居候と増える食卓
「はぁ……」
エリスと名乗った銀髪の剣士の申し出に、俺は深くため息をついた。静かに暮らしたいと言っているのに、いきなり「身をもって恩を返す」とか言い出す奴が出てくるなんて、とんだ誤算だ。
「おい、冗談だろ? 俺は誰かを雇うつもりはないし、そもそもここは人里離れた森の奥だ。お前がいたら邪魔だろうが」
だが、エリスは真剣な表情で首を横に振った。
「冗談などではない。剣聖の末裔たるもの、一度口にした言葉は違えぬ。それに、この深傷を治したあなたの力は計り知れない。私のような未熟者が、少しでもあなたの役に立てるのなら、喜んでこの身を捧げよう」
「身を捧げるって……」
別に肉体労働を求めているわけじゃない。俺が欲しいのは、美味しい食事と快適な睡眠、そして美しい女性との満ち足りた時間だ。最後のやつは、まあ、彼女が美しかったから許容範囲ではあるが。
「とにかく、俺は他人を養う気はない。第一、お前は動けもしないだろう」
俺の言葉に、エリスは左腕をそっと撫でた。グリーンスキンの効果で、傷口はすでに塞がり、肉の再生もかなり進んでいるようだ。腫れも引いて、少し赤みが残る程度になっている。これなら、明日にはほとんど問題なく動けるようになるだろう。
「この傷は、あのグリーンスキンという薬草のおかげか……。信じられぬ回復力」
彼女は驚愕の表情で自分の腕を見つめ、それから俺の顔をじっと見上げた。その眼差しには、警戒と同時に、強い探求心と、得体のしれないものを見るような畏怖の念が混じっていた。
「……ま、とりあえず、今日はうちに来るか? 飯時だ」
結局、押し問答するのも面倒になり、俺は半ば投げやりにそう言った。エリスは目を丸くし、それからゆっくりと頷いた。
隠れ家に戻ると、エリスはその快適さに再び驚愕の表情を浮かべた。
「な……なんだ、ここは……! これほど人里離れた森の奥に、これほど豪華な屋敷が……!」
「屋敷じゃなくて隠れ家だ。あと、うるさい。静かにしろ」
俺は温泉の熱を利用した広いリビングへと彼女を案内し、ソファに座るよう促した。そして、無限収納から夕食の準備を始める。今日のメインは、先ほどあらすじを考えたロックゴーレムだ。
「ロックゴーレム、か。あれは非常に硬く、通常は食用にはならない魔物だと聞くが……」
俺が取り出した、ずっしりとした岩のような塊を見て、エリスが訝しげな顔をした。
「通常はな。だが、俺にかかれば全てが美味くなる」
俺はロックゴーレムの肉――というよりも、魔力によって結晶化した特殊な鉱石――を、特別な刃物で丁寧に切り出し、細かく砕いていく。それを、庭で採れた香りの強いハーブや、隠し味に手に入れた甘い果実の汁と混ぜ合わせ、粘り気が出るまでこねる。
「ほう、随分と手間をかけるのだな」
エリスは興味深そうに俺の手元を見ていた。その目には、先ほどの警戒心よりも、純粋な好奇心が勝っている。
「当然だ。美味しいものを最高に仕上げるには手間を惜しむな、だ」
そう言いながら、俺はこねたゴーレムの結晶肉を、熱した石板の上でじっくりと焼き始めた。ジュウ、という音と共に、芳醇な香りがリビングに広がる。それは、単なる肉の匂いではなく、まるで宝石を焼いているかのような、不思議な甘さと土の香りが混じり合ったような匂いだった。
「これは……!?」
エリスの表情が、驚きから期待へと変わっていく。彼女の瞳は、琥珀色の瞳を持つ俺の顔ではなく、熱された石板の上の肉塊に釘付けだった。
焼き上がったゴーレムの肉を皿に盛り、彩りとしてハーブを添える。見た目はまるで、キラキラと輝く琥珀色の塊だ。
「さあ、食え。礼儀作法は後でいい」
エリスに皿を差し出すと、彼女は恐る恐る、しかし抗えない誘惑に引き寄せられるように、ゴーレムの肉を口に運んだ。
その瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。
「な……これは……!」
硬いはずのゴーレムの結晶肉は、口に入れた途端、まるで綿菓子のように溶けていく。そこから広がるのは、土の力強さと、宝石のような清らかな甘み、そして何よりも、膨大な魔力が凝縮された、魂に直接響くような旨味だ。
「美味い……! これほど、これほど美味いものが、この世にあったとは……!」
エリスはまるで覚醒したかのように、夢中でゴーレムの肉を食べ始めた。その表情は、普段の剣聖の末裔としての凛々しさを忘れ、ただひたすらに、美味しさに感動する一人の女性の顔になっていた。
俺はそんな彼女の様子を満足げに眺め、自分の分の肉をゆっくりと味わう。
「ふむ。やはり最高の素材は、最高の調理法で最高に美味いな」
食欲が満たされ、体中に力が漲っていくのを感じる。これでまた、俺の身体能力と魔力が一段階上がっただろう。
エリスは皿を空にすると、恍惚とした表情で俺を見た。
「レオン……あなたは何者なのだ……?」
その問いに、俺はただニヤリと笑った。
「ただの、三大欲求を追求する男だよ。なあ、エリス。この隠れ家は、快適だろう?」
そう尋ねると、彼女は力強く頷いた。その瞳には、もはや警戒の色はなく、ただ純粋な信頼と、先ほど味わった美食への未練が宿っている。
「……恩を返すと言っただろう? その言葉は違えない。この身は、あなたの元で、あなたの望むままに、この命尽きるまで働くことを誓う」
こうして、俺の完璧な三大欲求ライフに、最初の居候が加わることになった。




