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姫様は婚約破棄をご希望ですが、お相手が私好みのイケメンだったので是非とも侍りたく全力でお止めする

作者: 蛹乃林檎


「お願いよヒルダ。私こんな人と結婚なんてしたくないの。私の代わりにこの人と会って婚約解消してきてちょうだい!」


 テーブルに所狭しと並べられたお菓子が放つ甘い香りで満たされた部屋の中。

 口の端にクリームを付けて、ふっくらもっちりした頬をぷるんと揺らす麗しき我が主君ロレッタ王女殿下が懇願の目を向ける。


 このうるうるとした瞳でみつめられてはどんなお望みも叶えて差し上げたくなるというものだ。


 しかし、今回ばかりは頷けはしない。


 先頃決まったばかりの婚約を破棄などと、姫様の一存で決められることではないのだから。

 ましてや一介の護衛兼侍女たる私の裁量権は完全に越えている。


「ロレッタ様。いかに貴女様のご希望といえど、今回ばかりは婚約解消などと一存で決められることではございません」


「そんなことは十分わかっています。だけどどうしても嫌なんだもの。釣り書きの肖像画をご覧になって?」 


 決まったばかりとあって、姫様はまだ婚約者様ご本人と顔を合わせておられない。

 書面で確認されたのみだが、何がここまで気に入らないというのか。

 私も空いた皿でいっぱいのティーテーブルに置かれた釣り書きを手に取ってみる。


 お相手は姫様より二つ程年上の他国の王子殿下であられ、文武両道、趣味は乗馬と特に問題は無さそうであり、添えられた肖像画も儚げな美青年である。


「お優しそうで素敵なお方とお見受けいたしますが」


「その釣り書きどおりでしたらね。次はこちらを見て。その前にドルチェルッチェのシュークリームを取っていただける?」


 私は老舗菓子店の濃厚クリームがたっぷり詰まったシュークリームをお渡しし、代わりに数枚のスケッチを受け取る。


 そこには、むっちりまるまるとした体型のぽよんぽよんな青年が描かれていた。

 丁度姫様が先ほど召し上がられていた巨大マシュマロっぽい。


「どなたでしょうか? この美味しそうな方は」


「いやだヒルダったら、面白いんだから。それが私の婚約者の真の姿よ。次はマロンケーキを」


「……はい?」


 どういうことかとマロンクリームが特盛になったケーキをお渡ししながら訊ねると、なんと姫様は手の者にこっそり王子殿下を探らせたという。


「だって釣り書きが完璧すぎるんですもの。そんな美しい方がいらしたら、今日まで耳に入らないわけありませんわ。だから懇意にしている画家に頼んで、ね。彼、腕は確かですから。ショコラシェイク」


 相手国まで送り込んで写生させたらしい。

 

 しかし私はその画家の腕を少々疑っている。

 彼は姫様最大の魅力であるふっくらもちもちなお姿を、酷く細身に描く人物だからだ。

 姫様ご自身はその絵を気に入っていらっしゃるから良いが、反写実主義であるならこの王子のスケッチももしかしたらと思わずにいられない。


「間違いということは……」


「そうであってほしいけれど。とにかくね、私はその方と婚約する気もお会いする気もありませんの。だってお会いして好意を持たれたら困りますでしょ。べ、別に筋肉のきの字もない容姿を嫌と言ってるわけじゃありませんのよ。ご自身を客観視出来ておらず虚栄を張って嘘を吐く、その心根が嫌って言ってますのよ? ベリータルトにチョコレートソースとクリームを添えて」


「このスケッチが真実ならば、確かに。お気持ちはよくわかります」


 タルトにチョコレートソースを垂らしながら、なんとか婚約解消は無理だとご理解いただくために私は一旦同意してみせた。しかしこれがいけなかった。


「しかしなが——」

「わかってくれたのねヒルダ! ああ、流石は私の忠実にして誠実な侍女。あんなまんまるなのと婚約なんて絶対嫌ですわよね。では今日の顔合わせ私の代わりに頼みますわよ! 婚約解消必ずしてきてちょうだいね!」


