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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

或る悪役令嬢の生涯

運命の鎖 ~悪役令嬢、誕生~

作者: 曲尾 仁庵

 薄暗い地下室は淀んだ空気に覆われ、吐き気がするような生臭いにおいが充満している。熊に似た魔獣が血走った目を剥き、よだれを垂らして低くうなり声を上げていた。魔獣は首輪で鎖につながれ、その爪がこちらに届くことはない。それでも、その正面に立つことは五歳の少女にとって過酷な経験だろう。


「……こわ…い……です……かあさま……」


 少女がか細い声で助けを求める。しかし、『かあさま』と呼ばれた女性はひどく冷淡な声音で応えた。


「あなたは怖がってはなりません」


 女性は腕を組んだまま全く動く気配がない。少女の身体がカタカタと震え、その目から涙がこぼれる。


「あなたは泣いてはなりません」


 凍える言葉が少女を鞭打つ。肩がビクリと跳ね、少女は慌てて涙を拭った。女性は無感情に少女を見据える。


「あなたは、『悪役令嬢』なのだから」


 その名は縛る鎖のように少女に絡みつく。束縛に抗うように魔獣が大きく吠え声を上げた。




 悪役令嬢、と呼ばれる乙女たちがいる。彼女たちは生まれてすぐに王家と『婚約』を交わし、生まれながらに闇の中で生きることを強いられ、戦いの技を覚えることを強いられ、王家に尽くすことを強いられ、戦いに死ぬことを強いられる。道具として、兵器としての生、それ以外が彼女たちに認められることはない。たとえ幼子と呼ばれる年齢であっても、立って、歩くことができるのなら、戦って、そして勝つことが彼女たちには義務付けられている。




「戦いなさい、ブリギット。戦わぬなら死なねばならない。立っている限り、悪役令嬢は戦わねばならない」


 義務を説く女性の声音に情愛はない。ブリギットと呼ばれた少女はぎこちなく戦いの構えを取ったが、その身体は震えを隠せてはいなかった。魔獣が再び吠える。


「戦いの術は教えた。後はあなたの選択よ。勝って生きるか、負けて死ぬか。自らの望みを果たしなさい」


 女性が軽く腕を振り、巻き起こされた真空波が魔獣を捕えていた鎖を断ち切った。キン、という硬質な音が絶望的な運命を告げる。もはや魔獣を拘束するものはない。目の前に据え置かれた餌に向かって魔獣は大きく口を開けた。




 ブリギットの三倍を超える巨体が右前足を振り上げた。その爪が鈍く光る。ブリギットは魔獣を見上げた。狂気に染まる瞳がブリギットを見返す。身体の震えが、止まった。


――グォォォーーーーーッ!!


 咆哮と共に魔獣の太い前足が振り下ろされる。ブリギットの目から感情の光が消え、幾度も繰り返した訓練の通りに身体が動く。ギリギリの距離で魔獣の攻撃をかわし、ブリギットの右手の爪が鋭く尖った。魔獣の前足が床を打ち、ズシンと地下室が揺れる。ブリギットの右手が水平に走った。


「リステル流闘術、裂法の二『偃月』」


 半分に欠けた月の形に似た光跡を残し、ブリギットの爪が魔獣の足を切り裂く。赤黒い血が噴き出して少女の全身を染めた。怒り狂った魔獣がその牙をむき出しにして彼女を喰いちぎらんと迫る。生臭い魔獣の口を充分に引きつけ、ブリギットは右の足を跳ね上げた。


「リステル流闘術、蹴法の一『躍兎(ヤクト)』」


 魔獣のあごを砕いた一撃はその巨体を床から浮かせる。無防備な姿を晒す魔獣を前に、ブリギットの瞳が鋭い光を放った。左足を支点に身体を回転させ、ブリギットの右の踵が魔獣の右頬に突き刺さる!


