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第56話 ロボと悪夢と鮮血と

 元鉄工場――、猿は然う言っていた。

 今は使われていないはずの筐は、上窓からは明かりが漏れている。音はほとんど聞こえないが、人の気配は確かに感じる。

 ヒノエが扉の前で「ふぅん」と鼻を鳴らした。



『どうしたの?』

『随分と粗い結界ね』

 ヒノエの細い指先が、煤けた鉄製門扉をなぞった。『まるで付け焼き刃だわ。これじゃ伊沢の足下にも及ばないわ』と珍しい賞賛を零したところで、志乃が自動小銃の引き鉄に指を掛けた。

『怪しい薬に、不透明なお金、その結び目に結界――、ですか』

『もう間違いないわね』

 ミエコも引き鉄に指を掛け、扉に沿った。

()()()()()の呪術。猿の情報。……アイツが絡んでるはずだわ』



 あの『暗黒の知啓団』の首領。

 付け焼き刃の呪術を嘆きながらも、闇を纏い暗躍する男。ミエコは唇を噛みしめながら、門扉に手を掛けた。すると、意外にも鉄の門扉は音も少なくレールを滑った。

『……()()()()()()()()?』

 声を漏らしそうなミエコに『それだけ自信があるのか、……それとも』と、ヒノエが音もなく背中の短弓を構えた。

『どっちでもいいわ。行くだけよ』

 僅かに前のめり、ミエコは志乃やヒノエと視線を交わすと、頷きがてら僅かに空いた扉に身を滑らせた。



 息を殺し、跫音(あしおと)(なだ)め、乙女達の衣服が俄に風を纏う。黒衣の巫女が、モダンなジャケットが、黒塗りのメイド服が仄暗い筐の中で踊る。

 入口は暗いが、足下を見れば僅かばかりのブロックの縞が浮かんで見える。天井からぶら下がっている大きめの白熱灯が、ぼつぼつと点灯してはまるで生き物のように偶に瞬く。茶色い壁、黒い筋交い、鉄の墓場の滲んだ空気までをもじっとりと浮かび上がらせる。

 眼前、鉄製の衝立であろう。奥に広がっている空間は全く見えないが、確かに工場である。配管や工具、旋盤が雑然と壁際に並び、なるほど既に使われていないのが一目に分かった。

 しかし、――たった数歩、脚を進めたところでミエコが顔を歪めた。



『なに……、この臭い』

 生臭い。

 鉄臭く、生臭く、――鼻に突き刺さる。

 腐臭ではないが、確りと嗅覚を麻痺させる、絶望的な臭い。

 嗚呼、分かっている。

 分かりたくないが。



『――血ね』

 ヒノエが念話で冷たく言い放った。

 瞬時にして寒気が天辺から足先まで駆け抜けた。現実が、鼻腔だけで感じられる現実を咀嚼する暇も無い。疑義の言葉を漏らす間もなく、ミエコの僅か後ろについていたヒノエが足早に前に出た。

『ヒノエ』

『急いで』

 言葉短く急く黒衣の巫女に、ミエコは二十六年式拳銃のグリップを殊更に強く握った。

『多分刺激は強いわよ』

 衝立の向こう、機器が並んで蹲る向こう側である。

 幾つも抜けた、暈けた白熱灯が()()を照らしていた。



 筐の真ん中。二十米四方程度の広さ、薄汚れた鉄の檻に囲まれて、支えられ、真ん中にひっそりと巨躯が佇む。鈍色の輝きが、擦り切れた鋼鉄の皮膚を舐める。ずんぐりむっくりな胴体に、丸く潰れた餅のような頭が乗っている。真ん中には漆黒の闇を湛える硝子玉が一つ――、眼のようであった。



 何だ――。

 なんなのだ、これは。

 だが知っている。否、似たような物を見たことがある。

 つい最近の雑誌でも見たことがある。

 巨大な金属の塊。丸や四角の不格好な体躯ながら、足があり腕があり、手があり、頭がある。最近のニューヨーク万博に出展された『エレクトロ』に比べれば、全体的に丸みがあり、十年くらい前の『学天則』には及ばない。

 これは、ロボットだ。

 間違いない。電信柱の高さほどの寸胴な金属製の巨躯。子供でも分かる。寧ろ大人の方が分からないかも知れない。未来の技術、夢の世界、子供の御伽噺――、近代科学の結晶。

 だが――。



「これは……」

 左腕で口元を押さえた乙女は、まん丸い瞳で眼前の光景に立ち尽くした。

 薄暗い工場に佇むロボットを取り囲むように、手前の空間一杯は鋼鉄の残骸――、焦げ茶色と煤けた濃い黒に塗れ横たわっている。何もかもが()()()()、夜の闇と白熱灯の残光を一心に纏っている。その合間を縫うように、赤、白、グチャグチャになった何かが、所々、――否、ばらけてはいるが、辺り一帯に。



「酷い……」

 短弓に矢を番えた黒き巫女さえも、口の端を酷く歪ませた。

 僅かに矢先が震えている。

「いったい()()()

 志乃の震える声が現実をキリキリと締め付け、ミエコの構える銃口の先は無惨にぐらぐらと揺れて円を描いた。

 それも束の間であった。

 新たな現実を乙女は見つけてしまった。



 鋼鉄の騎士の如きロボットの眼前で。

 漆黒のフードの人間が佇んでいる。クロークから伸びた腕は真っ直ぐに、指先の向こうには一人の少女が男に向かい合うように立ち尽くしている。

 そうだ、少女だ。

 黒いクロークを着ているが、瞭然(ハツキリ)と分かる。虚ろな瞳に魂の抜けた貌。力無く開いた口からは、あの懐かしき苦言も聞こえない。鋭い目付きも、呆然と脱力し往時の見る影もない。



「なかみやッ!」



 生気のない少女を認め、乙女の叫びが血なまぐさい筐の中に響き渡った――。

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