逡巡=王都にて
翌日、ビョルンは資料室で調べた結果をエヴァに伝えた。
五十年間の事件のうちに<異世界からの転生者>と思われる者たちの存在は皆無に近いものだった。
だが、気になる言葉が書かれた調書にビョルンは注目していた。
「<前世の記憶を持つ者>ですか?」
エヴァが不思議そうに尋ねる。
「はい。この五十年間で二件だけ<前世の記憶を持つ者>を示唆する内容がありました」
「それはどのような内容でしたか?」
「一件は義母が義娘を襲った事件です。これは義娘の財産を奪っていた義母に対して義娘が逆に報復をして義母を追放した結果でした。この時、義娘は<前世の記憶>があったので義母の悪事を暴いたため義母の一族は全員拘束後に追放など厳罰を受けました」
「二件目はどうなのですか?」
「こちらも義妹が義姉の恋人を奪った事件です。こちらも義姉が義妹と義母の罪を暴いて追放したのですが、義姉が<前世の記憶>を持っており義母は義姉に虐待することを知っており証拠集めをしながら法務局に訴え出たのです。それと義姉の恋人が義妹と不義を働くのも<前世の記憶>で知っていたそうでこちらも証拠も確保していたので彼も刑罰を下されています」
「彼女たちの<前世の記憶>は本当だったのですか?」
「当時の先輩、法務官たちは<前世の記憶>に対しては否定的だったようです。ただ。事実は事実として<前世の記憶>に関することは記入する方針を取りました。結果としてこの調書にはきちんと<前世の記憶>を自称する者たちがいたと書かれています」
「ビョルン様は<前世の記憶>を持つ者がいると思っていますか?」
「いてもおかしくはないでしょう。<異世界からの転生者>と名乗る者たちが現れた限りは」
「そうですよね。私もそう思います」
「ただ印象論の問題ですが、<異世界からの転生者>と<前世の記憶>を持つ者はまったく違う者ではないかと思います」
「それはなぜですか?」
「<前世の記憶>を持つ者は一度この世界で生きており、そのまま時間を遡っている可能性があります」
「あ、そうですね!」
エヴァはビョルンの言いたいことが理解できるとおもわず手を叩く。
「二件の事件とも前の記憶があって彼らが自分に害を加えることがわかっていた。だからやり直しが出来たんですよね」
「そうです。しかも<前世の記憶>を持つ者は他の者に危害を加えていない。あくまで自分の身を守っているだけなのです」
ビョルンは続ける。
「ここからは私の仮定です」
ビョルンは胸の前で両手を合わせながらゆっくりと歩き出す。
「彼らを2種類のものだとします。一つは現世ではない別の世界から来たと語る人たち。もう一つはこの世界の過去の記憶を持つ人たちです。では、この2種類の人たちに共通することはなんでしょうか?」
「そうですね・・・別の記憶があると言うことでしょうか」
「ええ。ですがそれ以外にもう一つあると思うのです」
「それはなんでしょうか?」
「彼らの存在は別物と考えるべきです。つまり共通項がないと言うことが共通するのです」
「あの・・・意味が理解できないのですが・・・」
「異世界からの転生と前世の記憶はそもそも意味が違うのです。前者は我々の文明や常識が違う場所であり、彼らは前に居た異世界の常識で物事を考えるということです。前世の記憶を持つ者は逆にこの世界の文明や常識を持っているので前世の記憶が蘇っても生活環境に順応するのは簡単でしょう」
「なるほど・・・だから、異世界の転生者を語る者たちが婚約破棄や恋愛での問題を起こすと。一方で前世の記憶を持つ者はその記憶を基にして同じ過ちを繰り返さないよう動く訳ですね」
「ええ」
そう推測するのなら、<異世界からの転生者>は危険な人物ではないだろうかとエヴァは思う。
「しかしこれはあくまで推測ですし、実際はまだ私は<異世界からの転生者>と名乗る者に会っていませんし、そもそも<前世の記憶>を持つ者さえ会っていない。今回の話は仮定を元にした内容ですので他の者には口外しないように」
「もちろんです」
二日後、東属州の旅団より走り馬が法務局にいるビョルンの元へ到着した。
騎士はすぐにエヴァにいつもより大きく膨れ上がった封筒を渡す。
エヴァがその中身を確かめるとビョルンの部屋を訪問する。
「ビョルン様、フィリップ殿下より封が届いております」
エヴァはビョルンに封筒を渡す。
すぐさまビョルンは封筒に入ったフィリップの手紙を読む。
