帝国剣嵐記(序)
長編連載の再開前にリハビリとして書いた作品です。
タイトルには(序)と書いてありますが、続きは考えておりません。
完結短編です。
気楽におやつでもつまむようにお読みいただければ幸いです。
ざわざわという声が周囲から聞こえてくる。大半が失望か呆れか、そんな感じの声だ。
それらの声を聞きながら私は鑑定の水晶から手を放す。予想通りの結果だったので、落ち込むことはない。でも、やっぱり失望されるのはつらい。
「……誠に残念ながら、クリスティナ・デュ・ソワイエクール様には、魔法の素質が……」
「役に立たん娘だ」
お父様が失望交じりの声を上げる。小さい頃に家庭教師である魔法の先生に習っていたのに、地水火風のどの属性もほとんど使う事ができない私は、お父様からはいつも蔑んだ目を向けられてきた。
この国では魔法の才能が貴族の価値を決める。だから、15歳になった成人の儀で魔法の能力結果鑑定を宣告される際には、誰もがその結果を固唾を飲んで待つことに。魔法が使えないという事は貴族同士の婚約にさえ差しさわりが出ることもしばしば。それでも最近は少しましになったそうだけど。
「こういう結果が出た以上仕方があるまい。クリスを……」
「お・と・う・さ・ま?」
ひくーい声がお父様の背後からかけられると、騎士団長であるはずのお父様が一瞬硬直した。冷汗までかいてるように見えるけど、それはさすがにないと思いたい。
「まさか私の時の事をお忘れではございませんよね、お父様?」
「あ、アヴィ。来ていたのか」
「お姉さま……」
私のたった一人のお姉さま、アヴォワーズ・ディ・ソワイエクールがお父様に氷のような微笑を向けている。周囲のざわめきが多きくなったのは、普段は領地にいて久しぶりに王都にお姿を見せたお姉さまがお美しくなられていたからだろう。
お姉さまは私より三歳年上で今年18歳。輝くような長い金髪にやや険のあるお顔で、黒髪で子供っぽい私と違い、もう十分以上に大人びていて、とても凛々しくお美しい。堂々とした態度を見れば実は王族だと言われても違和感がないとさえ思う。
ちょっとだけ寂しい事に、あまり似ていないので本当に姉妹かと言われたこともある。私は亡きお母さまに似ていて、お姉さまは絵姿でしか見たことがない父方のお婆様に似ていらっしゃるから。
「しかしだな、アヴィ。クリスに素質が……」
お父様が何か言いかけた途端、お姉さまが笑顔を浮かべる。お美しいんだけど、凄みのある笑顔。そして次の瞬間、鑑定の間の全てのガラスが粉々に砕けた。今度はあちこちから悲鳴が上がる。お父様まで蒼白なのはどうなんだろう。
砕けたガラスが次々と床に落ちて乾いた音をたてる中で、お姉さまが優雅に髪をかき上げ、扇で口元を隠しながら口を開く。
「私も素質なしと判断されたのですけれど。その結果は御覧の通りですわ」
「あ、ああ、それは、その……」
お父様の引きつった顔を見ると本当に忘れていたのかもしれない。良くも悪くも騎士団の事しか考えていない人だから。溜息を隠すのに少しだけ努力が必要だった。
鑑定の結果、魔法の素質がないと判断された人への評価が少し変わったのはお姉さまの影響が大きい。お姉さまも成人の儀では素質なしと判定されていたからだ。
私はその場にいなかったのだけれども、その際の様子はちょっとした語り草になっている。三年前、鑑定士に『魔法の素質がない』と判定された時、お姉さまは小さく笑って鑑定士に向き直り、こう言い放ったらしい。
『無能者』
『なっ……』
『アヴィ! 鑑定士殿に何を……』
硬直した鑑定士と血相を変えたお父様を横目に、お姉さまは鑑定の儀が行われている部屋の両開きで大きな扉に片手を向けた、次の瞬間にその扉がまるで暴風に吹き飛ばされるような勢いで弾け飛び、廊下の反対側の壁に叩きつけられ、壁にめり込んでしまったのだとか。その時の鑑定士やお父様たちの茫然とした顔はそれはもうみっともないものだったらしい。お姉さまが15歳の段階でもう魔法を十分に使いこなしている事の証明でもあったから。
そのお父様に笑顔を向けたお姉さまは、その表情のまま、平然としてこう言葉をつづけたと聞いている。
