転生先の至福
目を覚ますと、そこは広がる森の中だった。
「……ん」
深い眠りから覚めたばかりの頭は、まだ少しぼんやりしている。しかし、その体は未だかつてないほどに軽い。疲労とは無縁の、まるで生まれたての赤子のような清々しさ。
「……最高だな」
昨日の夜、とろけるような甘さの蜂蜜酒と、皮目をパリッと焼き上げた猪のローストを腹いっぱい食べた。その後は、ふかふかの苔のベッドで、鳥のさえずりを子守唄に眠りについたのだ。ああ、なんて贅沢な一日だったことだろう。
俺の名前はレオン。元々は日本のブラック企業で社畜をしていた、ごくごく普通のサラリーマンだった。過労死寸前、徹夜明けの帰り道にトラックに轢かれ、気がつけばこの異世界に転移していた、らしい。
「らしい、ってのも変な話だけどな」
前世の記憶は朧気だが、唯一、転移の際に得たチート能力だけはハッキリと覚えている。それが、この体だ。
美食の極致、魔物使役、魅了の瞳、無限収納、そして自己再生。
特に、美食の極致は俺の人生を根底から変えた。魔物の肉を食すことで、その魔物の持つ力や特性を自身のものにできるという、とんでもない能力。しかも、強い魔物ほど信じられないくらい美味い。その味は、前世のどんな高級料理も霞むほどだった。
おかげで、この森に転移してから数ヶ月で、俺はとんでもない体を手に入れた。並大抵の攻撃では傷一つ付かず、魔力は尽きることを知らない。それに、森の奥深くで偶然見つけた温泉を掘り当て、その熱と魔力で自分の理想の隠れ家を作り上げた。
暖炉には常に薪がくべられ、適度な室温を保ち、いつでもふかふかのベッドで眠れる。温泉は源泉かけ流しで、疲労を癒すだけでなく、肌までツルツルになる。そして、極めつけは、いつでも好きな時に好きなだけ食事ができること。
「さて、今日も一日、三大欲求を満たすとするか」
寝巻き代わりの薄い布を脱ぎ捨て、温泉に浸かる。ふぅ、と息を吐き出すと、体の芯から力が抜けていくようだ。目を閉じれば、昨夜のローストの香ばしい匂いが蘇る。
湯から上がり、軽く体を拭うと、無限収納から取り出したばかりの真新しい服に着替える。麻でできたシンプルなシャツとパンツだが、肌触りは最高だ。
朝食は、昨日捕らえたばかりのフォレストボアの肉だ。一般的な猪に似ているが、体躯が遥かに大きく、牙は鋼鉄のように鋭い。並の冒険者では太刀打ちできないだろうが、俺にとっては美味しいごちそうの塊だ。
「よし、焼くか」
調理器具も無限収納から取り出す。フライパンを熱し、フォレストボアの分厚い肉を乗せる。ジュワワ、という音と共に、香ばしい匂いが立ち上る。肉汁が溢れ出し、焦げ付かないように丁寧に焼き目を付けていく。
「んー、いい匂い」
軽く塩胡椒を振るだけのシンプルな味付けだが、それが一番素材の味を引き出す。カリッと焼けた表面と、噛みしめるたびに肉汁が溢れる柔らかな内部。
「はふっ、はふっ……ああ、至福」
熱気を帯びた肉を口に運び、咀嚼する。口いっぱいに広がる旨味と甘み、そして独特の野性味。たまらない。
食事を終えると、庭に出る。俺が作ったこの隠れ家は、外部からは感知されにくい結界で覆われている。木々に囲まれた広い庭には、薬草や香辛料になる植物を植え、小さな畑も作った。
「そろそろ、あの魔物もいい頃合いかな」
視線の先には、この森で最も強力な魔物の一つであるロックゴーレムがいた。もちろん、生きたままではない。俺が倒した巨大なゴーレムの残骸だ。その体は岩と鉱石でできており、非常に硬い。通常なら食用にはならないが、俺にとっては違う。
「フフフ、今回はどんな味がするかな」
そう、俺の美食の極致は、ただ魔物を食べるだけではない。その魔物の特性を利用した、新しい料理の可能性も示してくれるのだ。ロックゴーレムの硬い岩石の体には、魔力の結晶が混じり合っている。それをどう調理すれば、最高の美味となるのか。
思案しながら、畑で採れたばかりの新鮮なハーブを摘む。これもまた、料理の味を一層引き立てるために欠かせない。
「よし、今日も一日、美味しいものを探す旅に出よう」
ゆっくりと、しかし確実に。俺の三大欲求を満たす、至福のスローライフが今日も始まる。