相応=王都にて
東属州にある第二の都市キリキアから、王都に向けてトリスタン少年が保護の目的で護送されることが決まった。
法務局を訪れた近衛騎士団の主任団長のパウロ・バルドーネから直接聞かされたビョルンは、騎士団が今回の各属州で起こっている婚約破棄騒動に対して、どの辺りまで興味を持っているのか知りたかった。
「近衛騎士団としては、今回の事件は重大な関心を抱いている」
パウロはその事を踏まえた上で、王グスタフの三男であるフィリップ殿下が事件の関係者である限り、法務局や神祇局と共に事件に対応することを方針に決めたとのことだった。
「これは王グスタフ様にも聞こえたってことでいいのかな?」
「そうだ。ただ王グスタフとしては、宰相であるブレディット公爵に情報を集約したいようだ」
ブレディット公爵の名を聞いたビョルンは、王であり執政官であるグスタフ・フォン・ヴィスコンティが今回の事件に興味を抱いたことを知った。
宰相の地位を戴いているジャンカルロ・ブレディット公爵は、王グスタフより絶大な信頼を得ており、現在の王国の中でもっとも権力を得ている人物だった。
権力を持つとその反発は大きいものだが、宰相になって以降も貴族階級や騎士階級だけでなく、市井の人々にも支持を得ている。
彼が何事にも公正であり続けることを忘れず、市井の人々の気持ちを知るために質素な生活を送っていることが理由の一つだろう、
そんな人物だからこそ、若い頃より王グスタフの側近に抜擢され、その後の順調に出世し現在の地位まで登りつめたのだとビョルンは考えている。
「宰相殿なら適任だね」
ビョルンは納得していた。
「昨日すでに、こちらから走り馬を出している。続けて、護衛としてうちから二名の騎士を送った」
「あの二人ですか?」
「そうだ。奴らなら、何があっても少年を守ってくれるさ」
パウロが言う騎士とは、アラン・グルーバーとレナート・シュナイダーと言う若き騎士だった。
彼らは若き頃から各属州の旅団に入隊後、斥候として活躍しており、その腕をパウロに認められて王都の近衛騎士団へ栄転となった経緯がある。
その後も、近衛騎士団に入隊後の彼らはビョルンの関わる事件で活躍しているので、彼の覚えも良かった。
「あいつらは、うちの騎士団の中で安心して任務に任せられる。お前が思う不安も楽になるさ」
パウロは、ビョルンの懸念しているのが何か理解している。
・・・護送中に、トリスタン少年がレナトゥスに襲われるかもしれない
レナトゥスが、どんな人物かわからない限りは油断はできない。
もし、トリスタン少年が<異世界からの転生者>だと知ったのなら、必ず彼に接触するだろうし、場合によっては少年の命を狙うだろう。
「ありがたい。あの二人なら安心できる」
「それでだ。お前に伝えておきたいことがある」
「なんだい、それは?」
「本日中に宰相殿から、アトルシャン長官と共に登城せよと命が下るだろう。事件の件で話が聞きたいとの内容のはずだ」
「どうして、君がその事を知っているんだい?」
「宰相殿から直接言われた」
パウロが接客用に出された紅茶を飲むと話を続ける。
「仕方ないだろう、何せ主任団長ってものを戴いてるんだ、俺にも立場ってものがね」
パウロがため息をつく。
騎士団の主任団長は、王城に通うのは任務の一つである。
警備体制の確認がある限り、どこかで宰相と会うのはもちろんのことである。
宰相が彼に声をかけるのは当然のことだった。
「わかったよ。アトルシャン長官にも話しておくよ」
「よろしく頼むわ」
パウロは、話を終えるとすぐに近衛騎士団の屯所へ戻った。
ビョルンも、そのままアトルシャン長官へ会いに行く。
ビョルンの上司であるアトルシャン・ワーグナーは、ビョルンと同じく終身法務官の一人である。
王都では法務局の長官として知らせているだけでなく、別の意味で有名な人物だった。
齢は40後半を過ぎていながら、痩躯で無駄のない筋肉質と共に金色の髪と碧い瞳を要していた。
