卒業パーティーで婚約破棄?
学園の一番大きなホール、そのホールのエントランス前に馬車が停止し御者の手を借りて私は降り立つ。
卒業パーティーで煌びやかに飾り立てられたホールには既に沢山の卒業生、卒業生の家族や婚約者、在校生が集まり、楽しげな笑い声が漏れ聞こえてくる。
今、一人で入っていくと皆の注目を浴びてしまうかもしれない。もっと早く来て目立たないように壁際にでもいればよかったと思うが、
『遅れるので迎えにいけないが、かならずパーティーには行くので先に行って会場で待っていて欲しい』と、婚約者である第一王子から連絡が来たにもかかわらず、未練がましくギリギリまで迎えを待っていた自分のせいだ。
私は溜息を一つつき背筋を伸ばす。
御者が心配そうな目を向ける。私は大丈夫というようににっこり笑みを返した。
いや、ちゃんと笑みを返せてはいないだろう。私は貴族らしい微笑みというものが苦手だ。どうしてもぎこちなくなってしまう。自分で鏡で見て不気味だと思ったので、いつしか貴族らしい微笑みというのを止めてしまった。
元々きつめの顔立ちの私は微笑みを浮かべないと怖い印象になるらしく、冷血だとか人形のようだとか噂されているのも知っている。
ホールの中に入ると、今まで楽しそうに談笑していた人々がぎょっとしたように私を見た。
それはそうだろう。私はあの事件から今まで一週間学園を休んでいたのだから。
寮にも戻らず実家の侯爵邸に滞在していた。第一王子オスカー様の要請で。もちろん昨日の卒業式にも出席していない。オスカー様の卒業の晴れ姿をこの眼に焼き付け、皆の前で堂々と述べる答辞を聞きたかったのだけどオスカー様に止められた。次の日の卒業パーティーには迎えに行くから一緒に出席しようと。
もっともそれらの事も直接言われた訳でなくすべて文による連絡だったのだけれど。
遠くにファニーやアンネの姿が見えた。彼女たちは私のクラスメートで数少ないお友達だ。
心配そうな顔をしてこちらを見ている。彼女達の方へ歩き出そうとした時、目の前に影がさした。
「まあレティシア様、お久しぶりですわね」
「パメラ様……」パメラ・バルシェック公爵令嬢が取り巻きの令嬢を二人従え立っていた。
「昨日の卒業式にはいらしてなかったでしょう?私達心配していたんですのよ」
「あの――」私の言葉をさえぎってパメラ様は続けた。
「もっともあんな事件を起こしてしまっては顔を出せないでしょうけど……」
扇で顔を隠し取り巻きの令嬢達とクスクス笑いあう。
「いえ、私は事件など――」
「まあ!この一週間事件の話題で持ちきりでしたわ。オスカー殿下の新しい恋人に嫉妬した婚約者が――」
「それは聞き捨てならないな」
割って入ったのはライアン・アルデュール。アルデュール伯爵家の次男だ。彼も私のクラスメートで数少ない友人の一人だ。
「あの事件の犯人はわかっていないし不確定な噂をしてはいけないと殿下も言っていただろう」
パメラ様は悔しそうに眉をひそめる。
「あら、ライアン様はレティシア様の肩をもたれますの?あの状況で――」
ホールの入り口のあたりでざわめきが起こった。
皆が一斉に入り口を注視する。
入り口の大扉から入ってきたのはこの国の第一王子、オスカー・アロイス・ダンヴィード。
私の婚約者である。
オスカー様は会場に入ってくると一旦足を止め周囲を見回した。
その眼が私を捉えた―――
襟足にかかる長さのストレートの艶やかな黒髪、高い鼻梁、涼やかな紫紺の瞳、長身で厚みのある体躯。
常に沈着冷静で表情を崩さないクールなオスカー様の眼が私を捉えた瞬間、その表情が一変した。
眼をカッと見開き、唇は一文字に固く引き結ばれ、握ったこぶしはわずかに震えているようにも見える。
鬼の形相を浮かべたオスカー様は私に向かって大きく一歩を踏み出した。
会場内は一気に騒然とした。
オスカー様は鬼の形相のままズンズンと私に近づいてくる。そしてそのオスカー様の後ろに見え隠れするのはアリステア・サルトン伯爵令嬢。先ほどパメラ様が言っていたオスカー様の新しい恋人と噂されているお方だ。アリステア様はオスカー様とは正反対に楽しそうな表情を浮かべている。時折ハッと気付いて口元を引き締めるもののすぐまた緩んでしまう。
オスカー様はズンズン歩いて私の前方五メートルほどのところで足を止めた。
私とオスカー様をさえぎる物は何も無い。周囲の人々は私とオスカー様を取り囲むように広がって、この興味深いイベントを見守っている。
周囲の喧騒は一層酷くそこここから聞こえる『婚約破棄』とか『断罪』とかの言葉は、昨今巷で評判の小説に影響されているのだろう。
オスカー様は下を向いてブツブツと小声で何か言っていたが、意を決したようにキッと私を睨むと言葉を発した。
「・・し・・・こ・・・くれ!」
はい?周囲が五月蝿くて聞こえない。私が黙っていると、オスカー様はじれたようにもう一度言った。
「・・ら!私はもうがま・・きない・だ!こんや・き・・・おわり・・・くれ!」
周囲は更にヒートアップした。人気小説の一幕を実際に見物できるとあってどの顔も好奇心に溢れている。私の隣にいたライだけが苦々しげな口調で「悪趣味が過ぎる」と言っている。
オスカー様はふと周囲の喧騒に気付いたようだった。
「皆、静かにしてくれないか!レティシアの返事が聞こえない!」
大きな声でオスカー様が言うとさっきまでの喧騒が嘘のようにあたりはしーんと静まり返った。
皆、固唾を呑んで私に注目している。
私は困った。今更聞こえませんでしたなんて言えない雰囲気だ。
でも、聞こえなくてもオスカー様の言いたいことはわかった。皆の言うとおり婚約破棄してくれと言ったのだろう。今まで一度も見たことが無いオスカー様の切羽詰ったような表情が物語っている。
オスカー様はいつも沈着冷静で、クールだといわれているが本当はとても思いやりのある人だと思う。私と婚約期間中、甘い言葉こそ貰えなかったが婚約者の義務を怠ったことは無かった。
言葉少なではあるが二人のお茶会は欠席した事も遅刻した事もほとんどなく、都合が悪い時には必ず事前に連絡をくれた。視察で遠方へ出かければ必ずお土産を届けてくれた。
だから私は偶然、オスカー様がアリステア様に照れたような嬉しそうな笑顔を向けるのを見てしまったときも、胸の不安を押し殺した。気のせいだと思うようにした。
オスカー様のことが大好きだったから。
あ!ここで私はあることに気がついた。
こんな場所で勝手に婚約破棄などしたらオスカー様の立場が悪くなってしまうのではないかということに。
「あの、オスカー様、このことは陛下や私の父は……」
息を止めて私の言葉を待っていたオスカー様は幾分拍子抜けしたようだった。
「ああ、もちろん父上にもクレイトン侯爵にも許可はいただいている。もっとも侯爵には大分渋い顔をされたが」
そうなのですね……
あなたの立場が悪くならないならば私は抗うことはしたくない。あなたの幸せを願ってる。
私は出来るだけ優雅に、あなたの瞳に美しく残るようにカーテシーをした。
「すべてあなたのお望みのままに。私はあなたの言葉を全て受け入れます」