第40話 山川草木皆具意志
「当たり前じゃない。女学生よ」
ヒノエが呆れたように肩を竦めた。
「会うのは初めてだからな。……おっと、志乃も来てたのか」
と、ミエコに続いて入ってきた志乃を見て仮面男は面を上げた。無地に思える真白き仮面は、斜めに入った一筋の黒線、深い溝が瞭然と闇を湛えている。服装は襤褸切れのような継ぎ接ぎで、辛うじて和服の原型を留めていた。
「こんにちは、ソロエ様」と志乃が静かに頭を垂れた。
「あなたが、ソロエ……さん?」
ミエコが恐る恐る訊ねると、
「そうだ。話は聞いてるぜ。神宮司財閥のご令嬢――、しかしまぁ、別嬪さんだな、あんた」
と、意外な言葉をかけられた。仮面には目の穴もなく何も見通せないはずなのに。ミエコは「あ、ありがとう」と嬉しさを言葉にしつつも、異形の様態に声色は沈んでいた。
男か女かも分からない。
年齢も全く分からない。だからどう言葉をかけて良いか逡巡していると、「あぁ、そうか」とソロエが一人得心した。
「この仮面は気にしなくて良い。それに俺の性別も、年も気にしなくて良いぞ」
「え……?」
益々奇異の念が深まりミエコは声を漏らしたが、
「俺は男でも女でもない。……いや、分からねぇんだ。分かったところで興味もネェが」
と、余りに飄々とした答えが返って来た。
「興味がない?」
「おう。どうでもいい。俺がいつ生まれたのか、いつから此処にいるのか、男なのか女なのか、ガキか老人か、どうだっていい。俺は――」
――この可愛い武器達を愛でられれば、それでいい。
絶句し、あんぐりと口を開けたミエコを見て、
「どうやら面食らってるようね」
と、ヒノエが苦笑いを浮かべた。
「面なだけにってか?」
「誰が上手いこと言えっていったのよ」
ヒノエが肩を竦めたところで、ソロエは相変わらず嗄れた声でケラケラと笑った。
「まぁどうでもいいが、すぐに馴れるだろ。鬼だ化け物ばかり見てるんだろ? お嬢ちゃん。化け物退治に必要な銃を探しに来たんだろ?」
「――そうよ」
ミエコは静かに頷いた。
今まで戦ってきた鬼や化け物、異形の怪物に至るまで、薄々感づいていたことがある。
「……私、射撃ってそんなに上手くないの。だからせめてコントロール出来る小型拳銃どまり。でもそれじゃ、デカい鬼も、固い怪物も倒せないわ。小銃は大きすぎるし、今の拳銃じゃ――」
誰も救えないかも知れない。
ヒノエも、志乃も、中宮も――。
そんなのは厭だ。
瞼を閉じて思い出される激闘の数々は、押し並べて超近距離の、まるで格闘するような距離感である。外すといけない。でも近すぎるとこっちも危ない。魃を討伐した時は、皆の援護があったから何とか出来たんであって、一人で戦うには――。
ミエコは逡巡し、視線を周りに滑らせた。
薄墨色の闇の只中に白熱灯の輝きが――、小銃や拳銃の銃口、銃身を鈍く浮かび上がらせている。まるで死蔵された保管庫の有様なのに、一つ一つが今にも火を噴きそうな程に滾って見える。何が滾っているかもミエコは分からないが、一人、ソロエは喜喜と声を上擦らせた。
「おぅおぅ、良いじゃネェか。その心意気やよし。嬢ちゃんなら――、大丈夫だろう」
どっかの莫迦と違って使い捨てにはしねぇだろ、と口汚く誰かを罵った。
「……誰のこと?」
「莫迦は莫迦だ」
「だから誰よ」
ほんの僅かに語気を強めると、ソロエは首を傾げながら、
「……近堂だよ。ろまねすくのマスターやってる、あの野郎だ」
といった。
「えっ!」
と声を漏らしたミエコは、思わずヒノエと志乃に視線を流したが、二人とも肩を落としていた。
「な、なんでよ? 良い人でしょ? マスター」
「いんや、良い奴じゃない」と、感情が毫も読めない仮面の下から、確りと感情を滲ませながら声を荒げた。
「あの野郎、澄まし顔でモノを壊しやがる。確かに怪異と戦うんだったらよ、武器は壊れちまう。そりゃ仕方ねぇ。……けどよ! 派手にやり過ぎなんだ、あいつは! 折角丹精込めて揃えたこいつらが、あっという間に壊されちまう。俺にとっちゃ極悪人だぜ!」
――あー、なるほど。
ミエコは二人が肩を落とした理由を漸く理解した。投げかけるべき視線は憐憫か怒りか、無関心か寸時悩んだミエコであったが、当のソロエは「いいかい、嬢ちゃん」と、微塵も気にかけることなく言葉を続けた。
「モノにも意志はあるんだぜ。扉も板も、電信柱も、こんなボロ服にだって、だ。山川草木全てに意志がある」
森羅万象全てに神が宿る。
言われなくても肌感覚で理解している。
近代合理主義の万歳喚呼に耳が腐ってなければ、確かに聞こえてくる。怪異も、怪異にならない程度の囁きも、輝きも――、肌をなぞる霊的な感覚を思い出しながら、「それは分かるわ」と肯った。
「だからよ。……武器にもあるんだぜ、意志が」
「武器の、意志?」
おうよ、と声色明るく頷くとソロエは「こいつをプレゼントするぜ」と、カウンターの下から木箱を取り出した。
古い木箱だったが、なんてことはない。ソロエは颯と蓋を開け、中に被せられていた覆いを取っ払った。目に飛び込んで来たのは、無造作に置かれた一丁の拳銃だった。
――見たことがある。
鈍くくすんだ黒光りを銃身に湛え、特徴的な撃鉄が垂直にそそり立つ。
地下の訓練場で何度か射撃したこともある。国産回転式拳銃の一つで、今では既に旧式化していた。陸軍や海軍が使っている自動拳銃とは異なり、街中の警官が腰にかけているのを見た覚えがあった。
「二十六年式拳銃?」
「ご名答。だが――」
こいつはちょっと特別でな、とソロエは前屈みになった。
「こいつは人道銃だ」
「人道銃?」
「そうだ。この拳銃はな、――あの226事件の時、鈴木貫太郎侍従長を撃った反乱軍の銃なんだぜ」
ミエコは思わず眉を顰めた。事件は勿論知っている。どういう帰結を迎えたかも知っている。しかし――。
「なんでその銃が此処に……って、いえ、愚問ね。でもなんで人道銃なの? ……まさか」
ソロエがくくっ、と笑った。
「その通り。銃の意志により、鈴木貫太郎は命を取り留めた。……はは、可笑しいか? 人を殺したくないっていう銃もいるんだぜ」
そんな――、と続けようとして、ミエコは言葉を飲んだ。
銃は弾を撃つ為に作られた。弾は対象を傷つける為に作られた。その対象が人であれ動物であれ、生きとし生けるものを傷つけ、殺す為に――。なのに、これはそうじゃない。
「いいかい嬢ちゃん。その銃は人間を殺すことは出来ない。優しい子なんだよ、そいつ。だからな、――耳を傾け、心を溶かし込め。本当に撃つべき悪、怪異にはきっと力になってくれる子だよ、こいつは。……あんたは優しい人の道を行け。俺は影ながら応援してるぜ」
薄暗い店内、天を仰いだソロエの仮面が白熱灯の光を受け、眩しいくらいに輝いていた。