 もちもちの両手で私の手を掴んだ姫様は歓喜の表情を見せた。

 ふくふくほっぺを綻ばせる姫様の微笑みはこの上ない多幸をもたらすものである。

 それを至近距離で向けられては、悲しませる否定の言葉はもはや口に出来ず……。


 ここは一旦代理としてお会いしようと腹を決めたところ突如ドレスを着せられ、私は姫様の身代わり——十六の姫様の身代わりが二十代も終わりが見えかけている私では務まらぬと思うのだが——として顔合わせに臨むことになったのだった。



 そして今、目の前に件の王子殿下がいらっしゃるわけである。



 しかしどうしたことだろう。


 私は部屋に入るなり、しばし呆然と王子をみつめてしまった。


 お顔が、お姿が、あのスケッチとは似ても似つかない。かといって釣り書きのようでもない。


 少々峻厳過ぎる印象も受けるが勇壮さを漂わせる、鼻筋の通った端正でいて精悍なお顔立ち。

 引き締まった肉体は服の上からでもよく鍛えられているのがわかり、悠然と着座する姿は歴戦の将のような風格すらある。


 目の前にいるのは、むっちりまるまるぽよんぽよんでも線の細い儚げな青年でもない。

 頼もしげで落ち着いてみえる大人の男性だ。

 そしてとんでもなく私好みの益荒男(ますらお)な美丈夫だ。


 私が見入ったように王子をみつめたまま席に着くと、王子もまた驚いたような顔をしてこちらを見た。



 目が合ったその瞬間。

 胸の奥に爆発でも起こったかのような衝撃が走った。



 これと似た衝撃を私は知っている。

 幼き日に、初めて騎士団のパレードを見たあの日。

 手を振る壮年の騎士団長の逞しい背中に、憧憬を超えた感情を抱いたあの時と同じ感覚。

 幼心に宿った淡い想いと同じもの。


 これはつまりあれだ。

 恋だ。

 私は今、完全に、目の前にいらっしゃるこのお方に恋をした。



 思えばあの初恋からこっち、精鋭集う騎士団に名を連ねるべく脇目もふらず邁進してきた。

 しかしようやく末端団員になれた頃には、今はご勇退なされた騎士団長の鬼の如きしごきであの日の淡い恋心などすぐさま霧散。


 肉体的にも精神的にも余裕のなかった激動の新米騎士時代を駆け抜け、ようやく明けたと思えば幼い姫様の護衛を務めることとなり、すぐに緊張の日々が始まった。

 それにも慣れてきた頃には侍女としての役目も務めるようになり益々忙しく。

 因みにこれは日に日にお可愛らしくご成長なされる姫様をお支えする侍女達が、お転び遊ばされた姫様を起き上がらせる際に腰だ膝だを壊し、常に部屋を満たす大量の菓子の甘い匂いに限界が来て次々に辞めていったためだ。


