第49話 帝國の翳り
『なるほどそれは良くないですね』
扇子をパチンと静寂に響かせた。
『確かドイツは、自然魔法にも傾倒していたと聞きますが、それに飽き足らずそちらにも手を伸ばしてますか。いやはや――』と俯きがちに視線を虚空に滑らせた。
風、雨、火、氷を自在に操る。
人類の夢は近代科学の英知を以て、擬似的に区別をなくした胡蝶の夢に過ぎない。送風機だろうと火炎放射器だろうと、冷蔵庫だろうと、それは自然に手を加えた加工技術に過ぎず、本質的に自由な挙動を行う自然物を、その根幹から操るというのは人間の手に余るものだ。
『本邦のまじないは神仙の常ならず、神に類する怪異の威徳を、そう、力を借りるのが常ですが――、錬金術以来、彼らは自らの力を以て自然を操ろうとしている。それは――、神々への冒涜ですねぇ』
『そんなこと言っても始まらないわよ、伊沢』
ヒノエが溜め息交じりに口角を下げた。
『重要なのはそれを何に使うかよ。自然を操り平和に活かすなら、一万歩譲って良いとするわ。でもナチは欧州、――いえ、ソ連にも向けるでしょうね。人ならざる力を』
意外な推測に、志乃が素っ頓狂な声を漏らした。
『ソ連、ですか。――確か、昨年、独ソ不可侵条約を結んで、今は敵対してないと聞いておりますが』
固まったミエコにも話が伝わるよう、であろう。彼女のためにささやかな道化を演じていると察したヒノエであったが、憤懣は漫ろに言葉となって流れ出る。
『西欧州を席巻し、海の向こうまで手を出した軍事大国が、このまま欧州だけに引き籠もってると思いますか? ――己の信念を異にし言葉にも相違ありせば、畢竟奔流となって力は衝突する。自然の摂理でしょう。あの髭はやるわ。間違いなく』
ヒノエの冷徹な国際観にデービッドが頷いた。
『炯眼ですね。実は英国本部も同じように判断しています。独ソは元々相容れない独裁者。その政治的、軍事的判断に怪異の力が加われば――』
ユーラシア大陸を巻き込む大戦争。
鉄量のぶつけ合い。
民族の磨り減らし。
目も眩むような憎悪が焚きつけられ、血と叫喚が大陸を覆う。
そこに怪異の、――死人を操る力が加わる。戦闘で死んだ死者の群が、独ソ軍の如何を問わずモスクワを目指し、自然を操る術士が指揮者となって死屍累々の平原を行進する。
その光景は紛れもなく。
『……地獄ね』
冷たく言い放った黒衣の巫女に、デービッドは窓から振り向いた。
『それを禦ぐために、僕がいるんです』
碧眼の奥に何が映っているのか。それはヒノエにも、伊沢にも分からない。ただ間違いなく言えることは、英国の政治的意図があるとは言え、この少年が一つの怪異の大災害を避けようと努力していることであった。
まぁ、良しとしましょう、と伊沢が扇子を再び鳴らした。
『さて、デービッド君。君の目的も行動も理解しました。今後も死人使役の術者を追うのなら、協約に反しない程度で我々も協力しましょう。――ということで』
細めた眦で、ヒノエを見た。
黒衣の巫女は澄ました顔で、
『で? 龍脈を見抜き、超科学で戦争起こそうとして、この国に害を為し、死人を操るホント危険な奴ら――『暗黒の知啓団』についてどれくらい知っているの? 教えてちょうだい』
と単刀直入に問うた。デービッドは奇妙な形のステッキをチンと鳴らした。冷たい金属の――、本体に隠れた刃が噛み合う音だった。
『そちら以上はありませんよ。横浜拠点で、日本語文献まで読めるのは僕くらいですし、情報網なんてあったもんじゃありません。英国大使館の方がまだ諜報網を持っています。それでも――、あの影達は中々追えません』
飄々と語っているが、力不足を惜しむというより、異なる組織という隔絶の意気が滲み出ていた。しかし、伊沢は意外にも
『良いでしょう。信じましょう』
とあっさり引き下がった。
『今問うても答えられないのも分かります。構成員が独自に情報共有する権限があるとも思えませんしねぇ。それでも何か共有することはありますか?』
共有しても問題ない程度で、と。
デービッドは再び微笑みを浮かべた。
『ありがとうございます。僕から言えるのは、先程の男が恐らく「暗黒の知啓団」の教祖――、ということですかね』
『あれが? 幹部じゃなく?』
ヒノエが意外な声を漏らした。
『まぁ、然もありなんでしょう。ウチより規模が小さいとは言え、言霊石も死人使役も熟せるなんて、普通の人間じゃありませんよ』
『伊沢はんがそれを言うんかい』
丸島がカラカラと笑った。
『ほんま、どこの国もアホみたいやなぁ。死んだら骨になって成仏するなり、根の国行くなり、煉獄行くなり、道はもう決まっとるのに。そないに自信ないんかいなぁ、人として生きるっちゅーことに』
刃、銃、火砲――、全ては人間の欲が作りだした物質であり、矜持であり、限界である。その領域を越えることは超越ではない。人の道理に居られなかった弱さである。
でも――、と志乃が呟いた。
『――異能があるから、怪異があるから、人間は縋りたくなる。実現できないことを実現するために。その誘惑に耐えられる人は、少ないと思います』
私も、と微かな声は誰に聞かれることもなく静寂に消えた。
『まぁ、今言っても仕方ないわ。それより』
ミエコ――、もう良いでしょ。
と、ヒノエが固まった少女を見下ろしながら言った。
『落ち着いてたでしょ、結構前に。そろそろ元気出したら?』
ふぅ、と屈みながらミエコは肩を落とした。
『ヒノエの読心術には敵わないわね』
すっかり紅顔も冷め、ミエコは勢いよく立ち上がった。くるりと振り返り、口の端を僅かに上げた。燐光を浴びた潤んだ瞳に、乙女心を誤魔化す作り笑いが痛々しい。それでも後悔はない。
「デービッドさん」
一息の呼吸に胸を落ち着け、瞭然と口にした。
「念話だと発音がキレイね」
デービッドは目を見開いて驚き、――それから笑った。