『この通り、私にはちゃんと魔法が使えますわ。“衝撃風”とでも名付けましょうか。……ああ、扉の外にいた衛兵の方を巻き込んでしまったようですわね。ごめんあそばせ』
それからはちょっとした騒ぎになり、鑑定が絶対ではないのではないかとか、敵対貴族家の陰謀で鑑定の水晶がすり替えられていたとか、いろいろな噂が宮廷中を駆け巡り、最終的には鑑定士個人の失態という事になったらしい。
お姉さまは『無駄なことを繰り返すつもりはありませんの』と再鑑定を拒否。それでもその時だけではなく何度か魔法を使っているので、もはやお姉さまを疑う声は存在していない。
結果、鑑定結果に疑問がつくことになったのは当然の事で、鑑定だけで判断される風潮は多少なりとも変わったと聞いている。
「クリスにも素晴らしい力があるかもしれませんのに、まさか今日一日の結果だけで判断されることはございませんよね?」
「も、もちろんだとも。クリスも大事な娘だ」
お父様、声が震えてらっしゃいます。お姉さまはどういうわけか私にとても優しい。なぜかその分、お父様には辛いのだけれど。
そして騎士団長であるお父様がお姉さまに頭が上がらない理由は家と領地にある。お父様、武芸は優れていらっしゃるのだけれど、政治とか経済とかがお世辞にも得意じゃない。お母さまがなくなった後は代官に丸投げだったとか。
その領の政治を引き受けるようになったのがお姉さまで、その時お姉さまは13歳。そのお年で代官の不正に気が付いて汚職役人を摘発し、その後も奇抜な発明品をいくつも世に送り出して領の経済を発展させるなど、今や領はお姉さまなしでは回らない。
騎士団長の仕事に集中できているのはお姉さまのおかげという事もあって、お父様はお姉さまに頭が上がらないと聞いている。
「少々騒ぎになってしまったようですし、クリスは私が一度、領でお預かりいたしますわ」
「あ、ああ、その方がいいだろう」
素質なしと判断されたことが知られれば貴族社会でそのことを笑う人間も出てくるだろう。けどお姉さまがそうおっしゃってくださるのなら安心。私はむしろほっとした。それに、お姉さまのお手伝いができるのなら少しだけ嬉しい。
「館の荷物は後で送らせればいいでしょう。クリス、これからすぐに領に戻りますわよ」
「は、はい、お姉さま」
そんな素晴らしいお姉さまなのだけど、周囲に殿方の姿は全くない。お姉さまがいなくなると領が立ち行かなくなる、とお父様が婚約希望者を追い返しているなんて噂もあるけど、実際はそれ以上に皇太子殿下に対しての評判が一番大きいと思う。
数年前に開催された婚約者候補を集めてのパーティーの際、お姉さまは『そんなぶくぶく肥え太った姿で、よくもまあ恥ずかしげもなく人前に出てこれますわね』と殿下をお相手に面と向かって口に出し、お父様を蒼白にさせてしまったとか。
後で聞いたときに皇太子殿下に向かってそのような非礼なことをして大丈夫だったのかと思い、お姉さまに事実かどうかお伺いした際には、扇で口元を隠しながら「皇帝陛下も否定なさらなかったわね」とだけお答えくださったのですよね。
その時の皇太子殿下のお姿はご存じないので、事実かどうかは……その、先日殿下をお見かけした際には、私の三人分か四人分ぐらいの重さがおありになりそうなお体でしたけど。
そんなお姉さまの態度が知れ渡ると自然とお姉さまに声をかける殿方の姿は減ってしまった。お姉さまに憧れているという同性の友人に言わせると「普通の殿方だと女王と従者にしか見えませんわよ?」との事。思わず納得。
ご本人も認めるぐらい女性、特に年下の女性からは好かれるお姉さまなのですが、こう、地味な私と比べるととてもきらきらしていると言いますか、いい意味で派手と言いますか。私はお姉さまのそんなところも尊敬していますけど。
お姉さまに婚約申し込みがない理由がもう一つがあるとすれば、時々お姉さまが妙なことを口走るせいだと思う。今も馬車の中で私の前に座っているお姉さまが何かぶつぶつ独り言を口にしていらっしゃいます。
「【政治】と【魅力】が両方90以上の内政チートキャラが、何で探索しないと見つからないような在野にいるのよと思っていたけど、まさかあの時に追放されていたりしたのかしら。あの豚蛙から逃げ出した可能性もあるけど……」
ちーときゃらってなんでしょう?