「リステル流闘術、蹴法の二『象鼻(ゾウビ)』」


 潰れ砕ける音と共に魔獣が吹き飛び、どうと地面に倒れた。魔獣は弱々しく鳴き声を上げる。血溜まりに伏せてひゅうひゅうと息をする魔獣に向かってブリギットは半身を引き、裂帛の気合の声と共に右の拳を突き出した。


「リステル流闘術、射法の二『(ツラヌキ)』」


 細く研ぎ澄まされた殺意が魔獣の心臓を貫く。身体をのけぞらせ、長く掠れた鳴き声を残して魔獣は息絶えた。おびただしい血が床を染める。ブリギットはハッとした表情を浮かべた。まるで何かを思い出したように身体が震え始める。呼吸は浅く早くなり、ブリギットは手で口を押さえた。


「今、感じた気持ちを覚えておきなさい」


 女性は淡々とブリギットに告げる。ブリギットは蒼白な顔で苦しげに息をしている。


「それが、命を奪うということ。悪役令嬢が戦うとき、この世から必ず命が消える。けれど悪役令嬢はただ命を狩る死神ではない。奪った命を己に刻んで、悪役令嬢は誇りと品格を保ち続けねばならない」


 ブリギットが床に広がる魔獣の血溜まりに膝をつく。粘性を帯びた水音が響く。女性の声は凍えるように冷たい。


「あなたは選択した。勝って生きることを。ならばブリギット、奪った命を背負って立ちなさい。あなたは今、その責務を負ったのよ」


 ブリギットはうつむき、自らの肩を抱く。その背に負ってしまった重みに耐えるように。




 ファーガス王国の始祖、『偉大なる』ファーガスは彼を支えた悪役令嬢に爵位を与えたという。それに倣い、悪役令嬢となった者には例外なく爵位が与えられる。王家より賜った爵位を守るために悪役令嬢は己の技を磨き、磨いた技を子々孫々に継承する。リステル伯爵家もその例外ではなく、当代最強の悪役令嬢と呼ばれた現当主キルデアは今、彼女の娘であるブリギットに全ての技を伝えようとしていた。




「リステル流闘術、射法の八『風花(カザハナ)』」


 ブリギットが練り上げた闘気が風に舞い、光を反射してキラキラと光る。幻想的な風景を生み出す雪の花は、しかし触れれば心の臓までも凍らせる死の花弁だ。ブリギットに対峙する女性――リステル伯爵家当主キルデアは迫る花弁に対して無造作に拳を繰り出す。


「リステル流闘術、打法の六『(ショウ)』」


 拳に宿った凄まじい熱量が大気を歪ませ、雪の花を消し去っていく。蒸発した雪が薄く煙となって広がった。ブリギットが驚愕に目を見開く。『焦』は闘気を熱に変えて拳に宿すが、『風花』と比べれば格下の技だ。こうも容易く『風花』を消し去るのなら、それは技を繰り出した当人の実力の差が相当にあることを示している。


「もう終わり?」


 キルデアはつまらなさそうに鼻を鳴らした。ブリギットはキルデアをにらみ、地面を蹴って距離を詰める。キルデアの懐に飛び込んだブリギットは左の拳で脇腹を狙った。キルデアは身をやや屈めて右の肘でそれを防ぐ。下がったキルデアの顔にブリギットの右拳が迫る! キルデアはのけぞってそれをかわし、わずかに前に流れたブリギットの身体にカウンター気味の右フックを放った。まともにそれを食らい、ブリギットが弾かれたように後退する。瞬間的に意識を失ったのだろう、ブリギットは棒立ちになる。


「リステル流闘術、打法の九『(カイ)』」


 キルデアのつぶやきと共にその拳が仄かな光を放つ。触れるものすべてを始まりの混沌へと還す原子の光――破滅の気配に意識を取り戻したブリギットが身を縮め、腕を交差して守りの構えを取る。キルデアは防御などまるで構わぬ様子でブリギットの腕に拳を叩きつけた。ブリギットの身体が大きく吹き飛んだ。地下室の壁に強かに背を打ち、ブリギットがうめき声を上げる。