その容姿が、アトルシャンの名前を王都中に広く知られている理由の一つだった。
つまり、アトルシャンは美男である。
王都では彼の多くの女性の愛好者がおり、毎日のように法務局には彼女たちの恋文が届くのだった。
アトルシャンは、自分の置かれた立場は理解していたが気にも留めてない。
彼には愛する妻と子がいる限り、他の誘惑に揺さぶられることはない。
ビョルンはこの長官を尊敬している。
ただ最近は法務局の予算に揺さぶられている姿が滑稽であり、この方も人なのだと改めて実感していた。
「宰相殿も大変だね。まして今は長子殿の婚姻の件で忙しいはずだしね」
ビョルンからパウロの伝言を伝えたアトルシャンは予算案を見ながら話す。
「アルフレッド・フォン・ヴィスコンティ皇子との婚約でしたね」
「ああ。宰相殿も親だ。きちんと長子殿を送りだしたいだろうし」
長子であるアルフレッド皇子と宰相の長子であるシルヴァーナとの婚姻は王グスタフからの申し出であった。
この婚姻は政治的な面が大きく反映されていた。
アルフレッド皇子の後見人としてブレディット宰相が立てばその地位は安泰である。
また、この婚姻に反対するものはあまりおらず順調に行けばアルフレッド皇子は次期国王として人々に迎えられることになるのだ。
「とにかく王都へ上がる準備はしよう。まだあれが残っているしね」
アトルシャンの視線が長机に置かれた書類の束に向く。
「我が局はいつも予算が一杯一杯ですから」
そう言われるとビョルンが苦笑するしかない。
ここはいつも人手が足らないのだ。
法務学校の創設や職員の給与だけでない。
各属州には法務官の数が不足している。
この問題を解決しなければならない。
アトルシャンの苦労にビョルンは感謝するのみだった。
登城前、ビョルンは改めて各属州からの報告に目を通した。
婚約破棄を行った者たちの半分が<異世界からの転生者>と名乗り、<悪役令嬢>や<小説>を口にしていた。
その一方、で全員がレナトゥスに接触されていた。
このレナトゥスの人物は戸籍を調べてみたが、その名前は死亡届の出されている幼い子供たちのところにはなかった。
やはり自分の存在を調べられないようにしているようだった。
ビョルンはジーノが手紙に書いていたレナトゥスの意味を思い出す。
・・・レナトゥスとは再生や生まれ変わると言う意味。
この名前にも意味があるのは確かだと言える。
レナトゥスは今後どこかで何をしようとしているのかさえわからない。
不安だけが残りながら、ビョルンはブレディット宰相の使者が来るまで考え込むのみだった。
午後になり、ブレディット宰相より登城の呼び出しが出たビョルンは、アトルシャン長官と共に城へ向かう。
二人が執務室に通されると、ブレディット宰相は各属州に対して政治的支持を出すため、担当の部下たちに指示を出していた。
彼が着ている服装も色合いも地味で貴族独特の刺繍も少なく機動性を重視している。
部下たちも彼に見習ってより服の色は地味な色合いで占められている。
「お待ちしておりました」
ビョルンとアトルシャンに気付いた部下の一人がすぐに別室に案内すると続けて宰相が入室する。
二人が立ち上がり挨拶をしようとするとブレディット宰相が手で制する。
「そのままで結構だよ」
ブレディット宰相は椅子に座る。
「忙しいところ申し訳ないね」
「いえ、お気になさらず」
アトルシャンが答える。
「さっそくだが、各属州で起こっている事件だが今後どのように対応するのか知りたいのです」
「それにつきましてはこのビョルン・トゥーリが担当します」
ブレディット宰相はビョルンに視線を向ける。
「ビョルン君、主任団長のパウロから話は聞いている。その上で君はどう考えているのか聞きたい」
「はい。私は今回の事件の裏側に何かしらの人物がいると考えています。その中でレナトゥスと名乗る者がその意思を持って動いています。彼がどのように動くのかわかりません。ですので彼の捕縛を第一優先とします」