「お姉さま、先ほどお話のあった書類をお持ちいたしました」
「ありがとう。そこに置いておいてもらえるかしら」
領に戻ってからはお姉さまのお手伝いで領政のお仕事。正直すごく楽しい。楽しいのは嫌なところや難しい事をお姉さまがやってくださっているからかもしれないけど。それでも、自分のやったことで領の皆さんが喜んでくれたりするのは本当にうれしい。
淑女教育もお姉さまが評判の家庭教師を呼んでくださったから、滞りなく行えている。
わざわざ領までよく来てくださいました、と礼儀作法の家庭教師をやってくださっているルポート夫人にお礼を申し上げた所、お姉さまが開発した化粧品を優先的に購入できるのが給与よりも重要なのだとか。思わず笑ってしまいました。
「それに、洪水の被害も少なくなったと領民からお礼の言葉が届いていました」
「役に立ったのなら何よりですわね」
簡単におっしゃられているけど本当にお姉さまの発想はすごい。川の流れと川の流れをぶつけて勢いを相殺するとか、あらかじめ間に切れ目をいれた堤防を作って、水の勢いを逆向きに氾濫させて洪水の勢いを減衰させながら、洪水で運ばれる肥沃な土はしっかり確保してしまうとか、どれだけ調べてもそんな方法は見つからなかったのに。
水制工法と言うらしく、杭や柵での水流を乱す方法や榪槎とか聖牛とかおっしゃっていた治水設備なんかも既に領内では実用化されている。他の貴族家から技術提供を求められた時にはその代わりに交換条件も出しているとも。あえて独占しない事で、影響力を高めるのが結果的に利益になるのだとか。
「クリス、プロヴルー村の水車は建設からどのぐらい経っているか知っているかしら」
「あ、ええと……」
お姉さまにそう問われたので、“窓”に視線を向けながら確認する。水車を作るのには木工、金属加工、石工など様々な技術が必要になるので、基本的に水車小屋は領主が作るという事さえ知らなかった。勉強不足を反省しながら答えを口にする。
「六年です」
「そろそろ一度整備に行かせた方がよさそうですわね」
川の流れはそれぞれに強さが異なるから、そこに設置されている水車ごとに整備に必要な期間も変わってくるらしい。お姉さまは河川ごとに水流の強さやそこに設置した水車をどの程度の間隔で手入れをしていたのかの一覧を作成してあり、それと照らし合わせて即決してしまう。
商業での交渉もお上手で計算や判断もとても早く、王都でも評判の商会長が本気でお姉さまを商会に欲しがっていたとか。お父様が手放さない理由もちょっと理解。
「ところでクリス、貴女、時々妙なところに視線を向けているみたいだけど?」
あっ……うっかりしていた。室内にいるのがお姉さまだけだからつい油断してしまったのかもしれない。
「ええと……お姉さま、これ、見えますでしょうか?」
「? 何も見えないけど?」
やっぱり。多分そうではないかと思ってはいたけれど、がっかりしてしまう。
私にこの窓が見えるようになったのは大叔父様の家に侍女見習いとして行っていた時の事だった。貴族の次女以下の女児が親族や係累の貴族家で礼儀作法見習いを兼ねて働くことは珍しくない。私も12歳から最近まで大叔父様の邸宅で侍女として働いていた。
その中でこの不思議な窓を目にするようになったのだけけれど、他の人には……魔法を使える大叔父様や大叔母様、再従兄弟たちも含め……誰一人見る事ができなかったあげく、再従兄弟の一人に嘘つきと言われてからは解ってもらう事を諦めていた。
お姉さまにも嘘つきと言われそうで少し怖いのだけれど、挙動不審だったのは事実。正直に話そう。
「実は、大叔父様の所で……」