「『封』を使ったのはいい判断ね。そうでなければ死んでいた」


 賞賛にしては淡泊な声音でキルデアは言った。ブリギットは憎らしげな視線をキルデアに返す。リステル流闘術、受法の七『封』。悪役令嬢が操る闘気によって引き起こされる超常の力を無効化する防御の技だ。しかしそれは闘気を無効化するのみで、拳による打撃を打ち消すわけではない。ブリギットは苦痛に顔をゆがめた。キルデアの拳を受けた左腕が、おそらく折れている。


「それで?」


 路傍の石を見る目でキルデアはブリギットを見る。


「もう、終わり?」


 ブリギットが強く奥歯を噛んだ。




 魔獣の命を刈り取ったあの日から九年の月日が経ち、ブリギットは十四歳になっていた。修行に明け暮れる彼女に平穏はない。キルデアは急くように過酷な試練を彼女に与え、夜には死と紙一重の眠りが訪れる毎日はブリギットに兵器としての着実な実力を身に付けさせていた。しかし、成長の途上にある彼女の身体は悪役令嬢としての真の覚醒に至らず、キルデアの足元にも及ばぬ己の拳に歯噛みする日が続いている。




『我が右手は全てを切り裂き』


 キルデアをにらみつけ、ブリギットがつぶやく。


『我が左手は全てを貫く』


 ブリギットの腕の筋肉が膨張し、瞳が狂気を帯び始める。キルデアは小さくため息を吐いた。『闘傷』と呼ばれる蒼い痣がブリギットの顔に現れる気配はない。


『崇めよ! ひれ伏せ! 我、悪役令嬢なり!!』


 叫びと共にブリギットはキルデアに襲い掛かる。


「リステル流闘術、裂法の(つい)穿海(センカイ)』!」


 研ぎ澄まされた手刀がキルデアの喉に迫る。キルデアはわずかに身をよじってそれをかわし――首の皮が浅く裂かれて血が滲む。キルデアは一瞬、驚いたような表情を浮かべ、その一瞬だけ反応が遅れる。ブリギットは手刀を横に払った。キルデアは身を沈めてそれを避ける。打ち込まれたブリギットの右の膝に対し、キルデアは高く跳躍して空中で前転すると鋭く踵を打ち下ろした。鎖骨の折れる音が響き、ブリギットは苦悶の表情で膝をつく。左の腕がだらりと下がった。


「終わりね」


 キルデアは冷たくブリギットを見下ろす。ブリギットはキルデアをにらみ上げ、その言葉を否定するように立ち上が――ろうとして、そのまま前のめりに倒れる。限界だったのだろう、ブリギットは気を失っていた。

 キルデアは自らの首に触れる。ブリギットの手刀が裂いた傷から滲んだ血が手についた。


――もうすぐだ。もうすぐ、ブリギットは真の覚醒を得る。


 ブリギットがキルデアにわずかでも傷をつけたのは今日が初めてだった。ブリギットは確実に『最強』へと近付いている。それに対し、キルデア自身にもはや全盛期の力はなかった。もう時間はないのだ。リステルの技をブリギットに伝えるためには、『最強』であることができるうちに戦わねばならない。『最強』の姿を、ブリギットに見せねばならないのだ。


――ゴホッ、ゴホッ


 キルデアは口を押さえて激しくせき込む。手のひらがべっとりと赤く濡れた。




「最終、試練?」


 暗く湿った地下室で今日もキルデアとブリギットは向かい合う。砕けた鎖骨が癒え、キルデアはブリギットに『最終試練』を宣告した。ブリギットの顔に戸惑いが浮かぶ。ブリギットに未だ『闘傷』が浮かぶことはなく、技の練度はキルデアに遠く及ばない。最終試練がどのようなものかは分からないが、その言葉の響きに相応しい実力がブリギットにあるとは思えなかった。しかしキルデアにブリギットの疑問に答える様子はなく、淡々と言葉を続けた。