「だが彼はどこにいるのか未だわからない。それについてはどう考えている?」
「正直に申し上げます。レナトゥスが動かない限りは事件は進展しません。我々は後手に回るしかありません」
「それは厳しいな。だが、後手に回り続けるつもりはないのだろう?」
「はい。ですのでこの後は関係者を王都に呼びよせ審問を行います。今回は我々は<異世界からの転生者>と呼ばれる者たちと対峙しなければなりません。そのためには彼らの知識を知る必要がありますので」
ビョルンは近くにいるブレディット宰相の部下にジャビエンヌが書いた<部下>の写しを渡す。
「これが<異世界>の文字か・・・」
部下から渡された写しを見ながらブレディット宰相は感想を語る。
「わかった。今後の犠牲は覚悟しよう。だが、なるべく傷口は広げたくない。レナトゥスの捕縛は近衛騎士団と共に対応するようにして下さい」
ブレディット宰相が今後はアトルシャンに視線を向ける。
「法務長官殿、来期の予算案はどうだい?」
「いや・・・なかなか進まないですな」
アトルシャンが後頭部を掻く。
「ですが、これも法を司る者としての役目ですのでなるべく早く終わらせます。今回の捜査の件もあるので」
「可能なら今回の件を予算案に反映させてもらいたいのだが?」
「そのつもりです。ですのでもう少々時間を頂きます」
「わかった。財務部にはそのように話しておこう」
こうしてブレディット宰相との話は終わった。
その帰りにビョルンとアトルシャンは王都の廊下で珍しい人物と遭遇した。
それはアルフレッド・フォン・ヴィスコンティ皇子だった。
二人は立ち止まると礼をする。
その横を頷きながら通り過ぎようとするアルフレッド皇子が立ち止まった。
「アトルシャン、各属州では不思議な出来事が起こっているようでだな」
「はい、今回はその件で登城しております」
「できれば私にもその出来事を知りたいのだが?」
「わかりました。報告書は宰相様にお渡ししておりますので写しを届けるようにお願いします」
「皆、宰相ばかりだな」
アルフレッド皇子が冷たく呟く。
「今後は別途、私にも届けるように」
「手配できるよう対応します」
アトルシャンの言葉にアルフレッド皇子は鼻で笑った。
「期待はしておらん。だが、今後を見据えて動く方が良いぞ」
「はい」
「食えないやつだ」
そう言うとアルフレッド皇子はその場から消えた。
法務局の帰り道、ビョルンはアトルシャンに語り掛ける。
「アルフレッド皇子は変わられましたね」
「ああ。ここ数年だが急に高圧的になられた」
「宰相殿に対しては嫉妬が垣間見えます」
「権力の中枢に入れない自分を邪魔しているのが宰相殿にしか見えないのだろう」
アトルシャンは続ける。
「最近は宰相殿の長子であるシルヴァーナとの婚姻にも難色を示している。王グスタフは悩んでいるようだ」
「昔は誠実な印象でしたが、あまりにも変わられております」
「不安かね?」
「はい。皇子が婚約破棄など起こされては王族の価値も下がる懸念がありますので」
「何事も油断はならないな」
「はい。ですので長官には密に宰相殿と連絡をお願いします」
「わかった」
アトルシャンは頷く。
その横でビョルンは再びレナトゥスへと意識を向けていた。
彼が今後どのように仕掛けてくるのか。
トリスタン少年が襲われないことを願いながらビョルンは帰路につくのだった。
〇主な登場人物
アトルシャン・ワーグナー・・・法務局の局長。ビョルンとエヴァの上司。
パウル・バルドーネ・・・近衛騎士団の主任団長。
アラン・グルーバー・・・パウロの部下。元旅団の斥候役。
レナート・シュナイダー・・・パウロの部下。元旅団の斥候役。
ジャンカルロ・ブレディット・・・宰相。王グスタフの絶大な信頼を得ている。
アルフレッド・フォン・ヴィスコンティ・・・王グスタフの長子。後継者。