窓のようなものが見えるようになったこと。窓の中には言葉や文字が入れられて、それに関連する事をその場で調べられること。窓の事は誰にも信じてもらえなかったことなどをつっかえながら話す。
自分でも荒唐無稽な事を言っていると思うけど、お姉さまは凄くまじめな顔で聞いてくれた。
「ちょっとだけ待っていて」
おおよその話を聞き終えたお姉さまが手元の紙に何かを書いてから部屋を出ていく。やっぱり信じてもらえなかったのかと不安に思っていたら、すぐに戻って来たお姉さまが椅子に座ることもせずに私に質問してきた。
「クリス、その窓にはどんな言葉や文字でも入れられるのかしら?」
「は、はい。多分」
「祇園精舎ってわかる? わからなかったらその窓で調べてみてもらえるかしら」
「ギオンショウジャ、ですか? ええと……」
聞いたことのない言葉だったのでちょっと時間がかかる。ええっと、結果……
「あ、一件だけあります。ええと、このお屋敷の、別棟?」
「場所までわかるの……意味は?」
「意味はちょっと分からないのですけれど……文章になっています」
「文章?」
「えっと『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす……』」
「ちょっ、ストップ! Just a moment!!」
お姉さまが淑女らしからぬ大声をあげたので驚いて読むのをやめる。こんなお姉さまを見たのは初めて。
「クリス、貴女のその窓とやらをしっかりと調べるわよ。付き合いなさい」
「は、はい」
お姉さまがものすごくまじめな顔でそうおっしゃられたので、私は頷くしかない。それにしてもじゃすとあもぉめんとってなんだろう。
お昼から始めたその検証は、お休みも挟んで夕方まで続いた。そしてお姉さまと私、二人並んで思わず大きなため息をついている真っ最中。テーブルの上で組んだ両手に頭を乗せているお姉さまが小さく絞り出すような声を上げた。
「距離も何も関係なく読めるってチートすぎでしょ、それ……」
「あ、あの、ごめんなさい」
「あなたのせいではないのですから謝らなくてもいいですわ。けれどクリス、あなたは魔法は使えないという事にしておいた方がよさそうですわね」
「はい……」
ちーとと言う言葉の意味はよくわからないけどとりあえずお疲れの様子のお姉さまに謝ったら、そんなお言葉を返してもらえた。そうおっしゃるのももっともなので、私も全身で頷く。まさかこんな魔法だったなんて。
私のこの魔法、とにかく規格外だった。『文字になっていれば、距離、時間、場所、種類に関係なく読める』のだから。皇帝陛下が既婚のメルトゥイユ侯爵夫人に宛てて私的に出した秘密の恋文まで読めた時はどうしようかと。
お姉さまが“検索”と名付けたこの魔法、図などは見る事ができなかった。けれど、例えば先ほどのギオンショウジャという言葉から始まる一節は、お姉さまが私の知らない国の言葉で書いたものだったとか。それをすらすら読んでしまったのだから、驚かれたのも無理はないと思う。
それどころか、お姉さまが考えたという暗号も私が読める形で表示された事を知ったときにはお姉さまが引きつった表情を浮かべていた。検索語句さえ間違えず、“検索”さえできれば自動で翻訳されてしまうらしい。
そんな使い方ができると思っていなかったから、今までやったことがなかったのだけれど、他の国の秘密にしている文章まで読めてしまうのだから、お姉さまが秘密にしておくように言ったのは本当に無理もないと思う。
「そう言えば他国に密偵に出すと確実に相手の国力データを調べてこれたのよね……こんな能力があればそれも当然じゃない……何よこの特別スキル」
