エピソード1-2:霧島琴葉
霧島琴葉、23歳女性。
身長165センチメートル。引き締まった体格。長い髪は後で結っている。
眼鏡をかけているが、矯正視力は1.0を超えており良好。
心身ともに健全な女性だ。
そんな琴葉は今年警察官になり、二ヶ月前に退職した。
警察学校の卒業後に配属されたのは、地元警察署だった。
「霧島琴葉巡査以下2名、本日より着任します!」
琴葉は同期の代表として、署長に着任申告を行った。
警察学校での成績も上々。
幼い頃から正義感が強く、大人になったら困っている人を助ける職に就きたいと思っていた。
そして選んだのが、警察官という職業だった。
生活安全課の内勤となって、仕事に慣れ始めた頃、一人の中年女性が署に訪れた。
「あの……以前に提出した捜索願のことなのですが」
憔悴した面持ちの女性だった。
琴葉が担当の署員に取り次ぐと
「ああ、外対応ね」
溜息混じりに呟いて、担当者は女性と別室に入っていった。
琴葉は通常業務に戻ったが、廊下を挟んだ部屋からは女性の叫びが聞こえた。
「本当に探してくれてるんですか!」
「それはちゃんとやってますから。何かあったらお母さんに連絡しますので……」
担当者が宥めても、女性が落ち着く様子はなかつた。
「そう言って……もう半年も経ってるじゃないですか! だいたい……本当に受理してくれたんですか?」
「捜索願はちゃんと受理しています。お気持ちは分かりますので──」
「あなたに私たち家族の……! なにが分かるんですかァっ!」
聞くつもりがなくても、どうしても耳に入ってきてしまう。
無意味な応酬は30分ほど続き、やがて女性が早足で退室した。
琴葉が横目で伺うと、女性が帰っていくのが見えた。
顔を真っ赤にして、目に涙を浮かべていた。
琴葉は気になって、担当者に訊ねてみた。
「あの、さっきの人はいったい……?」
「ああ、アレは外対応でね……」
「ガイタイオウ?」
意味不明な言葉だった。警察学校でも習ったことがない。
担当者は、少しばつが悪そうに頭を掻いた。
「一種の隠語だよ。つまり、その……マトモに対応しなくて良い事件ってこと」
「捜索願は受理したんですよね?」
「ああ、娘さんが半年前から行方不明で……」
「なら、我々警察には捜査の義務があるはずです!」
琴葉は整然と反論したが、担当者は苦笑いを浮かべていた。
すると、後ろから課長が口を挟んできた。
「みんな最初はそう思う。霧島くんも……じき分かる」
達観……というより、何か諦めたような口調だった。
それは人生の壁にぶつかり、個人の限界を知り、全てを冷笑しながら諦観の中で朽ち果てていく、大人の成れの果ての言葉。
社会人として駆け出しの琴葉は、課長の真意を知る由もなかった。
琴葉は、希望と熱意に満ち溢れていた。
誰も動かないなら、自分で動くつもりだった。
手隙の時間に、隣の刑事課を訪ねた。
「あの、ガイタイオウの事件についてお訊ねしたいんですが……」
一瞬、刑事課の面々が琴葉を凝視して、すぐに自分たちの仕事に戻った。
まるで幽霊が見えているのに無視しているような、不自然な態度だった。
「あのぉ……」
琴葉が再び聞こうとすると、アフロの刑事が席から立ち上がった。
「キミ、新任の子だっけ?」
「あ、はい。生活安全課の霧島──」
名前を言いかけて、アフロ刑事が小走りに寄ってきた。
「あまり大声で口に出すな……」
アフロ刑事が耳打ちした。
「えっ、なにを……」
「外対応ってワードだ」
アフロ刑事は周囲に気を配りながら、琴葉を刑事課の隅に誘導した。
「いいかい、霧島巡査。どんな業界にもタブーがある。たとえば禁止用語。テレビにもマンガにも小説にも載せちゃならん言葉がある」
「それがガイタイオウ……ですか?」
「隠語は部外者に意味を悟られたらダメなんだ。みだりに口に出すなってことだ」
「でも、私どんな意味かも知りませんし……」
アフロ刑事は「むう……」と言葉に詰まった。
そして新人教育と思って意を決したのか、小声で呟いた。
「外対応は……外惑星人事件対応の略だ」
「は……?」
「つまり宇宙人がらみの事件。そいつに俺たちは対応できないってことだよ」
アフロ刑事は苦虫を噛み潰したような顔をした。
一方の琴葉は、対照的な表情に変わった。
「どういうことですか、それ! 宇宙人の事件? 女の子が行方不明なのに、我々は何もしないっていうんですか!」
琴葉の感情は爆発した。
大きな声でアフロ刑事に食ってかかる。
「私たち警察の仕事は……市民を守ることですよね? なのに宇宙人が関係してたら見殺しにするんですか!」
「霧島くん……」
「そんなのおかしいですよ! 間違ってますよ!」
「霧島巡査!」
アフロ刑事の両手が、がっしと琴葉の肩を抑え込んだ。
感情と肉体を圧迫され、琴葉は我に返った。