「試練の内容は単純よ。私と戦い、勝つこと。今から私はあなたを殺す。生き延びたければ私を、殺しなさい」

「待って! どうして急に――」


 ブリギットの瞳が揺れる。問いを断ち切るようにキルデアは高らかに謳い上げる。


『我が右手は全てを切り裂き』


 キルデアの瞳が狂気の赤に染まる。


『我が左手は全てを貫く』


 華奢な身体を鎧うように筋肉が膨張する。


『地を駆ける何者も我に追いつくこと能わず』


 踏みしめた足が床を割り、


『鋭き刃も我を傷付けること能わじ』


 戦化粧のごとき蒼い痣が顔に浮かび上がる。


『崇めよ! ひれ伏せ! 我、悪役令嬢なり!!』


 抗い得ぬ絶対的な『死』が、目の前に顕現する。


「教えたはずよ。悪役令嬢が戦うとき、この世から必ず命が消える。私が死ぬか、あなたが死ぬか。あなたはもう一度、選択しなければならない」


 明確な殺意がブリギットを射抜く。冷たい汗が噴き出し、身体がかすかに震えた。キルデアは、母は本気だ。本気でブリギットを殺すつもりなのだ。


「始めましょう」


 死神の宣告に似て、ブリギットの返答を待たずキルデアが構えを取る。滲む汗がブリギットの頬を伝い、落ちた。




 わずかに身を沈め、キルデアが地面を蹴る。何の虚飾もない、まっすぐな正拳はしかし、音の速さを超えてブリギットの胸を打った。


「リステル流闘術、打法の(つい)崩天(ホウテン)』」


 防御の構えすら取ること叶わず、肺を強打されたブリギットの息が止まる。キルデアは止まらず、その左手の爪が鋭く尖った。ブリギットは辛うじて身体をひねった。大気を切り裂く手刀がブリギットの左上腕を抉る。


「リステル流闘術、裂法の(つい)穿海(センカイ)』」


 飛び散った血が顔にかかることも意に介さず、キルデアは暴風に翻弄される木の葉のようによろけたブリギットの胴に横薙ぎの中段蹴りを放った。


「リステル流闘術、蹴法の(つい)砕理(サイリ)』」


 不自然に折れ曲がった体勢でブリギットの身体が吹き飛ぶ。地下室の壁に強かに肩を打ち付け、ブリギットの目から光が失われた。壁に寄り掛かるようにずるずると崩れ落ちるブリギットに向かって、キルデアは両手を突き出して重ねる。すさまじい闘気が大気を震わせ、『破滅』が降臨する。


「リステル流闘術、射法の(つい)滅界(メッカイ)』」


 闘気がブリギットを中心に爆発を起こし、視界を遮る。キルデアの髪が風に踊った。


「リステル流闘術奥義『四界絶唱』。四技の終による連撃は天を崩し、海を穿ち、理を砕き、世界を滅ぼす。この技を身に受けて――」


 視界が晴れ、ブリギットが姿を現す。半身を血に染め、ボロボロの闘衣に身を包みながら、ブリギットはしかし、立っていた。


「――生きていることは賞賛に値する」


 荒く息を吐きながら、ブリギットは口を開く。


「……『四界絶唱』を、私は知らなかった。私に伝えていない技が、あるのね」


 ブリギットの目が徐々に赤みを帯びる。狂おしいほどの憎悪が瞳に宿る。キルデアは、母は『四界絶唱』を教えなかった。どうして? それは、今この時のため。ここでブリギットを葬るために、母はあえてこの技を自分に伝えなかったのだ。ブリギットは己の中にふつふつと湧き上がるものを感じていた。それは目の前にある理不尽、『死』という運命に抗う強い意志だ。