お姉さまがまた何かぶつぶつ呟いていらっしゃいます。私の事だと思うのだけれど何を言っているのかよくわかりません。怒ってはいないみたいだけど。
それはそれとして、考え込んでいらっしゃるお姉さまに恐る恐る疑問をぶつけてみる。
「あの、お姉さまはどうしてお気づきになられたのですか。地水火風の四大魔術の範疇からは外れていますけれど」
「私も四大魔術じゃないからですわ」
そう言うとお姉さまが空になったコーヒーカップのスプーンを取り合あげ、私の目の前で手を放す。落ちる、と思って慌てて手を出したのだけど、私の手の中には落ちてこなかった。スプーンが上に飛んでいき天井に張り付いたから。
「え?」
きょとん、とした表情の私を見てお姉さまが思わずと言う感じで笑顔を浮かべる。
「これが私の魔法ですわ。詳しく説明するのは難しいのですけれど、“物が落ちる向きと強さを変えられる”魔法ですの」
「落ちる向きと、強さ?」
「普通は全ての物は下向きに落ちますけれど、ああやって」
お姉さまが天井に張り付いているスプーンに視線を向ける。不思議な光景に瞬きがとめられない。
「上向きに落としたり、横向きに落としたり。あと、落ちる勢いを変える事ができますわ」
そう言うとスプーンが天井から離れた。ふわふわとまるで羽毛のようなゆっくりとした速さでスプーンが落ちて、と言うか降りてくる。思わず手に取ると、お姉さまが魔法を解いたのか、いつものスプーンの重さに戻った。
驚いたままの私に説明してくれたところによると、ご自身の鑑定式の時は全力で扉を“横向きに落とした”のだとか。お姉さまが「重力」とか「万有引力の法則」とかいろいろ口にされていたけれど何が何だかさっぱりです。
ちゃんと理解できないままだったのだけれど、「とにかく、四大魔術とは別の魔法ですわ」との説明には納得しておく。
「クリスの時には窓を落とそうとしたのだけれど、あれは失敗でしたわね。窓が枠に固定されていたせいでガラスだけが割れてしまったのですわ」
「風属性の魔法だとてっきり……」
鑑定式の時の話を思い出してそこまで言うと、お姉さまが笑いながら私の言葉を遮った。
「私はあれを“衝撃風”と名付けましたけれど、私本人が風属性だと言った覚えはなくってよ?」
悪戯が成功したというような、珍しく茶目っ気のある笑顔を浮かべられて思わず私も笑ってしまう。その後ですぐに気になった事を口にしてみた。
「でも、どうしてそのような事に気が付かれたのですか?」
「一言で言えば人間の可能性が地水火風のたった四種類に分ける事ができるはずがないからですわね。それほど単純なら逆に苦労はしませんわ」
その後で血液型占いじゃあるまいし、と小さく呟かれたけれど、血液型ってなんでしょう。気にはなったけれどもう一つ先に聞いておきたいことがあるのでそちらを先にお伺いしてみる。
「ではなぜ、あのような誤解を招くような表現をされたのでしょう?」
「いろいろ理由はありますわ。けれど一番の問題は、この帝国で四大魔術以外の魔法があるという事がどこまで認められるかわからないという事ですわね」
一転して渋い顔になったお姉さまのおっしゃることは理解できた。魔法を四大魔術に分類したのは初代皇帝陛下の判断だったけれど、今となってはそれは不可侵の規則に近い。
四大魔術以外の魔法がある、なんてことになったら初代皇帝陛下のおっしゃったことに逆らうのかと言われることは確実だと思う。我が家はお世辞にも大きな勢力の派閥に属しているわけでもないそうですし。