 護衛として姫様をお守りし、侍女として姫様のお世話をさせていただく日々。

 どちらも怠ることは出来ず、騎士としての鍛錬と側仕えとして励むことに精一杯で今日まで恋心など忘れていた。


 お可愛らしい姫様のご成長をお見守りし、お仕えする。

 その使命の前では私情など塵に等しかったから。


 そのはずなのに。


 私は今この方を目の前にして、姫様のお望みを叶えることも国益のためにこの場をとりなすことも二の次に、私情を優先したくてたまらない。


 すっごいタイプ。

 めっちゃ付き合いたい。

 ずっと見ていられる。


 久方ぶりに火のついた恋心が暴走し始めている。

 うっかりするとこの場で告白して襲いかかりそうな自分に気づいて、私は一つ咳払いをした。


 いかん、いかん。

 私は一護衛騎士であり姫様の侍女。対してこの方は他国の王子殿下、そして姫さまの婚約者。

 身分違いどころの話ではない。絶対に結ばれはしないのだ。


 冷静にならなくては。

 しかし気を引き締め直して王子に向き直るも、目が合うと引き締めたものがバチンと音を立てて弾け飛んでいきそうになる。


 やばい、好き。かっこ良すぎ。

 なんですか、その眉根を寄せた悩ましげな表情は。反則でしょう。

 あぁ、もうこのままずっと側にいたい。

 そんな望み叶わないのはわかってるけ——。


 そこでふと思い至った私は思わず、あっ! と声をあげてしまった。

 すると何故か王子も同じタイミングで同じ言葉を発する。

 たった一音だけれど低くていい声だ。やはり今後も間近でこの声を聴き続けたい。


 元より私はこの場を代理としてとりなし、後ほど姫様に対し婚約破棄を諦めるよう説得する気でいたのだ。

 ここで恙無く婚約が交わされれば、ゆくゆくはお二人はご結婚なされる。

 私は命ある限り姫様にお仕えする所存なのだから、姫様が王子の妃となられれば、侍女の私も間接的に王子のお側に仕えることになるだろう。

 この声をお姿を、間近で堪能し続けられるのだ。


 となれば、全てのことを丸く納め私のささやかな望みを叶えるために今すべきは姫様の説得である。

 とはいえ王子のこのお姿を一目見れば、下手な説得などしなくとも姫様だって婚約破棄を考えもしなくなるだろう。


 私は意を決し、王子に声をかけた。


「……おわかりのことと思いますが」


「ええ……わかっております」


 そうだろう。

 こちらの釣り書きももちろん相手方に渡っているのだ。

 とうに姫様ではないとおわかりだったろう。


 上背もあって十代には到底見えない武骨な私に、愛らしい姫様の代わりが務まるはずがない。

 明らかな別人が婚約者ヅラして現れたら、悩ましげな顔もするというものだ。


「事情は後ほど……大変なご無礼を働いて申し訳ありませんがこの場はひとまずお開きとし、やり直させていただきたく存じます」


「何を仰られます、こちらこそ大変な非礼を……今一度ご機会を給われることに感謝申し上げます」


 私のような者にまでなんと腰の低いご対応であろうか。ますます好きになってしまう。

 このお方なら姫様も外見も中身もお気に召されることだろう。



 顔合わせの部屋を出た私は急いで姫様の下へと駆け戻った。


「ロレッタ姫様!」


「ヒルダ! 早かったのね。婚約解消は出来て?」


 期待を込めてキラキラした瞳を向けた姫様の、角張ったところのない柔らかな肩を勢い余って掴みつつ私は全力で訴える。


「致しましょう! 婚約を! なさいませ! 結婚を!」


「ヒルダ⁈ どういうこと⁈」


「王子殿下はとても素晴らしいお方です。釣り書きどおり文武両道でいらっしゃるのが一目でわかる均整のとれた肉体、礼儀正しい居住まいと思慮深いお言葉選び、私を身代わりと見抜いてなお事情があると察し咎めない優しさをお持ちのお方です。釣り書きと違うのは容姿のみのこれ以上ない素敵な方でございます」


「その唯一違うところが絶対に嫌だと言ってますのに! あんなむっちりまるまるぽよんぽよんな人の妻に私はなりたくありませんの!」


「姫様、それが違うのでございます。王子殿下は釣り書きともスケッチとも似つかない、英雄然とした精悍でいて端正なお顔立ちをなさった大人な男性なのでございます!」


「精悍で端正って、信じられないわ」


「無理もございません。しかし一度(ひとたび)お顔を合わせられましたら瞬時におわかりになると思います。いかに王子殿下が理想的でかつかっこ良すぎるか!」


「理想って……白馬の似合う?」


「ええ、ええ。精悍さを際立たせる焼けた肌は雄々しく、白馬に映えることでしょう。会談中微動だにしない姿勢を保つあの体幹です、白馬どころか暴れ馬も難なく乗りこなすでしょう。想像するだけで、ああ、もう……」