そこには今現在の捜査状況とジャビエンヌが書いた<物語>がまとめられた羊皮紙を送ると書かれていた。
捜査状況は進展しておらず、レナトゥスと言う人物の行方はまったく不明だった。
だが、ジャビエンヌに対して罪の軽減を取引とした結果、彼女は自らが知る<物語>を書くことを選んだ。
その結果が今手元にある一つにまとめられた羊皮紙の束だった。
「これがジャビエンヌ嬢のものですか?」
「ええ。予想以上に書かれているのには驚きました」
おそらくジャビエンヌは罪の軽減よりも自分が知る<物語>を他者に知ってもらいたい欲が出たのだろうか。
「これはトリスタン少年にも確認してもらっています」
ビョルンから渡された羊皮紙の束を見るエヴァはその内容を見て目を疑う。
「・・・この文字はなんですか?」
「<異世界>の文字です。我々にはまったく見当がつかないものですね」
「複雑な文字に単純な文字の組み合わせが存在を強調しているように思えます」
「はい。私もあなたと同意見ですよ」
ビョルンも予想外の内容に驚きを隠せないでいる。
「それでこれをトリスタン少年は読めたのですね?」
「はい。しかもこの<物語>の内容はトリスタン少年も知っていました」
「・・・それは向こうの世界では有名だったと言うことですね」
「そうです。トリスタン少年が言うには婚約破棄を題材とした小説だそうで、<悪役令嬢>と<ヒロイン>などが出てくるそうです。そこに赤の色で書かれた四角の中の文字が<悪役令嬢>と<ヒロイン>です」
ビョルンの話した場所には四文字で書かれていると思われる場所が二ヵ所、赤で囲まれていた。さらに他の場所にも赤で囲まれた場所があった。
「その他の場所はなんですか?」
「一つは<婚約破棄>で他の文字には<ざまぁ>や<聖女>など書かれています。ただ<逆ハーレム>は書かれていませんでした」
「しかしながらわからない単語ばかりですね」
エヴァの言葉にビョルンは同意している。
特に<ざまぁ>と言う単語は未知なるものでしかない。
「ですが彼らの世界では使われている内容ですので無下にはできません」
ビョルンは右手を口元に当てると考え込む。
「どうされましたか?」
「ジャビエンヌ嬢の書いた<物語>には<前世の記憶>を持つ者は出てこなかったようです。そうなるとジャビエンヌ嬢とトリスタン少年は<異世界からの転生者>だと考えるのは正しいでしょう。では、レナトゥスと言う人物はなぜジャビエンヌ嬢やガゼル嬢に関わったのでしょう」
それがビョルンにとって今知りたい疑問だった。
ジャビエンヌは<異世界からの転生者>だとしてもガゼルはこの世界の者であるはずだ。
ガゼルはジャビエンヌと違い、レナトゥスと関わってから自分が<異世界からの転生者>を思わせたふしがある。
レナトゥスと関わることで自分が<異世界からの転生者>と勘違いしたのも想像できる。
侍女長の証言などを見れば、ガゼルが<悪役令嬢>や<ヒロイン>の言葉を発していないと記録に残っている。
つまり、彼女は<悪役令嬢>や<ヒロイン>の言葉を最初から知らなかったのだろう。
レナトゥスがどこかで<逆ハーレム>を教えただけなのだろう。
では、レナトゥスが<異世界からの転生者>のみに関わるのならガゼルには関わる必要はあったのか?
レナトゥスは別の目的でガゼルと関わらないといけない理由があったのではないかと推測できるものの、他に<異世界からの転生者>の候補がいると普通は考えた上でその者に接触すべきだろう。
だが、ガゼル嬢はその存在ではない。
さらに踏み込めば<前世の記憶>を持つ者ではない。
「どうやらレナトゥスは人を選んで動いているようですね」
「その可能性は高いです」
「これは我々も<異世界>の知識を入れるべきでしょう。すぐにトリスタン少年をこちらに呼びましょう」
「すぐに手配します」
エヴァは頭を下げるとすぐに部屋を出る。その足で近衛騎士団へ向かう。
一方でビョルンはジャビエンヌの<物語>を翻訳した内容を確認する。
・・・これが本当なら迷惑この上ない
だが、それを防ぐ方法をビョルンは思い浮かばない。
今のままでは後手になって動くしかないのだ。
それにビョルンにはまだ確認していないことがあった。
・・・どうやって<異世界の転生者>たちは生まれてくるのか?
それがわからない限り予防線も張れない上、レナトゥスにもたどり着けない。
ビョルンは迷いと共に戸惑いを覚えるしかなかった。