「信用されないぐらいならばまだしも、それを口実に罪に問われでもしたら面倒ですもの」
「そうですね……」
まして、お父様が政治を苦手にしているのは事実でもありますし、騎士団長という地位を欲しがっている貴族はたくさんいると思う。攻撃されてしまうのは確かに困る。
「陛下以下の帝国重臣が無気力怠慢なのが救いですわね。私の魔法を詳しく知ろうともしませんでしたもの」
「お、お姉さま」
さすがに不敬すぎると思って慌てたけれど、お姉さまは知らん顔。お姉さまは帝国への忠誠心が欠けているのではないかとお父様が心配していたことがあるけれど、もしかすると本当にそうなのかもしれない。だから領から出てこなかったのかも。
もっとも、私も陛下を名君とお呼びできるかと問われてしまうと少し困ってしまう。それに、皇太子殿下の評判は……。
「ところでクリス、メルヴィル殿下の事は何かご存じではないかしら?」
「メルヴィル殿下ですか?」
うっかり私まで不敬な事を考えていたら、お姉さまにそんな事を問われたので慌てて意識を向け直す。
今度、領に視察に来るはずの第三皇子メルヴィル殿下は父君である陛下にも兄君である皇太子殿下たちにも似ておらず、整った外見で落ち着いた感じのお方。ただ母君の地位が高くないので王宮での扱いはどちらかというと軽いと聞いている。
この時、私は勘違いをしていた。領で政務ばかりをしているお姉さまは王都での噂話などに詳しくないので、何か聞いたことがあるかという意味だったらしい。けど私はここまでの流れから、窓で検索をしてしまった。
「ええっと……あれ? 帝都の隅に殿下のお名前が書かれた書類が」
「帝都の隅?」
「はい。下町の、どちらかというと治安が悪いと言われているあたりで……」
急にお姉さまが厳しい顔になる。
「それを読み上げてもらえる?」
「は、はい。ええと……」
いくつかの地名。殿下が帝都から遠方の辺境伯領に向かい、その後別の経路で帝都に戻る全行程が記録されているだけではなく、護衛の人数まですべてがそこに記載されていた。そして何気なく次の記述を読み上げてしまう。
「帰路のソワイエクール領オルジュー山脈の道は森が深く、刺客を隠すのに便利な地形が多く……」
その途端、大きな音を立ててお姉さまが立ち上がった。そのまま、凄い形相で声を上げる。
「クリス、今の内容は他言禁止! 執事長と領の衛士長をすぐに呼んできて!!」
「はっ、はいっ!」
殿下の暗殺計画だとわかった私も蒼白になりながらすぐに部屋を飛び出した。だからお姉さまが座り直しながら口にしていた独り言を聞く機会を失ってしまう。
「そんな名前のキャラなんていないと思ったけど、まさか開始前に暗殺されていたとか? 冗談じゃないわよまったく……」
「いやあ、まさか待ち伏せされていたとはねえ」
「笑い事ではありませんわ」
お姉さまが呆れたような顔でメルヴィル殿下にお答えしています。暗殺計画を防ぎ殿下をお守りしたお姉さまは、そのままお招きした殿下と領館でのお話し中。私より一歳年長のメルヴィル殿下はなんだか澄ました表情で笑っていらっしゃいますけれど。
他の大人の方々はみな席を外してもらい、殿下とお姉さま、それに私の三人だけが今はこの部屋にいます。お二人だけでないのはどちらも未婚の男女なので、誰かいたほうがいいという理由で殿下が私の同席をお求めになられました。
お姉さまはお姉さまで今回の暗殺阻止を成功させた理由、つまり私の魔法をまだ口にしない方がいいという意向を聞いているので、私は本当に同席しているだけなのですけれど。
「僕の暗殺を企まれる事は珍しくもないんだよね」