「……颯爽と現れて私を守ってくれる」


「袖口から覗く筋張ったあの腕。大きくて骨張った手。どんな敵からも姫様を必ずやお守りくださるでしょう。引き締まった頼もしいお背中……ずっとみつめていたい」


「とろけるような愛の言葉を囁いてくれる甘い美声?」


「よく通る低い声。語り口も非常に丁寧でお優しく角がない。あの声で名前を呼ばれて甘い言葉を囁かれたら、恋するこの気持ちはより深い所まで溶け落ちて……いえ、いいんです、不相応なことは考えません。ただお側にいられればそれだけで。姿を見ることを許され声が聞ければ……ああ、でも欲を言えばあの声で話しかけられたい。命令されたい、侍りたい!」


「侍りたい?」


 姫様の怪訝な声に我に返る。

 説得しようと必死になり過ぎてつい本音が漏れ出てしまった。

 いけない、いけない。


 誤魔化すように咳払いをしつつ、不敬にも肩を掴んでいた手を離し私は跪いた。


「姫様、実際にお会いしてみなければわからぬことは多々ございます。もちろん姫様のお気持ちが最優先ではございますが、少なくとも私から見た王子殿下は、申し上げましたように姫様に相応しい素敵なお方でございました。どうか顔合わせだけでもご一考ください」


 私がそう言って頭を下げると、姫様はしばし黙考されてから一つ息を吐いた。


「わかったわ。ヒルダがそこまで言うのなら、婚約者と会ってみる」


「姫様……!」


「だって、誰よりも私のことを一番に考えてくれるあなたが薦める人ですものね」


 もったいないお言葉に罪悪感から胸が痛む。

 

 申し訳ありません姫様。

 国益の為と託けて、今の私は姫様のご意思よりも私情を優先させています。

 ですが今日の選択は必ずや姫様を幸せに導くものでしょう。

 何故ならご婚約相手がとんでもなく良い男なのですから。


 上手くいくことを祈りつつ、私は王子の待つ応接室に向かう姫様の背を見つめた。

 甘い甘い残り香が今日は何故だか目に沁みた。

 

 ♢

 

 そうして顔合わせを済ませた姫様は婚約解消を望んでいたのが嘘のように、うっとりとしたお顔でお戻りになられ王子殿下にすっかり心奪われたようだった。


 これで国の安寧と姫様の幸せと私のささやかな望みは叶った。


 良かったと思う反面、少しばかり胸が痛む。

 この先理想の人が姫様とイチャこくのを目の当たりにし続けなければならないのだ。

 恋心が未だ燻る身には辛い部分がある。


 しかし後の妃の護衛として侍女として、あの方に間接的にお仕えし側にいることを選んだ身。

 呑み下してみせようと気を引き締めて、数日後、姫様のお付きとして王子の居城へとご機嫌伺いにやって来た。


 お茶をご一緒するために、可憐な薔薇が咲き乱れる庭園内のガゼボに向かう。


 身代わりとして顔を合わせて以来で密かに緊張していると、王子は既にいらしているようでガゼボ内に人影が見えた。


「だぁーりぃぃん!」


 打ち解けるにしても些か早過ぎるような姫様の甘ったるい呼びかけに驚くが、私は騎士だ。

 好きな人が目の前で姫様と早速イチャつきだしても動じるようなやわな鍛錬はしてきていない。


 しかし、そう思っていた私は次の予想外なことに思いがけず動揺してしまった。



「はぁぁーにぃぃー!」



 こちらも甘ったる過ぎる呼びかけで姫様に応えた王子の声が、クリームにハチミツとチョコレートソースをぶっかけたようにこれまた甘ったるいのだ。


 鼻にかかった高めの声は、あの顔合わせの時に聞いた低い声とは明らかに違う。


 どういうことだとガゼボに続く小さな階段を姫様に続いて駆け上がっていくと、そこに待ち構えていたのはあの時の王子ではなく、スケッチに描かれていたむっちりまるまるぽよんぽよんな青年だった。


