第46話 黒幕って何で黒いのよ?
闇夜を纏うのは夜に生きる者の特権である。
それが人の理を越え、否、踏み外しているかどうかの差はあれど、光を当てても顔も心の奥底も全く覗けない。見えるのは影の、薄ぼんやりとした貌ばかりである。
伊沢の灯明式に照らされぬ、ぽっかりと空いた暗闇を銘々が振り返った。一騎当千、殺戮の限りを尽くしている丸山を除いて――。
『あなた、――術士ね』
念話の交錯が全てを物語る。
視線の先、三階から降りてくる階段の踊り場に影はいる。瞭然見えぬ程に、寧ろ暗いからこそ怖気が走る。何者かも分からない。だがこの時に於いては悪意の――、伊沢の言を借りれば、思慕とを操る某か、とミエコは直ぐに察した。
ヒノエの弓がキリキリと音を立てる中、併せて銃口を向ける。懐中電灯の明かりは影まで届かない。
『些か付け焼き刃だったが、十分であるな』
頭に響く声は若い男の、落ち着き、澄んではいるが仄暗く沈んだ声である。覇気など毫も無い、地獄の底から響く声である。
(まだ御影大佐の方が生き生きしてるわね)
とミエコが眉を顰めた。
かの人ではない。声も喋り方も違う。だが似ている。
『大陸系呪術と存じますが、――いやはや、「暗黒の知啓団」の方ですか。ご尊顔を拝したいところですねぇ』
伊沢の抑揚は少ない。
懐に突っ込んだ手からは、僅かに式札が顔を覗かせている。
『言っても無駄でしょ。所詮狂信者よ。死人を操って人に害を為す時点で、かける言葉なんてないわ』
ヒノエが淡々と怒りを滲ませた。今にも放たれんとする矢を見ながら伊沢は、
『そうは言ってもヒノエさん。少しくらい聞いてやってもいいじゃないですか。道教紛いに甲殻類じみた未知の怪異。帝都にある龍脈を的確に見抜く辺り、一個人の憎悪とも思えませんし、上手く尻尾を掴ませないのも中々憎いですねぇ。指導者の方はとても有能なんでしょうねぇー』
と論うように捲し立てた。
――すらすらと良く言うもんだ。
ミエコが鼻で笑うと、志乃が咳払いをした。
『コソコソ隠れてないで、出て来ては如何ですか? 返答次第では――』
自動小銃の銃口が、真っ直ぐ影を捉えた。
『ふむ。ならば問おう』
暈けた影がゆるりと動き、一段を降りる。
『この国も、国を支える人も、――生きとし生ける人間全てに、諸君らが命を懸けて守る価値はあるのかね?』
また一段――。
『米英独ソ日中、――国の指導者はどいつもこいつも自分の国のことしか考えていない。暴力と搾取、思想の上澄みだけで弱者を操っていい気になっている。虐げられる弱者も弱者だ。己に貼られた「弱者」というレッテルの色気に負け、俗臭を撒き散らしている。誰も戦争を止められず、来るべき大破壊を見て見ぬ振りをしている』
更に一段――。
『戦争の帰結を想像すら出来ぬ愚民を守って何になる。搾取する資本家や官吏共を守って何になる。どうせ天変地異も、戦争の災禍すら奴らを殺せん。金持ちと悪知恵を働かせる屑は、狡猾に弱者を留まらせ、自分達は常に戦火から逃れられるのだから』
最後の段を降り、二階――、同じ土俵に立った。
『世界平和を実現したくば、圧倒的な力で従えるしかない。世界最終戦争はこの戦争ではない。この戦争で戦争を養い、最後の最後で闇が世界を覆うことで、人類は皆平等に叫喚に堕し、絶望という平和がやってくる』
「光などない」
沈んだ声が、明瞭に意志を貫く。
壁面の燐光を浴びて映し出されたのは、真っ黒いフード、足先まで垂れる黒布を被った男。
否、男なのだろうか?
