第52話 このXX(検閲)野郎がッ!
「か、金霊――?」
「そう。精霊というか、天に溢れる気の一種ね。――多分少し前のことね。香奈恵さんの家に、空から金霊が降り注いだ」
ポカンと口を開けている香奈恵を見て、ミエコが眉を顰めた。
「具体的にはどういうことよ。香奈恵の家に、お金でも降ってきたの?」
「当たらずとも遠からず」
と、ヒノエが目を瞑った。
「江戸時代、鳥山石燕の妖怪画にも描かれてるわ。善行を務める家に空からお金が降ってきて、土蔵が大判小判で溢れかえる様子よ。富貴を決めるのは天の采配。善行を積み、無欲なものには幸福が訪れる。――そういう怪異」
ミエコの脇に進み出て、ヒノエが凛とした声で
「香奈恵さん。アナタのお家、今繁盛してるでしょ? お父さんが何か言ってなかった?」
と訊ねた。
呆け気味だった香奈恵はハッとして、小さく俯きながら思い出した。
「そ、そう言えば、2、3ヶ月前なんですけど、会社で突然大きな仕事を任せられたって驚いてました。それから、こんなご時世なのに臨時の賞与も出て……」
「他には?」
「あ、あと家の蔵から掘り出し物の骨董品が出て、高く売れたって……。あ、あと、道端で苦しそうにしていたお婆さんを助けたら、お礼に海外製の高い煙草をくれたり――」
「あぁ――、成る程ね。良い事が立て続けに起きているのね」
怪異の常。
人の運命を弄ぶ、見えざるもの。だが人を不幸にするばかりではない。人を幸福にすることも含めて怪異なのだ。現今、賞与を上げすぎると政府から罰せられる、訳の分からない不幸の強制。それでも怪異は運命を弄ぶ。
良くも悪しくも不思議な事。
目には見えないはずの――。
「で、この馬鹿は知ってた、と。なんでよ?」
ミエコが訊ねたのはヒノエではなく、仰向けに口をパクパクさせ、顔面蒼白に狼狽えている城戸に対してであった。城戸が飛び跳ねるように上半身を起こした。
「で、でまかせを! ぼ、僕はそんなもの知らない! よ、妖怪、金の精なんて! そんな非科学的な!」
「借金だらけの会社社長の息子が、偉そうに何ですって?」
ヒノエの切れ味が怖ろしい。
冷たい眼差しに射貫かれて、城戸の瞳孔が開いたように目がまん丸に見開かれた。
「な、ど、どうして――」
知っている、と言葉も途切れて城戸はだらしなく口を開けている。
「そ、そうなの?」
「こっちは別の話。まぁ繋がってるけどね。ある投資で傾いた社運を取り戻したくて、社長である父親が、唆される形で縁談を持ちかけたんでしょうね。最初は、実際に金のある神宮司家から」
それが大失敗だったんだけどね、とヒノエが嗤った。
「寄りにも依って、神宮司家ってのがいけなかったわね。お陰でこっちの耳にも入ってたわ。――で、ミエコに顎を蹴られて大破談。直接的な金の無心が出来ないなら、次は元手を増やしてくれる、追い風に乗せてくれる怪異に目を付けた。……いえ、父親にそう指示された。でしょ? ワカメ男」
黒き巫女の言葉に、城戸は僅かに震えるばかりである。
その反応が、全て事実であることの証左であった。
ミエコも得心していた。
かつて城戸を蹴り倒した跡、父米次郎は深くミエコに頭を下げた。
企業規模を鑑みても、城戸商事と神宮司財閥では身の丈が合わない。しかし、旧知の城戸商事社長に強く強く懇願され、仕方なくお見合いを受け入れたという経緯だった。
上手く行くなど思っていなかった。否、どうせ破談になると分かっていて、一つの社会経験を積ませる目的だったという。その結果が顎割りの強烈なキックだったのは想定外だったらしいが。
しかし――。
「でも、――どういうことよ。父親ってそういうのが見える人?」
『コイツの父親を唆したのは、御影大佐でしょうね』
「えっ」
「……城戸商事。確か大陸からの輸入業――、雑貨、絹織物、茶や砂糖、漢方まで手広くやってたわよね。そこで良くない筋から、良くない投資話を持ちかけられた――。で大損ってワケ。……そんだけ金金考えてたら、脳味噌からダダ漏れ。すぐ分かるわ」
『アヘンよ。満州もそうだけど、陸軍の結構な収入源になってるから、関東軍、それに御影大佐が関わった工場の原資を求められた、って聞いてるわ。だけど肝心のアヘンは低品質で、全然資金を回収できなかった――。で大損ってワケ。……御影大佐には用心しないとね。自分の為に薄汚い事も平気でやるから』
口ではうまくはぐらかしながら、ほぼ同時に念話で真実を伝える。
二重口述のテクニックは、言霊石を授かる人間にとって必要不可欠な技術である。羅刹となって日の浅いミエコは、ここまで上手く舌と脳を回せなかった。
よく出来るものね、と感心していると、ヒノエが前のめりに城戸に顔を近づけた。
恋人のような距離で、その表情は羅刹の如く。
「お付き合いする相手は慎重に選ぶべきね。戦況と軍に振り回されて、変な人に狐狸妖怪の類いを唆されるようじゃ、アンタの会社、先が見えてるわ」
震え怯えきっていた城戸の目が、一瞬焦点が合ったように輝いた。
「あ、あんた霊能力者か⁈ ぼ、僕のお嫁さんになって……」
間髪を入れず――。
ミエコの強烈な蹴り上げが、城戸の顎に吸い込まれた。骨が軋む鈍い音と呻き声を上げながら、城戸太一郎は再び床に倒れ込んだ。
どうやら今度は、完全に気を失ったようだった。
「これくらいで勘弁してやるわ」
まったく、と腕組みに鼻を鳴らした。
「ミエコ、……ありがとう」
香奈恵が泣きそうな顔で見つめた。
「いいのよ。それより、怖かったでしょう、こんな奴に言い寄られて。もっと早くのしときゃ良かったわ……。ゴメンね」
「れ、礼を言うのはこっちだよ。でも、ミエコって、ふふ、――昔から変わらないね」
「えっ」
香奈恵は懐かしそうな笑みを浮かべた。
「青山で遊んでた頃、知らない男の子達に絡まれた時、私はただ泣いているだけだった。でもミエコは男の子達を追っ払うように喧嘩になって――、私を腕尽くで助けてくれたじゃない」
――全然覚えていない。
何歳頃の記憶かも曖昧だ。
可憐な乙女にとっては喧嘩などあまりに日常すぎて、景色の一様にすらなっていなかった。
「そ、そうだっけ? あははは」
「そうだよ。あの時も私が礼を言ったら、もっと早くやっつければよかった、って」
「三つ子の魂百まで、ねぇ。ミエコ」
横に佇むヒノエがニヒルな笑顔を浮かべている。さっきまでの冷たい視線とは打って変わって、優しさが滲み出ていることにミエコも気づいていた。きっと頭と心が一緒になったからだろう。
「――いいのよ、変わってないのも美徳よ、美徳。……あー、なんか色々吹っ切れたわ。ねぇ、香奈恵、これから別の店に行きましょ? ショッピングとか喫茶店とか。昔話も色々したいし、ね?」
「――うん!」
「ヒノエも付き合ってよね」
黒き巫女は、一瞬の逡巡の後、
「しょうがないわね――。今日だけよ」
と、はにかみながら肩を竦めた。




