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第1話

 外はうだるような暑さ、部屋の中でじっとしているだけでも玉の汗が吹きだしてくるというのに、スメラギ探偵事務所では、この夏、一日もクーラーをつけたことがない。

 事務所にクーラーがないわけではない。古いビルとはいえ、以前のテナントが残していった立派なクーラーがあるのだが、稼動していない。使う必要がないのだ。

 冬だろうと夏だろうと、事務所内には冷気が満ちている。冬は外の方が暖かい。冬でも窓を全開にして外気を取り入れた方がましになる。夏は、窓を開け放して外の熱気を取り入れてようやく冷房がきいた程度にまで室温があがる。

 きんと冷えた事務所内で、スメラギ探偵事務所所長にして唯一の探偵、すめらぎ拓也は、来客用ソファーに横になり、革ジャンを体にかけ昼寝をむさぼっている。

 夏は年々暑くなる。陽炎立つアスファルトを踏みしめて汗だくで働く気にはどうしたってなれない。かといって自宅で冷房を利かして過ごすのも金がかかる。ならば、冷気のこもる事務所で昼寝でもするかとなる。

 盆を間近に控え、仕事の依頼は途絶えている。盆休みを控えていなくても仕事の依頼はほとんどないから、好きなだけ眠っていられるというものだ。

 十八で探偵稼業に足を踏み入れて五年。この五年で、男であろうと女であろうと浮気はするのだし、人はわけもなく姿を消すのだと知った。若い身空で人の裏の顔ばかりを見続けてきたが、スメラギは案外、探偵稼業が気に入っている。

 きっかけは、高校の卒業証書を投げ捨てた公園のゴミ箱に入っていた行方不明者のチラシだった。何をして食べていくか考えあぐねていた矢先で、ならば探偵にでもなるかと思いついた。適当に探した探偵事務所の門を叩き、やとってくれと頼み込んだ。初めはいい顔をしなかった所長だが、スメラギが給料はいらないと言うとようやく首を縦に振った。

 二年前、世話になった所長が死んだ。肺がん、まだ四十五歳という若さだった。所長が死んで事務所はつぶれた。スメラギを含めて五人いた探偵たちはちりぢりになった。別の探偵事務所に行ったものもいれば、別の職種に鞍替えしたものもいる。

 スメラギは自分の事務所を立ち上げた。事務用品、備品は前の事務所の物を一切がっさい引き受けた。昼寝専用と化しているソファーも以前の事務所で使っていた応接家具のひとつだ。

 事務所は、父親の知り合いの不動産屋が所有するビルの一室をタダで使わせてもらっている。鉄筋コンクリート六階建て、都内で駅からも徒歩十分以内と立地条件もいい。一年中冷気がこもるという理由で借り手がつかずにいた場所を、遊ばせておくくらいなら使わせろと強引に迫ったのだ。

 実は、借り手がつかない、ついても長続きしないしない理由がもうひとつ別にあった。「出る」というのである。「出る」というべきか、「いる」というべきか。誰もいないはずなのにキーボードを打つ音がたつ、閉めたはずの冷蔵庫が開いている、ポットが勝手に沸いている……などなど、奇妙な現象が続いた。それだけではない。争うような物音、叫び声を聞いた、ついには若い女性を見たという話まで不動産屋にもたらされた。

 人の口に戸は立てられない。あの事務所には出るという噂はあっという間に広まり、借り手がまったくつかなくなったのだ。

 スメラギは、冷気も霊の話も意に介さなかった。

 実のところ、噂話は作り話ではなく、霊は「出た」し、今も「いる」。山口鏡子という三十二歳の女性だ。

 二十五年前、スメラギ探偵事務所の入っている場所にはリフォーム会社が入っていた。十二月初旬の深夜、残業していた山口鏡子は、金庫にあった現金を狙って押し入った強盗に殺された。不動産屋の話によれば、犯人はいまだに捕まっていないのだという。

 スメラギの目には山口鏡子の姿が見えた。生きていた時同様、机にむかい、書類を作成したり、お茶を淹れたりとかいがいしく働いている姿だ。

 なるほど、とスメラギは合点がいった。だから冷気がこもるのだ。霊がいると空気がぐっと冷え込む。冷気がこもっていたのは彼女がいたせいだった。

 この世のものではないものがスメラギには見える。霊感の強い体質に生まれついたのだ。スメラギの目には霊が生きている人間と同じ姿で見える。見えないものが見えると恐怖だろうが、見えて当然のものを見ているスメラギにとって、山口鏡子の存在は何ほどのものでもない。二年もの間、幽霊となった山口鏡子――スメラギは鏡子さんと呼んでいる――奇妙な同居生活を続けている。

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