリスは少し不満そうな顔をしたが、それでも俺の後に静かに続いた。
森の中を歩き、新しい食材を探す。俺は地面に残された足跡や、木の幹の傷跡、空気中に漂う微かな魔力の痕跡から、獲物の気配を読み取っていく。エリスはそんな俺の様子を、興味深そうに、そして感心したように見つめていた。
しばらく歩くと、突如として強い魔力の波動を感じた。それは、これまでに俺が食してきた魔物とは一線を画す、威圧的な気配だった。
「これは……!」
エリスが剣に手をかける。その表情は、先ほどの食材探しとは打って変わり、戦闘態勢に入っていた。
茂みの奥から姿を現したのは、全長5メートルを超える巨大なロックウルフだった。その体毛は岩のように硬く、瞳は血のように赤く輝いている。口からは黒い瘴気が漏れ出し、周囲の木々を枯らしている。
「ロックウルフ……! この森に、これほど強力な魔物が潜んでいたとは!」
エリスが驚きの声を上げる。ロックウルフは、単体でも都市を脅かすほどの力を持つとされる魔物だ。その瘴気には毒も含まれており、並の冒険者では近づくことすらできない。
だが、俺の目は、ロックウルフの圧倒的な強さではなく、その肉から漂う、食欲をそそる香りに釘付けになっていた。
「フフフ……これは、間違いなく美味いぞ」
レオンは喜びの表情を浮かべ、ゴクリと唾を飲み込んだ。ロックウルフは、明らかに警戒心を抱いた様子で、唸り声を上げながら俺たちを睨みつけていた。
「レオン様! ここは危険です! 私が時間を稼ぎますので、お逃げください!」
エリスが叫び、一歩前へ出る。左腕の傷が完全に治っていないにも関わらず、迷いなく剣を構えるその姿は、やはり剣聖の末裔と呼ぶにふさわしい。
「逃げる必要はない。むしろ、これほどの食材が目の前にあるというのに、逃す手はないだろう?」
俺はそう言うと、右手を軽く掲げた。すると、俺の背後から、先ほどまで道を整備していたゴブリンたちが、恐る恐る、しかし確実に、ロックウルフを包囲するように動き始めた。さらに、以前倒して使役していたフォレストボアの魔物使役体も、地響きを立ててその巨体を現す。
「ゴブリンだけでなく、フォレストボアまで使役しているとは……!」
エリスは再び驚愕の声を上げた。
「さあ、始めようか。最高の食材を、最高の形で手に入れるために」
レオンの琥珀色の瞳が、獲物を狙う獣のようにギラリと輝いた。ロックウルフは、自分を取り囲む異質な魔物たちと、そしてその中心に立つレオンの存在に、これまでに感じたことのない恐怖を覚えているようだった。