性別も判然としない、黒い、余りに黒い装いである。布地であろう波模様が微かに見えるが、光を吸い、溶かし込んだ黒が闇に馴染み、輪郭すら判然としない。まるであの怪異達のように――。
「御託はいいわ」
ミエコが二十六年式拳銃の銃把をガッチリ握った。
人差し指がトリガーに掛かる。
「私の家も資本家の端くれだけどね、アンタの言うようなんじゃないわ。この戦争、碌な事にならないのは分かってるけど、コソ泥と爆弾魔に世の道理を説かれる筋合いなんてない」
くくっ――と、ヒノエが喜色を浮かべた。
「お生憎様、何処の何方さん。疾く去ぬか、然らば――」
と矢を番えたまま、更に短弓を引き絞った。
語ることなどなし、と黒衣の男は黒衣の巫女に告げた。
「ならば死ね。死こそがお前達にとっては救済だ。だがその前に――」
黒衣の裾から、滑るように伸び出た腕がピタリとミエコの正面を向いた。唯一、燐光を浴びて目視が適う物質――、十四年式拳銃がミエコの身体に向けられた。
あの女の――、と男が呟き、引き鉄を引く指に力が――。
その時。
「アブナイッ」
黒衣の男の後ろ、階段の踊り場から舞う影が一つ。
届かぬ燐光に同じく闇を孕んでいるが、凛とした掛け声が明朗に響き渡る。同時に影は黒衣の男に突っ込むように飛びかかる。飛びかかった影は、キラリと白刃を光らせた。 青白い燐光を浴びて瞭然と視認できる直刀が、黒衣の男に襲いかかる。
しかし、間に合わない。
黒衣の男の拳銃から、甲高い発砲音が響き渡った。
余りに一瞬の出来事だった。
放たれた銃弾は、ミエコの左腕を掠め、革製のジャケットも乙女の柔肌も薄く切り裂き、微かな血が闇に舞った。乾いた銃声に呼応するようにヒノエの矢が放たれ、志乃の自動小銃も黒衣の男を捉えて発砲した。
だが、黒衣の男は発砲した直後、飛びかかって来た影、光陣煌めく直刀の斬撃を振り返ることもなく半身ほどゆるりと躱した。放たれた矢も銃弾も、折悪く空いた半身――虚空に飛び込んでしまった。
尚も影が景を襲う。
刃が空を切り、甲高い風切り音が響く中、黒衣の男は闇に溶け込むようにヒラヒラと、下り階段へ飛び退いていく。
跫音すらなく。
まるで怪異のように。
影が影を追い二階から姿を消したところで、突然ガチャン――、と金属音が響き渡った。
直ぐに反応したのはヒノエだった。
「ミエコ!」
ヒノエの視線の先には、二十六年式拳銃が無様に落ちていた。ミエコは「うぅ」と声を漏らし、右手で左腕を抑えながら蹌踉けた。刺されたような痛み、掌に伝わる暖かく濡れた感触。
――やられた。
ミエコは言葉を漏らすまでもなく歯がみした。一発も当てることも出来ず、ただ撃たれてばっかりじゃない。
なんでこうなのよ――。
腕を刺す痛みより、後悔に目を瞑った。
「ミエコ、怪我は?」
「お嬢様! 大丈夫ですか!」
志乃が慌て気味に自動小銃を背負い、ミエコに駆け寄った。
「大丈夫よ、これくらい」
痛ッ――、と声を漏らしたミエコに、伊沢もそれとなく声を掛けたが、志乃やヒノエとミエコの会話に掻き消されてしまい、一人肩を竦めていた。
寸時の切れ間、伊沢が階段に目をやると、黒衣の男を階下に追った影が足音を響かせながらするりと現れた。
カツコツと響く音は、人間である証拠でもあった。
『取り逃がしましたか……』
その念話の声色に、ミエコは聞き覚えがあった。




