第18話 人並みの世界、くそくらえ
「そもそも――だ」
米次郎は俯いた顔を上げ、ミエコに重く優しい眼差しを向けた。
「この国に限った話じゃない。歴史の陰部で怪異は跳梁跋扈し、人間を永きに渡って傷つけてきた。日本では――、土蜘蛛退治などが分かりやすいな。時の朝廷や幕府に協力しながら、決して表には出ず、粛々と闇から闇に怪異を討滅してきた」
――あの迂遠で聞くに堪えない弁士と同じ話。
――あの何もかもを斬り捨てる冷たい女と同じ話。
「連綿と続く怪異との争い……、聞いてますわ」
「ならば話が早い。ただ、我が神宮司家は彼ら『羅刹』を支える異能の家系なんだ。歴代の当主達……、ご先祖様は軒並み『羅刹』の構成員、輩として協力してきた」
――ともがら。
「それは……」
「形は様々。怪異を直接討滅する者、資金を援助する者、朝廷や幕府と折衝する者、偽書を回収し偽の風説を流す者……、皆輩として、国家鎮護に協力してきた。我が神宮司家は――」
米次郎が僅かに言い淀み、呼吸を整えた。
「主に邪を討滅する役目だ。数代前までは組織内でも強烈な異能が輩出されていたのだが――、ここ最近はめっきりだ。怪異と戦えるほどの異能など、ほとんどいなかった」
背筋に悪寒が走った。
「……私が」
「そうだ。怪異を認め、穿ち、殴る人間なんて其程いる訳じゃない。――にも拘わらず怪異は手を変え品を変えて人間に危害を加え続けている。常に人材不足の『羅刹』を維持すべく、それらしい人間を監視して異能の覚醒を待つ――、それも彼らの仕事の一つだ」
万年人手不足。
伊沢の言は『戦える人間を増やす』だったが、人材枯渇とは。伊沢の僅かばかりの虚勢だったのだろう。
「確かに我が一族は異能の家系だ。しかしな、強烈な――、となると実は少ない。だから『羅刹』内部でも傍流でしなかなった。……ヒノエ君を見ただろう? 彼女は言わば天才の類いだ。家筋も強烈な異能だらけだ」
少女の冷たい面影を思い起こせば――、然もありなんと内心で得心した。
「でも、人として難がおありでは……?」
その言葉に志乃だけがクスリと笑った。
「……私は語る舌を持たん。しかし、我が一族でも極稀に強烈な異能を輩出することがある。それが――、お前の母さん、神宮司ヒロだ」
「お母様……」
ミエコの瞳が静かに沈んだ。
母の記憶らしい記憶なんてない。
尋常小学校に入る頃には既に故人であり、中々家に居なかった母ヒロの事で朧気に覚えているのは『母の笑みと温もり』――、ただ其れだけであった。一緒にデパートに出掛けたことも、ハイヤーに乗ったこともない。通り一遍の体験がないまま、片親、そして志乃を母代わりに育った。
「早世したヒロは、ヒノエ君にも引けを取らない天賦の才を持っていた。だが事故で――」
其処まで言葉を紡いだところで、今度は米次郎の瞳が暗く沈んだ。
「……お母様は、事故で亡くなったはずでしたわ。まさか、それも」
「いや、嘘ではない」
卒然、きっぱりと言い切った。
「交通事故で亡くなったのは本当だ。怪異と戦ったりして亡くなった訳ではない。今でもその才を惜しむ声は多い。……だからこそ、だからこそ」
米次郎が僅かに声を震わせ、ミエコを優しく見つめた。
「姫は美映子、お前に目を付けたのだろう。ヒロの異能が継がれた可能性があると思って――」
ミエコは薄ぼんやりとした白熱灯に照らされた己の拳をじっと見つめた。
――拳から溢れる光。
異能の証明。
思い出し念ずれば、確かに滲む、清祓の力。
「これが――」
「そう。ヒロにも力があった。彼女の異能は他にもあったが――、少なくとも拳で怪異を退かせる程の力がある以上、既に凄まじい力なのだ」
米次郎が頗る残念そうに項垂れた。
「お前には、母さんのように怪異と戦って欲しくなかった。……せめて人並みの世界で」
その言葉。
その言葉が耳に届いた時、ミエコは突沸するように頭に血が上るのが分かった。
「――お父様! 何を言ってるの!」
三度机を強く叩いた。
突然の打音に米次郎の身体が僅かに跳ねた。
「私を助けてくれたのは志乃なのよ! ……志乃の力は分からないけど、志乃が怪異と戦ってくれなかったら私はゼッタイ死んでたわッ! その志乃の前で、よくそんなことが言えるわねッ!」
「お嬢様……」
「志乃は黙ってて!」
吼える若き乙女に志乃も尻込みするしかない。
「お父様の言う『人並みの世界』って、何も知らずに鳥籠の中で安穏と暮らすこと? このクソみたいな戦争が始まって、規制だらけの碌でもない世の中になっていく中で、忍び寄る怪異から目を背けて、金で平穏無事を買うのが――、人並みなの⁈」
紅潮し、乙女らしからぬ罵詈雑言を吐いているのは分かっている。でも言わなきゃ気が済まない。
「そんなのゼッタイに嫌だわ。私の力が――、誰かを助けられるなら、私は喜んで戦うわ。何も知らない、何も出来ない人並みの世なんて、クソ食らえよッ!」
今、この命があるのは志乃のお陰。
助けてくれた志乃に申し訳が立たない。
乙女の絶叫に米次郎が観念したように銀糸を揺らした。
「……そうだったな、美映子。お前に深窓の令嬢なんて似合わないな。お前は自由じゃないと気が済まない御転婆だからな」
――そう言ってもらえて嬉しい。
――そう言われて悲しい。
アンヴィヴァレントな乙女心に揺れながら、ミエコは静かに俯いた。