「は⁈ え……」


 思わず呟いてしまった私をよそに、お腹とお腹をぶつけ合わせてぽよんと良い音をさせながら姫様と青年は熱く抱擁を交わす。

 姫様のダーリンとは、人違いでなくこのまんまるのようだ。


 唖然として立ち尽くしていると、青年の側で私と同じようにポカンとして立っていた人物と目があった。


「——あぁっ⁈」


 同時に叫びお互いを指差す。

 そこに立っていたのはあの時顔合わせをした王子だった。


「どうなって……」


 私と彼が声もなくお互いを見合ってパクパクと口を動かしていると、姫様とまんまるな青年が笑い声をあげた。


「やっぱりあなた達ったら示し合わせていたのね」


「もうわかっているぞ。二人で我々を婚約させようと画策していたことくらい」


「え⁈」


 私と彼が驚いて姫様方を振り向くと、まぁるい二人はクスクス笑いながら言った。


「まさか驚いたわよね、本当に」


「ああ、まったく。我々二人がどちらも婚約を破棄せんとして、側仕えを身代わりにあの顔合わせに送り込んでいただなんて」


「——は⁈」

 身代わり⁈ と、姫様方の言葉に私と彼は顔を見合わせる。


「だって、釣り書きと実際とのお姿が違い過ぎたんですもの。そんな嘘を吐く方が素敵な方とは思えないじゃない」


「君だって別人級の肖像画を添えて同じことをしただろう。僕だってそう思ったさ。実際、君と顔を合わせた時には、この詐欺師と思わず叫んだ」


「私だって大嘘吐きって詰ったわ。こんなことならやっぱり会わずに、お部屋でドルチェルッチェ謹製数量限定焦がしキャラメル香る特大プリンケーキを堪能していれば良かったって。でもそこで、ね」


「ああ。君もこよなくスイーツを愛する者だと気づいて、ね」


「ダーリンたら惚れぼれするほどスイーツに詳しいんですもの。蘊蓄を語る精悍な表情がかっこ良すぎて気づいたら……」


「君こそ僕の激甘スイーツトークについてこられるだなんて舌を巻いたよ。スイーツへの愛を語る君の瞳の輝きに一瞬で虜さ」


 ねー、と声を揃えてみつめ合う仲睦まじい様子のお二人のご発言に私は呆然としてしまう。

 

 今仰られたことは本当なのか。

 だとしたら、私が王子だと思っていたこの方は……。


 そう思ってもう一度彼を見ると、彼もまた私を見ていた。


「こんなにも通じ合える可愛い人と巡り会えたのは、お前達のおかげだよ。本当に良い護衛を持った」


「ええ、本当に。婚約破棄したがっていた私達を護衛のあなた達が必死に説得してくれたからよ、ありがとう」


 お二人からの労いの言葉に、護衛! と私達は再びお互いを指差して叫んだ。


 そうだ、冷静に考えれば王子殿下は姫様とさほど変わらないご年齢。

 この人はどう見ても十代の若者には見えない。何という勘違いをしていたのだろう。

 

 だが、こんな杜撰な婚約破棄計画を双方が同時に画策するなどと誰が思うものか。

 向かい合う彼も先程から私と同様、言葉を探しあぐねて非常に驚いている。

 この様子では彼もまた、私が身代わりだと今の今まで気づいていなかったようだ。


 しかし、彼は私が身代わりだと気づいていたと思っていたのだが……だとしたら何故あの日、私が入室した時に驚いた様子を見せたのだろうか? 

 私を探るようにみつめつつ見せた悩ましげな表情、あれは?


