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第43話 何であるのよ、爆弾が 

 闇の中に佇むビルヂングは、既に異界の風体であった。

 正面玄関は撤去され、がらんどうになった柱と工事用のガード、道具が無造作に散乱している。一目見た限りでは工事現場のそれと言うより、戦場の廃墟と言った体である。大きく開けた入口に、彼らを止めるものはない。



『さっさと行きましょ』

 と、ヒノエが念話を通して一人足早に進み始めた。

 声を出せば聞かれるかも知れない。『神の奇跡(言霊石)』を銘々の場所に縛り付け、闇に紛れて足音静かに、それぞれが最も適切な位置へ距離を取る。

『わしが後ろに付くで、ヒノエはん』

 丸島が袖を捲り上げながら足取り軽く付いて行く。

『分かったわ。ミエコ、丸島さん、よろしく。伊沢と志乃さんは後方からお願い』

『分かりました』

『お気をつけください、ヒノエ様』

 ガチン――、とフェドロフ自動小銃のチャンバーに装弾した甲高い音が響いた。



 一階のフロアも玄関同様の有様である。雑然と物が散らばり、足の踏み場こそあるものの、脇に避けられたツルハシやスコップ、工具の群が息を殺して横たわっているばかりである。

 灯りなど期待できない。

 寂寞の闇が蹲る。

 ミエコと志乃が持つ懐中電灯だけが頼りだが、豆電球のそれは闇を裂くには余りにもたよいりなかった。

 それでも――。

『……見えるわ、筋が』

 ヒノエの言葉にミエコは安心した。

『千里眼、頼りにしてるわよ』

 と大まかに進む方向を照らしながら頷いた。



 ――きっと生きづらいよね。

 ミエコは不図、彼女の苦労を思った。

 ヒノエは秘術に長けているばかりではなかった。千里眼に口寄せ、そのどちらもが全国組織羅刹の中でも群を抜いて優秀であり、稀代の逸材と滝夜叉姫が褒めそやすのも無理はなかった。

 人の発する意志、或いは残された意志、そういった物が空間中に筋や点となって見える。悪意も善意も、多彩な色を放ちながら、べっとりと空間に染みついているという。

 黒山の人だかりでごった返す街中など、どれほどの意志が縦横無尽に跋扈しているのだろう。想像するのも怖ろしい。人のいない場所でも念が残るなら、今この場は彼女にとって見たくもない色や筋に塗れているのではないか。

 それでもヒノエは毅然と、顔色一つ変えずに思念を見続けている。

 同じ仲間、輩として、その苦労には応えなきゃいけない。ミエコは新調した旧式拳銃(二十六年式拳銃)を確と握り締めながら、ヒノエの後を追った。



『二階ね、何かあるわ』

 得物の錫杖を鳴らさぬよう、ヒノエは静かに正面の階段を指差した。電灯の先にはボンヤリと踊り場と直角に曲がった階段が見えた。

『わしの鼻も匂うとるでぇ。腐ったような臭いじゃ』

 筋肉の塊のような拳をギチギチと締めながら、丸島が鼻を鳴らした。

『丸島さん、もしもの時は』

 伊沢が抑揚のない念話を飛ばすと、『まかしとき』と気丈な答えが返ってきた。



『丸島さんの能力って、なんなの?』

 コンクリート製の階段を踏む度に、コツ、コツと音が鳴る厭な感覚から気を逸らすように、ミエコが率直に訊ねた。先を行く丸島の巨大な背中にライトがチラリと当たった。

『まぁ、見たら一発やから、お楽しみはその時や』

『焦らすわねぇ。事前に能力を開示するのが(ともがら)じゃなかったの?』

 とぼやきが漏れたところで、ヒノエが

『話はそこまでよ』

 と遮った。彼女は階段を上った先でピタリと立ち止まっている。

『……良くないわね』

 二階に辿り着き、銘々がフロアを見渡したところで全員が静かに頷いた。



『いや、これマズイでしょ』



 余りに素っ頓狂な念を零したミエコに、『そうね』とヒノエが返した。

 眼前、二階のフロアはがらんどうの、解体工事の進捗故か、間仕切りの壁も一切ない。見渡す限り闇が蹲り、茫漠たる空間にはヒリヒリと肌を刺す緊張感だけが漂っている。空間を支えるように三本の巨大な四角いコンクリート製の柱が鎮座している。問題は柱を囲む、否、へばり付いているモノだった。



「まさか」

 志乃がライトを照らし、僅かに声を漏らした。

 柱を覆うように設置されているのは解体用の発破――、の上に、黒いゼリー状の何か。滑り、ライトの光を受けても全く輝きを受けない。光源からの照射という物理的、ひいてはこの世の理をも否定する――、それは怪異。



『解体用の発破を覆う怪異、ですか。これはまたいやはや――』

 伊沢が相変わらず外連味たっぷりに扇子を鳴らした。

『怪異を攻撃したら即ドカン――、とはよく考えますねぇ』

『関心しとる場合かいな、伊沢はん!』

 薄ぼんやりとしたライトに照らされた丸島が眉を顰めて振り返った。『解体でけへんやんけ、これじゃ』と、壁のような肩を大きく落とした。

『清祓もない道具じゃ怪異が邪魔。怪異を祓おうとしても下手したら爆発。……えげつないわね。どうする、ヒノエ?』

 ミエコがライトでヒノエの周辺を照らし、言葉を促した時であった。



『……待って。――いる、わ』

 音もない闇。

 徐に錫杖を凛と鳴らした、ヒノエに全員の視線が集まると――、

『正面!』

 少女の力強い叫びが、二階フロアに木霊した。



 三本の巨大な柱。正面一番奥。

 ぐらりと、影が揺れた。

 闇の中の闇、人の(かたち)をした影が三つ。

 ミエコの懐中電灯の、淡く頼りない光が影を舐める。じっとりと赤黒い肌が浮かび上がり、噎せ返るような腐臭が突然にミエコ達の鼻腔に突き刺さった。

「まさか――」

 左手に持った懐中電灯を逆手で照らしながら、その手を支えに二十六年式拳銃の銃口が向けられる。襤褸(ぼろ)(まと)い、真っ黒に変色した(ただ)れた皮膚が闇に融ける。低い呻り声を上げた――死人としか形容しようのない、男の異形、怪異が赤い目を光らせてミエコ達を睨み付けていた。

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