おれのクローン
「あっ」
「えっ、おっ」
先に気づいたのは向こうだった。おれたちは足を止め、互いをじっと見つめ合った。
通行人と肩がぶつかり、二人とも苦笑いした。向こうが指で『あっちで少し話そう』と合図を送り、おれたちは駅構内の人混みを縫って壁際まで歩いた。
向こうが口を開きかけたので、おれは慌てて「あー、よう」と声を出した。先に話を切り出したかった。向こうに先に気づかれたことが少し悔しかったのだ。『おれがオリジナルなのに』と。
「ああ、どうも」
おれのクローンは照れくさそうに笑った。
現代、少子高齢化の問題はクローン技術の普及によって解決され、人口は爆発的に増えていた。
クローンは政府がランダムに選んだ人間の遺伝子情報を元に作られる。ただ、元となる人間の数が膨大なため、おれは自分のクローンに出会ったことがなかった。周りの同僚や友人たちが「自分のクローンに会った」と自慢するのを聞いていただけに、こうして自分のクローンに偶然出会えたことが、妙に高揚感をもたらしていた。
「しかし、この人混みの中でよく気づいたな」おれはクローンに言った。
「ああ、それはそうだ。自分だもの」
クローンはそう言いながら、首の後ろにあるバーコードを掻いた。クローンたちには必ず、目立つ位置にバーコードのタトゥーが入れられているのだ。
「ああ、確かに、ははは!」
「はははははは!」
「いやあ、自分のクローンと会うのは初めてなんだよ。ありがとう!」
おれは手を差し出し、クローンと握手を交わした。
「ははっ、ありがとうの意味はよくわからないけど、おれも会えて嬉しいよ」
「ふふっ、ああ、他のおれのクローンも近くにいたりしないかな? 同じ職場にいたりするんだろ?」
おれは歩く人の流れに目を向けた。クローンではないのに表情がみな似通っていて目がチカチカしてくる。
「いや、おれたちは育った場所は同じだけど、それぞれ別の場所に配属されるんだよ」
「え、そうなのか。それはちょっと寂しいな。兄弟みたいなものだろ? 会えないのか?」
「ああ、禁止されてるわけじゃないけど、わざわざ会いに行くこともないな」
「そうか……。まあ、ネットで通話できたりするしな」
「いや、おれたちはネットを使えないよ」
「え、そうなのか? いや、はははっ、別に難しいことじゃないだろ。教えてやろうか?」
「いや、クローンだからさ。ネットの使用は規制されてるんだ」
「え、そうなのか……まあ、ネットが使えなくても娯楽はあるしな。最近このあたりにも新しい娯楽施設ができたんだ。今度、一緒に――」
「ははっ、嫌味か?」
「え?」
「ああ、本当に何も知らないんだな」
クローンはため息をついた。
「おれたちはな、ショッピングモールや娯楽施設にも入れないんだ」
「えっ……でも、クローン禁止の看板なんて見たことないぞ」
「ああ、そうじゃなくて、あんたのクローンは入れないんだ」
「え、おれのクローンだけ? どうして?」
「あんたの能力が低いからだろうが!」
クローンが突然声を荒げたので、おれは驚いて仰け反った。それを見たクローンは、ふんと鼻で笑った。あからさまにおれを馬鹿にしたような笑いだったが、笑ってくれたことにおれはほっとした。
「元となった人間の能力が低いと、クローンの自由も制限されるんだよ。仕事もな」
クローンはそう言った。そういえば彼は小汚い作業着を着ている。どこかの清掃員なのかもしれない。
「おれたちクローンは、育つ速度が早く、すぐに労働力として社会に出されることは知ってるよな? 生まれてすぐに教育を受け、テストで能力が低いと見なされれば、待遇の悪い仕事に回される。能力が高いクローンは今後も量産され、いい仕事につけたり、結婚の自由まで与えられるんだ。ああ、能力っていうのは、頭の良さや運動神経だけじゃない。顔やコミュニケーション能力も含めてのことさ。まあ、コミュ力は頭の良し悪しが関係すると思うがね」
クローンは捲し立てるようにそう言って、軽くおれの額を指で突いた。
「お、落ち着いてくれよ……」
おれは震えながら言った。クローンは今にもおれを絞め殺しそうな雰囲気を漂わせていた。
「何度あんたを恨んだことか……もし、会ったら……」
「あ、会ったら……?」
「この手で……」
「あ、ああぁ!」
おれは踵を返し、人混みに逃げ込もうとした。だが、慌てすぎたせいか足がもつれ、盛大に転んでしまった。
「邪魔だよ!」「何してんだよ!」「チッ!」
頭上から怒声が降り注ぐ。早く立ち上がらなければ、クローンに殺される。だが、恐怖のあまり足に力が入らない。ああ、そうだ。あのクローンの言うとおり、おれは能力が低く、臆病なんだ。情けない自分に泣きたくなった。
「なーにやってんだよ。情けないなあ」
突然、ぐいっと腕を引かれ、抱きかかえられるようにして立ち上がらせられた。声の主はおれのクローンだった。言葉は冷たいが、その声には優しさがあった。
「あ、ありがとう、あと、す、すまなかった……!」
「いいんだよ。ふふっ、まさか本気でおれに殺されると思ったのか?」
「あ、ああ……」
「無理なのに、それも知らないのか。少しは勉強したらどうだ? クローンにはセーフティ機能がついてるんだ。犯罪行為をしようとすると、吐き気や頭痛が起こるんだよ。前に一度経験したが、あれはひどいもんだぞ」
「あ、ああ、そうだったな……すっかり忘れてたよ」
「じゃあ、これも知らないだろうな。おれ、月に行くんだよ」
「へ? 月?」
「そう、地球の人口は今、すごく増えてるだろう? だから月にコロニーを建設して、移住計画が進んでるんだ。たぶん、ニュースでやったことがあると思うぜ」
「あ、そういえば聞いたことがあるような、ないような……」
「まったく、だらしないなあ……だが、おかげでおれは建設作業員として月に行けるんだ。ま、感謝してるよ」
「え、でも、宇宙飛行士の訓練とかあるんじゃないのか? 厳しいやつが……」
「おれには無理だって? ははは、おいおい、民間人が月に行ける時代に何を言ってんだよ」
「あ、そ、そうだな。高くて無縁な世界だったからさ……」
「まあ、そういうわけだから、じゃあな。次に会うのは月かもしれないな」
クローンは軽く手を振り、人混みに消えていった。
その姿を見送りながら、おれは考えた。おれのような能力の低い人間から生まれたクローンですら、月の建設作業に駆り出されるくらいだから、危険な仕事なのだろう。おそらく、使い捨てのように扱われるのかもしれない。
でも、彼はそれを承知の上で向かっていく。別れ際のあの笑顔が物語っていた。『それでも楽しみなんだ』と。
「クローンに先を越されたな……」
おれはそう呟いたあと、背筋を伸ばし、再び歩き出した。