 思わず小首を傾げると、彼もまた同じようにしてみせた。

 二人して疑問符を浮かべている格好となったところで、姫様と王子がまたクスクスと笑いだした。


「それにしても、うんと熱のこもった説得だったわ。会う気なんてさらさらありませんでしたのに」


「ああ。絶対に会うものかと。だが、あまりに熱心なものだから、そこまで言うのならばと心動かされたんだ」


「熱心……?」

 私達が再度姫様方を見やると、お二人はうっとりとした表情を向けて言った。


「精悍でいて端正なお顔立ち、ずっと見つめていたいと思うような大きくて頼もしい背中。礼儀正しく思慮深いお言葉選びをなさるお声は優しく、あの声で甘い言葉を囁かれたら、きっと身も心も溶けてしまう……側にいるだけで満たされるほどの理想の男性だなんて、まるで自分が恋する乙女になったように熱っぽく語っていたのよ」


「それならこちらも負けていなかったぞ。背筋の伸びた凛とした佇まい、清廉さを随所に感じさせる礼儀正しい所作に、きりりとして涼やかな顔立ち。先々のことまで見通すような真摯でいて聡明さを宿した澄んだ瞳は凛々しく、何としてでもあの瞳に映りたいと思うほどに美しい……触れるのも躊躇われるような高潔さを湛えた理想の女性だと、いつになく饒舌で、まるで自身が運命の人に逢えた喜びに湧いているかのように訴えていた」


「でもまさにその通りだったわ。広ぉい背中にとろけるような甘い声……貴方の纏う甘い香りで側にいるだけでお腹いっぱいよ」


「スイーツに対し真摯な想いを語る君こそ、神さえも侵しがたい高潔さを湛えた瞳をしていて美しいよ。安心しておくれ、どんな空腹からも君を守ってみせよう」


「きゃぁん、ダーリンったら! ところで、白馬に映える焼けた肌って聞いたのだけど……ダーリンてばブラマンジェのように真っ白よね?」


「君こそ花のように可憐ではあるが、何処に紛れても目を惹くほど凛として背の高いルピナスのよう……ではなく小柄だな」


 何と言い間違えたの? とお二人が私達を振り向く。


 いえ、それは言い間違えたのではなく、全ては私が王子殿下だと勘違いしていたお方に対して抱いた想いから申し上げた数々だったのでして、つまりそれらをご本人がいらっしゃるこの場で発表されてしまうとご本人に直接伝わってしまうわけであり、あまつさえ私がその方を王子だと勘違いしていたことがご本人にバレている状況ですので、だとするとこれはもう間接的な公開告白以外の何物でもなく……。



 変な汗が噴き出してきて、恥ずかしくて堪らず身体が熱くなってくる。


 顔が火照っているのがわかり誤魔化すように口元に手をやると、隣で彼もまた同じ動作をした。

 ここまで悉く同じ動きをしている。


 そうであるならば、もしや。


 今、本物の王子殿下が回顧なさった熱心な説得の数々というのは、彼の——。


 チラリと横目で窺うと、目が合った彼の顔は真っ赤に染まっていた。

 ああ、私の顔も同じ色をしていることだろう。


「……なぁに? 二人してだんまりして。憶えていないのかしら。まぁ、なんでもいいわ」


「ああ、ハニーが素晴らしい女性だということに何も変わりはないからな」


「本当にありがとう二人とも」


「これからも二人で我々のことを支えていっておくれ」


 にっこり微笑む幸せそうな主君達のお言葉に、私と彼は真っ赤な顔をして頷いた。


 もちろんでございます。命ある限りお二人にお仕えしお守り致します。

 そして——


「あの……」

 呼びかけられたいと思い続けた低い声が、私に向けられた。


「この先長い付き合いになることと思いますので、まずは、お、お名前を……」


 彼はそう言って赤い顔のまま私をみつめた。


 叶わなくなった私のささやかな望みは、どうやら替わりに叶うべくもないと思われた大願を成就させてくれそうだ。


お読みくださってありがとうございました!



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― 新着の感想 ―
[良い点] セリフに自然と流れるように差し込まれるスイーツと、ふくふくで可愛らしく、「それ、自分な」と鏡を目の前に差し出したくなるような、憎めない姫様と。 真面目で義理堅く、忠誠心の強く、仕事ができそ…
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