第54話 不透明な金って厭な話ね
「何の用よ、猿渡」
倦み、呆れた口振りに猿渡が鋭く口を尖らせた。
「おいおいおい、久々に会ってそれはねぇじゃねぇか、ミエコ嬢よぅ」
「いい歳こいたおっさんが、弁士崩れみたいな言い方してると厭なのよ」
耳にタコなのよ、こっちは。
首を傾け目を瞑り空を仰いだミエコを見て、猿渡が肩を竦めた。
「それじゃ伊沢の旦那もかわいそうじゃネェか。うら若き乙女に無下に思われてたなんて、俺の口からも言えねぇぜ」
「……あんたもそう思ってたんじゃない。それこそアイツが泣いちゃうわよ」
「へっ、違いねぇ」
「それで何よ? どうせ良くない話でしょ」
不機嫌な乙女――、全身から溢れ出る嫌気。
それでも猿は飄々と舌を出した。
「おっともしかして月の……」
「それ以上言ったら、生きていることを後悔するするくらいに、タマ潰すわよ」
子供なら泣いてしまうであろう鬼の形相に、猿は「うへぇ、ごめんなさい」と素直に頭を垂れた。処世術にしちゃ下手くそね、とミエコは口角を下げた。
「……で! さっさと用件を言いなさいよ」
「分かった分かった。ミエコ嬢、ちょいとこちらへ」
猿渡は人のいる往来から僅かに外れ、ビルヂングの狭間にミエコを誘導した。夕暮れの闇が、都会の冷えた空気がひんやりと肌を滑った。
「人前で聞かれて困る話なら羅刹本拠通しなさいよ」
猿渡は後頭部を掻きながら、
「いやー、俺も特高警察だろ? あんまり堂々と彼処に顔を出すのはよぅ」
「似たようなもんじゃない。どっちも人様に顔向けられないでしょ」
「そりゃ偏見だぜ、ミエコ嬢。まー、市井には怖がられてなんぼってのはあるけどよぅ。警察の花形だぜ、ウチはよ。……だから俺みたいのが折衝役になるんだけどよ」
猿渡は大きく溜息をついた。
「まぁそれはいい。それに、羅刹っちゅーか、ミエコ嬢に話があるんよ」
「私に?」
「そうだぜ。あんたにも関係ある話だ」
「――話を聞こうじゃない」
「あんた、中宮冴子って知ってるか?」
――猿が。
――国家権力が最後に残された乙女の花園に。
「知ってれば何よ。級長よ。文句ある?」
「いやまぁ、そんな突っかかるなよ」
再び毘沙門天像の顔付きになったミエコに猿が僅かに仰け反りながら口角を下げた。
泣く子も黙る特高がクラスメイトの名を出す。
碌な事じゃない。聞きたくもない。だが――。
「消えた指輪の話は知ってるよな? 美術館のやつ。噂でウルスラの生徒が疑われてるってのも知ってるよな?」
「――えぇ」
「話は簡単だぜ。そっちの線と、こっちの線が結びついたんだよ。こっちの捜査上に、嬢ちゃんの生徒の目撃情報が上がってきて、羅刹経由でそれと思しき人物が。――それが偶然、嬢ちゃんのクラスメイトだったってだけだ」
――伊沢め。
独りミエコは俯き歯がみした。
例のアジトで見つけたブローチの件は共有してなかったはず。言えたものじゃない。化け物がいる邪教のアジトに級友のブローチがあるなんて、報告できるはずもない。
驚き、言葉に漏らしたのは事実。
小さな独り言を聞かれたか、――心を読まれたか。
ヒノエは言わずもなが。伊沢も最初に会った時、千里眼のクチがあるとも言っていた。もしかしたらヒノエが言ったのかも知れない。いや、ヒノエの口寄せの時に、もしかしたら顔を見ていたのかも知れないけれど、……どこまで。
懊悩に視線を沈め押し黙るミエコに、猿渡は言葉を続けた。
「羅刹が見る奴らはよく分からねぇが、ウチから見る奴らはよ、小さくて尻尾を中々出さねぇ癖に、破壊工作だけは確りしやがるクソでな。演習場や工場含む軍施設、民間会社、道路や公園まで破壊しやがる。その癖目撃情報にローブは断然残るんだけどよ、肝心の顔が誰も分からねぇ。目撃者全員がほとんどのケースで顔は分からない、と証言しやがる。……だからよ、逆に言えば、指輪窃盗事件の犯人が女性で、しかもウルスラ高女生徒らしい――ってのは、珍しいというかおかしいというか、変なんだよ。でも、それくらいしか現場からは探れねぇんだ。数少ねぇ手がかりってことだ」
しかも羅刹絡みだろ、と猿渡が溜息をついた。
「ただの宗教じゃねぇ。確実に人外、怪異が絡む組織だ。だから慎重に行くしかねぇ。それでもだ、奴らにも弱点がある」
「……弱点?」
「おうよ」
猿がにんまりと口角を丸めた。
「奴らだって『組織』だろ? 組織って事は断然、金が掛かるんだよ。共産主義だろうが右翼だろうが関係ねぇ。どんな宗教組織だろうと、ぜーんぶ金がねぇと話しにならねぇ。全員が狂信者としてもだ、破壊工作に掛かる道具は? 武器は? そもそもそのローブ誰が作ったんだよ。移動に車使ってるなら、誰が提供した? ……って感じよ。金の供給源を追えばよ、組織の全体が浮かび上がってくるっつー寸法よ」
意気揚々と踏ん反り返る猿に、
「分かったから、結論を言って。その調査と中宮がどうつながるのよ」
と呆れ気味に捲し立てた。
弁士崩れの系譜に辟易していた。
「へぇへぇ、分かったよ。……でな。現場に残った僅かな遺留品とかよ、目撃情報の車とかから地道に追ってったらよ、どうにも表に出せねぇ金の筋らしいんだわ。このご時世、不透明な金っていったらよ、――あそこしかねぇ」
軍部――、と。
「機密費はどんぶり勘定の大盛りだぜ。その癖、国庫だけじゃネェ、独自の財源を持ってるくせぇ。……その金の筋を追って、内務省のお偉いさんからの指示でな、ある工場の捜査を進めることになったんだよ」
横浜の港湾街にある民間工場である。時勢に応じ、民間工場が軍需工場に転換するのは既に見慣れた光景となっていた。戦争が始まって3年、召集により熟練労働者がちらほらと軍に抜かれ倒産する中小企業の例も見え始め、財閥資本の工場と言えども末端となると、なんとも心細く頼りない状況が続いていた。
「その工場は元は小さな鉄工場でな。軍民転換関係の書類は確りしてるが、どういうことかここ数ヶ月、まともに工事が進んでねぇ。その癖にだぜ、夜な夜な人の気配はするわ、工場から音がすると噂されてるっちゅー始末よ。そこで――」
中宮らしき女性が目撃されたという。
ミエコは憮然としたままだったが、話を進めるため諸々の言葉を飲み込んだ。
「……まぁ、いいわ。で、その工場絡みで不透明な金が動いていると。人や手続きからコソコソ隠れて。――何か作ってるのかしら?」
乙女の直感に、猿が声調を静かに落とし、呻り気味に呟いた。
「――薬、らしいぜ」