「それもどうかと思いますけれど」
「兄からすれば僕は邪魔だから」
さらっととんでもないことを口にされてしまい、私だけではなくお姉さまもさすがに反応に困ったようで口を噤むしかありません。
最初から放置するという選択肢はなかったし、領内で皇子暗殺なんて事件が起きれば領政責任者も責任を問われることになるから、助けないという選択肢はなかったけど、帝室内の権力闘争を間近で見ることになってしまっては困るしかないのです。
微妙な空気を察したのか、メルヴィル殿下は笑いながら言葉を続けられました。
「アヴォワーズ嬢は領の管理者としてなすべきことをしただけだから睨まれたりはしないと思うよ。僕も感謝だけにしておく。何か形のある物を贈ると誤解されるかもしれないしね」
「ご配慮有り難く思いますわ」
ため息を吐くようにそう応じ、お姉さまは私の方に顔を向けた。
「悪いけれど執事長を呼んできて。クリスにも殿下をおもてなしする手配をお願いできるかしら」
「わかりました」
視察に来るのは数日後だったはずだから、予定が前倒しになってしまっています。料理の素材とか色々足りない事も多いけど頑張ろう。
「よろしくね、クリスティナ嬢」
「はっ、はいっ」
殿下に微笑んでそう言われてしまいした。はうぅ。美形の笑顔は心臓に良くないです。
「殿下、妹を誘惑しないでくださいませ」
「可愛いと思ったのは事実なんだけどなあ」
な、何か聞こえましたけどきっと気のせいですよね?
その後、怒涛のような状況の変化が帝国を襲いました。
「とうとう、騎士団長を解任されてしまったよ」
「大臣皆様が私利私欲をほしいままにして仕事をしていないのですから仕方がありませんわ。お父様もしばらく領でお休みくださいませ」
お父様が帝都から領に戻ってきてしまったり。
「皇帝陛下が……!?」
「突然の事だったみたいですわね。あの豚蛙が皇帝になるのではこれから帝国は荒れますわよ」
突然、陛下が崩御されてしまい、お姉さまのおっしゃるように帝国全土に大混乱が起こったり。
「こ、これはいったい……」
「何かあると予想していたのですから準備はしてありましたわ」
数年間領から出てこなかったお姉さまが実は複数の倉庫一杯に大量の食糧や資金を準備していたのを見てお父様と二人してただ驚くしかなったり。
「いやあ、ご迷惑をおかけして申し訳ない」
「狙っていたとしか思えないのですけれど?」
メルヴィル殿下が表向き死亡した事にして逃亡してこられたり。
「え、ええと、本当に? 敵の数はこちらの三倍と聞いていましたけれど……」
「こちらの予想通りに動いてくれたのですから当然の結果ですわね」
帝都の混乱に乗じて攻めてきた近隣領主の軍をお姉さまが壊滅させてしまったり。
「アヴォワーズ・ディ・ソワイエクール殿。貴女に結婚を申し込みたい」
「な、何で剣帝アレクシス様が私にいぃぃっっ!?」
お姉さまがアレクシス・ヴァクト辺境伯様から求婚されてしまったり。
「よろしかったのですか……?」
「僕は死んだことになっているしねえ」
“剣帝”陛下と“賢妃”陛下の即位式を、血縁と言う事でメルヴィル様と並んで最前列の重臣席で拝見することになったり。
私やお姉さまが、後に『剣嵐の六年間』と呼ばれることになる、短いけれど過酷な動乱期を駆け抜けることになるのは、もう少し先の話。
榪槎と聖牛は用途が同じで形状もよく似ています。
誤解を恐れずに言えば日本で聖牛と呼ばれている物が、中国の一部地域で榪槎と呼ばれています。
聖牛の方は信玄堤などでも使われています。
メルトゥイユ侯爵夫人のお名前をお借りしたのは有名映画へのオマージュです。