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第53話 休学って何なのよ

「ふああぁぁ――」



 寝ぼけ獅子の可愛い欠伸が教室の片隅に響き渡った。

 夏の夕暮れにはまだ早い。私立聖ウルスラ高等女学校、放課後の奉仕活動もせず、ミエコは頬杖一つに陰り始めた空を見つめていた。

 居並ぶ木製の机は傾いた日を浴びて鈍く輝き、寂しげな海原。椅子の背もたれは並んだ墓標である。生徒が下校し、()()と静まりかえった物憂げな教室の片隅、視界の端で眠そうな瞳をパチパチさせた初江が、相も変わらず頬を揺らして笑っていた。


「はしたないわねぇ、ミエコ。そんなんじゃ、オヨメにイケなくってよ」

「初江ぇ、それ喧嘩売ってんのぉ?」

「売る訳ないじゃないのぉ。褒めてるのよぅ、これでも。もー、断然ヨ。まぁ、みんな(級友達)の反応は『はしたないわ』が2割、『あな、おそろしや』が八割――、ってところだけどねぇ」

 苦笑いしてるけど、本音じゃ肚の底から笑ってるわね。

 ミエコは笑みを浮かべて鼻を鳴らした。

「いいのよ別に。私はやりたいことをしただけ。あの馬鹿も、もう傲慢な態度は取れないでしょ。取ったらもう一回顎割れば良いだけだしね」

「い、良いだけって――。ミエコ、もう一回やったら、流石にクラス中が怯え切っちゃうよ」



 磯子もいる。

 何も変わっていない。

 一年近く続けてきた放課後の座談、乙女の花園。その実はクラスの鼻つまみ者――、と分かっている。頭の天辺から爪先まで分かっている。ヒシヒシと級友の視線や醸し出す空気を受けながら気にしてこなかっただけだ。

 図太いと言えばそうなのだろう。

 やんごとなき乙女達には刺激が強すぎる。学校の規則、鉄の檻を半ば()()()()ように生きてきた。怒られても気にしない。馬鹿にされても気にしない。人を蔑むような奴なら、拳骨、膝、踵、何でも全力で打ち込んでやる。



 ――生きづらい世の中だ、と嘆いたのも今は昔。

 闇を知り、国の大事を預かる身の上となった今は、陰湿な乙女の探り合い貶し合いなど、尚更にどうでも良い次元の話でしかない。分かっている。然う分かっていても――、鉄の檻と乙女心の相剋こそが、身を闇に染めてもぶれてはいけない強固な矜持であった。

 だから、変わっていないことは良い事なのだ。

 たとえ清廉、猥雑、二律背反の狭い世界だとしても。

 ミエコにとって、そこに在るだけで十二分に幸せだった。

 だが――。



()()()()()()

 ――あのムッツリ級長(中宮冴子)が。

 胡乱な視線を空に逃がして、乙女の憂鬱が漫ろに漏れた。

「夏休みが終わってからねぇ、休みがちになってたのは知ってたけど――、まさか()()とはねぇ」

 初江の顔から笑みが消え、引き摺られがちに溜息を漏らした。

 瞼に浮かぶのは吊り上がった眦の、酷くキリキリと空気を張り詰めさせる高圧的な表情(かお)。規律の守護者たる、畏怖と尊敬を集めていた冷たい乙女。

 それが、今やいない、と。



「お家の事情らしいけど、先生はそれ以上教えてくれないし」

「クラスの皆は?」

「訊いて回ったけど梨の礫よぅ」

「そう。……変な噂は? 何かあった?」

「ないみたいだよ。でもね……」

 磯子が俯いて視線を逸らした。

「2学期が始まってね、中宮さん、見るからに窶れたって言うか、――えぇと」

 と、言葉を詰まらせた。

「どうしたの」

「こういうのもなんだけどねぇ」

 見かねた初江が首を振った。

「目が死んでたのよ」

「目?」

「そう。生気がないっていう感じじゃないのよ。授業中もずーっと一点を見つめてね、それはそれは……」

 あの初江が口角を下げる程、か。

 ミエコは頬杖を止めた。

「そんな感じだったのね。私が来た時は、何故かすれ違って一度も会えず仕舞いだったものね」



 ――夏休みの終わり。

 姿を見せ始めた『暗黒の知啓団』の影。

 地下のアジトで見つけた、彼女のブローチ。

 深淵の闇が蹲る廃ビルで向けられた殺意(南部十四年式拳銃)

 生気を失った彼女は――。



「ねぇ、ミエコ」

 目を瞑り思いを巡らせていたミエコに、磯子が声を掛けた。

「ミエコも……、ミエコも、同じように休学しないよね?」

「えっ」

()()()()()で、……大丈夫だよね?」

 ミエコも中宮に負けず劣らず、しばしば学校を休んでいた。羅刹の活動が夜に渡る限り、翌日学校で平穏の生活を……、というのは無理が過ぎた。

 事情を知らない者からすれば、級長(中宮冴子)が死んだ魚のような目で休みがちになり、暴れん坊の爆弾乙女(神宮司ミエコ)も眠たそうにに休みがちになったのだから、異常事態でしかなかった。クラスの平穏は俄に崩れつつあった。



 怯えた子犬のような目で見つめられると心が痛む。

 ミエコは小さく首を振って、

「大丈夫よ。ウチのは……、まぁね、問題ない問題ない」

 と、はにかんだ。

「イミシンすぎよぅ、ミエコ。磯子さんがアンニュイ通り越して怪訝な顔じゃない」

「ほ、ホントに大丈夫?」

「だーかーら、大丈夫だって」



 ――嘘かも知れない。

 怪異との戦いは、一つ間違えば命がない。

 戦争の陰が濃くなればなるほど、怪異も、怪異を操る奴も、――ドイツ第三帝国の暗部までもが動き出している今の世だ。神宮司家も羅刹も、否応がなしに巻き込まれていく。

 そんな予感があるからこそ、嘘が嘘が辛い。

 ヒノエが聞いたら呆れそうだけど、こればっかりは――。



 それから他愛もない話を幾らかして、ミエコは学校を後にした。

 家に帰る前に、羅刹本拠に顔を出さなきゃいけない。日常と非日常を簡単に飛び越え往復する。日々は充実なれど、不穏と不安だけが膨らんでいく。

 漸く夕日の朱が空を染め、帝都に影を忍ばせた頃である。秋の気配がひっそりと肌をなぞる中、ミエコはビルヂングの群れを見上げながら、急ぎ気味に歩行(あゆみ)を進めた。



「おっ、おいおい! ミエコの嬢ちゃん!」

 疎らな人並みの向こうから聞き慣れた声が聞こえ、ミエコは視線を流した。道路向こうから車を器用に避けながら、バタバタ走り来たのは特高警察の猿渡であった――。

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