刑事課の面々は、一様に苦い顔をしていた。
アフロ刑事も同じだった。
「言いたいことは良く分かる。とても分かる。だけどね……これは我々にも、どうしようもないんだ」
「どう、しようも……ないって……」
「我々は社会の小さな歯車だ。大きな歯車には逆らえない」
諭すように、諦めたように言って、アフロ刑事は自分の席に帰っていった。
琴葉たちも刑事たちも大きな歯車によって動かされる小さな歯車に過ぎず、その逆は出来ない。
これを無視して強引に動かそうとすれば、歯車は壊れてしまう。
壊れずに歯車の仕事を定年まで全うしたければ、トルク比に逆らうな──というわけだ。
それから一か月後、件の中年女性が再びやってきた。
尋常ではなかった。
彼女は目の据わった表情で、警察署の窓口に大量の紙をぶちまけたのだ。
「ネットで見ましたよォ! 宇宙人の関わった事件は警察は捜査しないってねェ!」
女性が持ってきた紙は、ネットで宇宙人関係と思われる未解決事件を取り上げたサイトをプリントアウトしたものだった。
客観的に事件を調査した記事もあれば、陰謀論めいたトンデモ記事もある。手当たり次第といった感じだった。
「あんたたちは私の娘を見殺しにしたんだ! 娘はとっくに殺されてるんだ! 宇宙人にィ! あのバケモノどもにィィィィィィ!」
女性は狂乱していた。
ついには窓口を乗り越えて、署員に掴みかかろうとした所を取り押さえられた。
琴葉は、それを見ていることしか出来なかった。
女性には最初、署員たちも同情していた。
そのため、最初は説得してそのまま家に帰した。
だが、女性はまたやって来た。
今度は拡声器を持ち、全身に宇宙人と警察を告発する文章を張りつけた姿で。
「人殺しィィィィィィ! こいつら警察と宇宙人はグルだ! 私の娘はァァァ! こいつらに殺されたんだァァァァァァァッッッッ!」
血を吐くような叫びが、ガンガンと警察署の窓ガラスを揺らした。
女性は絶望と悲しみの果てに、正気を失っていた。
毎日警察署に襲来するようになった女性は、三日目に逮捕された。
「人殺しィィィィィィ! ちくしょぉぉぉぉぉぉぉ! 娘を返せェェェェェェェ!」
担架に拘束され、救急車に運び込まれるまで、女性は叫び続けていた。
女性は二度と警察署に現れなかった。
以来──琴葉は深く思い悩むようになった。
仕事中も、家に帰ってからも、あの女性のことが頭から離れなかった。
「あの人がおかしくなったのは……誰のせいなんだろう。私たちは……何もしてあげられなかった。何かしようともしなかった。それで良かったの? 本当は助けられたんじゃないの? あの人も、あの人の娘さんも……」
眠る直前まで、布団の中で自問自答と後悔を繰り返していた。
悩み苛み、苦しんだ果てに──
琴葉は辞表を提出した。
「霧島くんは……警察には向いてなかったのかもねえ」
課長はそれ以上は何も言わず、辞表を受け取った。
秋の始めのことだった。
それから、歯車から外れた琴葉の新しい日々が始まった。
警察では救えなかった人達を救うための挑戦だ。
自分で宇宙人関連の事件を捜査をして、少しでも糸口を掴みたいと思った。
手がかりはSNS上の噂だ。
不可解な事件には宇宙人関連のウォッチャーが張りつき、良く話題に挙げている。
「連続行方不明事件……か。それっぽいよね」
スマホでSNSのスレッドをスクロールしたり、動画や画像をチェックする。
『現場で良くトラックが目撃されてる。荷台が怪しい』
『トラックが宇宙人なんでしょ』
『トラックから変型する宇宙人は正義側だろ』
『轢かれて異世界に転移してるだけ説』
『赤井――! はやくきてくれーー!』
好き放題にコメントされているので真偽は不明だ。
琴葉は初任給と貯金で買った、安物の軽自動車のハンドルを握る。
「よしっ! じゃあ、いこっか!」
警察を辞めてから二ヶ月。
季節は変わり、琴葉の運命もまた、変わろうとしていた。
行方不明事件が頻発すると噂される夕方。
日が落ちて辺りが暗くなった下校路で、琴葉は運命と遭遇した。
「死ねオラァ───!」
狂ったように叫ぶ男が、路上でトラックの運転手に飛び蹴りをかましていた。
「なっ……?」
意味不明な光景に、琴葉は絶句した。
「ユーダイッ! ユゥッダイ!!」
男は何故か英語で殺す殺すと連呼しながら、転倒した運転手の腹を蹴りまくる。運転手は「うごっ、ぼえっ……」と言葉にならない声で悶絶していた。
琴葉は、執拗に攻撃を続ける男の顔に見覚えがあった。
「あの人まさか……頭おかしい配信者の……赤井通……?」
これが赤井通と霧島琴葉の、最初の接近遭遇だった。
●アフロ刑事…アフロやパーマをかけた男性刑事はどこの警察署にも高確率で在籍している。恐らく「アフロ枠」的な特別待遇枠があるのだと考えられる。