リリアの悩みと不吉な予兆
エリスが真の「性愛の剣聖」として覚醒し、隠れ家は再び穏やかな日常を取り戻していた。レオンの三大欲求は、エリスによって性欲が、ティアによって睡眠欲が、そして何よりリリアによって食欲が、これまで以上に満たされる充実した日々が続いていた。地下に捕らえられた秘術師たちからの反応はなく、しばらくは静けさが保たれていた。
ある日の午後、レオンはリリアが担当する畑の手入れを見ていた。リリアは、元気いっぱいに土を耕し、愛情を込めて野菜に話しかけていた。その瞳は、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
「レオン様、見て見て! このトマト、こんなに大きくなったよ!」
リリアが、真っ赤に熟したトマトを嬉しそうに見せてくれる。そのトマトからは、生命力溢れる瑞々しい香りが漂っていた。
「フム、よく育っているな。お前が愛情を込めて育てている証拠だ」
レオンが頭を撫でると、リリアは嬉しそうに目を細めた。彼女の純真な食欲は、レオンにとって何よりも心地よいものだった。
しかし、その日の夕食時、リリアの様子がいつもと違っていた。レオンが腕によりをかけて作った、新鮮な森の恵みをふんだんに使った豪華なシチューを前に、リリアは箸を進めようとしない。いつもなら、一番に飛びついて頬張るはずなのに、彼女はシチューをじっと見つめ、何か言いたげな表情を浮かべていた。
「リリア、どうした? いつもなら、真っ先に食べるだろう?」
レオンが尋ねると、リリアは小さな耳をピクリと動かし、不安そうにレオンを見上げた。
「あのね、レオン様……このシチュー、とってもいい匂いがするんだけど……なぜか、あんまりお腹が空かないの……」
リリアの声は、いつもの元気いっぱいの声ではなく、心なしか元気がないように聞こえた。彼女の言葉に、エリスとティアも驚いてリリアを見た。リリアが「お腹が空かない」と言うのは、レオンの隠れ家に来て以来、初めてのことだったからだ。
「まさか……風邪でも引いたのか?」
エリスが心配そうにリリアの額に手を当てるが、熱はない。ティアも、リリアの顔色を心配そうに覗き込む。
レオンは、シチューから立ち上る香りを改めて深く吸い込んだ。彼の「美食の極致」は、このシチューが完璧な出来栄えであることを示している。食材の選定、調理法、そして魔力の調和、全てにおいて非の打ちどころがない。それでも、リリアが「お腹が空かない」というのは、何かしらの異常事態を示していた。
「フム……。少し、様子を見るか」
レオンはそう告げたが、彼の心には、微かな不穏な予感が広がっていた。リリアの「食欲」は、彼女自身の生命力と直結している。その食欲が失われることは、彼女の生命活動に何らかの悪影響が出始めている証拠かもしれない。
その夜、リリアは寝付けない様子で、ベッドの中で小さく身を丸めていた。レオンが作ってやった、普段なら一瞬で眠りに誘う温かいミルクも、一口しか飲もうとしなかった。
「レオン様……私、なんだか、すごく不安なの……。お腹が空かないと、力が抜けていくみたいで……」
リリアの声は、震えていた。彼女にとって、「食べる」ことは、生きることそのものだ。その欲求が満たされないことは、彼女自身の存在意義を脅かすことだった。
レオンは、リリアの頭を優しく撫でた。彼の「美食の極致」が、リリアの体内に、かすかな「違和感」を感知していた。それは、彼女の食欲を抑制するような、しかしどこか馴染みのある魔力の残滓だった。
(この魔力は……以前、あのローブの男たちが使っていたものと、どこか似ている……)
レオンの脳裏に、地下に捕らえられたローブの男たちの姿が浮かんだ。彼らが使っていた「黒炎」の魔力は、生命力を奪い、枯渇させる性質を持っていた。リリアの食欲不振は、もしかしたら彼らが放った魔力の影響かもしれない。
翌朝、リリアの食欲不振はさらに悪化していた。レオンが用意した朝食を前にしても、彼女はほとんど手をつけようとしない。顔色も少し青ざめ、その小さな体は、どこか虚ろに見えた。
エリスとティアは、リリアの様子を心配そうに見守っていた。エリスは、何かできることはないかと焦り、ティアは、自身の「睡眠欲」が満たされることで得られる安らぎと、リリアの苦悩の対比に、心を痛めていた。
「レオン様……リリアちゃんが……」
エリスが心配そうにレオンに視線を向ける。
レオンは、静かにリリアの様子を観察していた。彼の「美食の極致」は、リリアの体内にある「違和感」が、昨夜よりも強くなっていることを明確に感知していた。それは、リリアの生命力を蝕み、彼女の根源である「食欲」を枯渇させようとしている。
「フム……。どうやら、奴らは、俺たちの『食欲』に手を出してきたようだな」
レオンは、冷徹な声で呟いた。彼の琥珀色の瞳が、地下の奥深くへと向けられる。秘術師たちが、地下で何かを企んでいることは明らかだった。彼らは、エリスの「性」の覚醒によって、剣聖の血を奪うことを断念した。ならば、今度はリリアの「食欲」を狙い、彼女の生命力を枯渇させようとしているのだろう。
その時、隠れ家のキッチンから、奇妙な「キィィィ……」という、機械が軋むような不吉な音が聞こえてきた。それは、まるで生命のないものが、無理やり動かされているかのような、不快な音だった。
レオンは、その音の発生源へと視線を向けた。彼の「美食の極致」が、その音と共に、これまで感じたことのない、**『生命の歪み』**を感知したのだ。それは、自然の摂理に反する、悍ましい「食材」の気配だった。
「どうやら、奴らは、さらに厄介なものを送り込んできたようだな」
レオンはそう呟くと、静かに立ち上がった。彼の顔には、この状況を楽しむかのような、しかしどこか冷徹な笑みが浮かんでいた。リリアの食欲を奪う者には、容赦しない。そして、この「生命の歪み」が、どのような「美食」へと変化するのか、レオンの探求心が、今、強く刺激されていた。