『……我が右手は全てを切り裂き』


 力を欲する心が口をつく。


『我が左手は全てを貫く』


 理不尽を踏み砕く力が体内を巡る。


『地を駆ける何者も我に追いつくこと能わず』


 左腕の傷口が泡立って血を止め、


『鋭き刃も我を傷付けること能わじ』


 獣の狂気を湛えた瞳が鮮血の赤に染まる。そして――


『崇めよ! ひれ伏せ! 我、悪役令嬢なり!!』


 ブリギットの顔に、戦化粧のごとき蒼い痣が浮かび上がった。キルデアは大きく目を見開く。ブリギットは固く拳を握り、咆哮と共にキルデアに向かって駆けた。




『リステル流闘術、打法の(つい)崩天(ホウテン)』』


 両者の声が重なり、拳が交錯する。音の速さを超えるキルデアの拳速を上回る速さで放たれたブリギットの拳がキルデアの心臓を打った。


「かはっ!」


 キルデアがうめきよろめき一歩下がる。ブリギットは左手で手刀を繰り出した。キルデアもまた手刀でそれを迎撃する。


『リステル流闘術、裂法の(つい)穿海(センカイ)』』


 キルデアの手刀は弾かれ、ブリギットの手刀がキルデアの脇腹に突き刺さる。手刀を引き抜き、間髪を入れずブリギットの右足が跳ね上がった。キルデアも歯を食いしばって蹴りを放つ。


「リステル流闘術、蹴法の(つい)砕理(サイリ)』」


 中段蹴りの一閃がキルデアを大きく吹き飛ばす。もはやキルデアに技を繰り出す力は残っていないようだった。辛うじて倒れることを拒み両足を踏ん張ったキルデアに向かい、ブリギットは両手を突き出して重ねる。


「リステル流闘術、射法の(つい)滅界(メッカイ)』」


 闘気が迸り、キルデアを襲う。キルデアはブリギットに顔を向けた。ブリギットは息を飲む。キルデアの顔からは『闘傷』が消え、懐かしい、かつてその腕に抱かれながら見た、慈しみの眼差しがあった。


「母様!」


 『滅界』が爆発してキルデアの姿を覆い隠す。ブリギットは両腕で爆風から顔をかばった。視界が晴れると同時にブリギットはキルデアに駆け寄る。キルデアは床に横たわっていた。


「どうして、こんな……!」


 母の身体を抱き起こし、ブリギットは涙声で言った。キルデアはブリギットを殺そうとしたのではなかったのだ。キルデアの眼差しを見たとき、ブリギットはそれを知った。キルデアはか細い声でブリギットをたしなめる。


「……あなたは、泣いてはなりません。悪役令嬢は泣いてはならない」


 ブリギットはぎゅっと目を瞑る。こぼれる涙を飲み込むように。


「悪役令嬢は、強くあらねばならない。悪役令嬢は誇り高くあらねばならない。悪役令嬢は誰にも膝を折ってはならない。悪役令嬢が地に伏す時、それは命が終わるときよ」


 キルデアの声は優しく、愛しさが滲む。ゆっくりと手を持ち上げ、キルデアはブリギットの頬に触れた。


「だから、私は今、ようやく許される。泣くことも、愛することも」


 ブリギットが目を開く。キルデアは優しく微笑んだ。


「愛しているわ、ブリギット。私の娘。闘いの技しかあなたに残すことができない母様を、どうか、許してね」


 キルデアの目から涙がこぼれる。ブリギットが唇を噛んだ。


(願わくば、どうか、リステルの技がこの子に、望む未来を手にする杖とならんことを――)


 祈りと共にキルデアは目を閉じる。ブリギットの頬に触れていた手が、力を失って床を打った。


「母様!」


 ブリギットはキルデアを抱きしめる。母はもうブリギットの声に応えてはくれなかった。ブリギットは再び固く目を瞑る。悪役令嬢は泣いてはならない。彼女は決して泣いてはならないのだ。悪役令嬢という運命の鎖に囚われた、今はまだ。


 流れるはずだった涙と慟哭を代償に、この日、ブリギットは『悪役令嬢』となった。

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【追記】  「岳飛」は実は「岳姫」だったのだ!
悪役令嬢とは?(徹岳)  則ち岳母の命を徹して征く道也(故事付け)
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