当惑=東属州にて
神官ジュリアン・トランティニャンが、東属州にある第二の都市キリキアを訪れてたのは、春先のことだった。
ジュリアンがこの場所を訪れた理由は、彼の独自の能力の影響があった。
彼は神官になる前、法務官の職を戴いていた。
自家の都合でやむなく後継者として神官を継いでから、彼は、所属する神祇局の法律に関する事例を受け持つ事が多くなっていた。
神祇局としても、神官という身分でありながら、冠婚葬祭など宗教が関わる問題を法律的観点から審査できるジュリアンの存在は、貴重であり彼には大きな期待を寄せていた。
今回、ジュリアンが都市キリキアを訪れたのも、法律に関して神官たちに講習会を開く目的があった。
約二週間ほどの日程だが、ジュリアンとしては職務に満足感を得ていた。
その日も、ジュリアンは神官たちの講義を終え、神祇局に間借りしている自室へ戻り資料を整理していた。
「入るぞ」
ジュリアンの部屋に一人の騎士が訪れた。
キリキア旅団長である、フィリップ・フォン・ヴィスコンティだった。
「フィリップ殿下」
ジュリアンは、身を正し礼をする。
「そんな堅苦しいことはなしだよ。いつものように接してくれ」
フィリップは苦笑する。
「今日はどうされましたか?」
「この後、食事はどうだい?」
「そうですね・・・この後は何もありませんので大丈夫です」
日程表を見ながら、ジュリアンはフィリップの誘いを受ける。
「では、しばらくここで待機させてもらうよ」
「いいんですか?旅団の方は?」
「仕事は終わらせている。心配ないよ」
そう言うと、フィリップは応接用のソファに座る。
王であり執政官であるグスタフ・フォン・ヴィスコンティの三男であるフィリップは、王家の後継順ではもっとも低い地位にある人物だった。
フィリップは側室の生まれの出であったが、幼い頃から運動神経が他の児童よりも抜群に優れており、父であるグスタフに武術に才能を見出された彼は騎士団に入隊した。
その才能はすぐに開花し、若くして騎士団の士官に抜擢されこの地に来ていた。
ジュリアンとはこの地で初めて交流したのだが、互いの才能に感化した同士が友人になるのは自然の流れだった。
夕食の時間になり、ジュリアンとフィリップは街にあるダイナーに入店した。
いつものように、郷土料理とワインを頼みと二人はその味を楽しむ。
「講習会はうまくいっているようだね」
「ええ。皆が、法律の重要性を理解してくれますので」
「時間があれば、旅団の者たちにも講習会を開いてもらいたいものだ」
「そうですね・・・どこかで時間が取れるようにしましょうか?」
「いいのかい?」
「はい。フィリップ殿下にはお世話になっていますし、特に、この食堂の料理は私にとってありがたいものなのです」
「そう言ってもらえると嬉しい。では、正式にこちらから神祇局へ依頼しよう」
フィリップは笑う。
その後も、二人はお互いの経験した出来事を話をした。
その中でジュリアンは王都や北属州で起こった事件をフィリップに話す。
「噂の終身法務官殿の話だね」
フィリップにも、終身法務官の名前は届いていた。
権力の圧力に負けず、自らの正義の元に妥協なき審問と裁きを下す、変わった法務官がいる。
「名前は確か・・・ビョルン・トゥーリ氏だったかな」
「ええ。あの方は不思議な方です」
ジュリアンは、ワインを飲みながら語る。
ジュリアンとしては<法務官殿は妥協なき聖域にいる人間>だと印象を持っていた。
「ジュリアン、僕も一度彼と会ってみたいな」
「お勧めはしませんよ。関わった人たちは、少なからずあの方の影響を受けると思いますので」
「それは、君も含まれるのかい?」
「否定はしません」
ジュリアンは笑う。
食事を終えたジュリアンとフィリップが、そのまま街を歩いていると、フィリップの姿を認めた旅団の一隊が駆け抜けてゆく。
その中にいた一人の騎士が、そのまま彼の下に駆け寄る。
「どうした?」
フィリップの口調が、本来である騎士の姿に変わる。
「キリキア水路にて水死体が発見されました」
騎士が報告した場所は、キリキアでは上水道として、都市に水を運ぶ重要な場所だった。
その近くで、男性の死体が発見されたと言う。
「身元はわかったのか?」
「はい」
「名前は?」
「それが・・・」
騎士が、ジュリアンを見ながら戸惑いを見せる。
「構わん。彼に聞かせても」
「・・・カイル・ライランス様です」
その名に、フィリップとジュリアンは絶句した。
カイル・ライランスと言えば、公爵家の地位を戴く名家の一つだった。
「ジュリアン殿、私はこれから現場に向かう。今日は申し訳ないがここで解散させて頂く」
「構いません。まずは任務を優先して下さい」
「かたじけない」
フィリップは礼をすると、そのまま騎士と共に現場へ駆け出す。
フィリップを見送った後、ジュリアンも帰路につこうとした。
その時、彼は少年の姿に気付いた。
少年もフィリップの姿を追っていたようで、立ち去った後は何故か残念そうな表情を浮かべていた。
少年はジュリアンの視線に気付いたようで、彼に何かを言おうとしてすぐに口を噤んだ。
その様子にジュリアンが少年に声をかけようとしたが、少年は逃げるかのように立ち去った。
自宅に戻ったジュリアンは、立ち去った少年のその後が気になってしまい、もし街で見かけたら彼に声をかけてみようと思った。
カイル・ライランス公爵の遺体が発見された翌日は、キリキアの街は騒然としており、人々が落ち着かない様子だった。
なにせ、東属州キリキアで有名な名家の主が死を迎えたのだから。
フィリップが現場に駆け付けた時には、カイルの遺体は引き揚げられていた。
その様子を見ながら、フィリップは部下である騎士に検視結果を尋ねる。
「死因は水死で良いのか?」
「いえ、刺殺です」
騎士がカイルの遺体の背中を見せる。
カイルの遺体の背中の右腰の辺りに、短剣の刺し傷が見られた。
「出血が多かったのか?」
「おそらくですが、背中から刺された後に、そのまま水路に落とされたと思われます。現場に血だまりが少量しか見られませんので」
確かに、現場に残されているのは、小さな血だまりだけだった。
「目撃した者は?」
「おりません」
「・・・そうか」
フィリップとしては、この事件からあまり良い印象を持てなかった。
このまま、手掛かりもないまま終わるかもしれない。
そんな不安に駆られていた。
「ライランス家にはお伝えしたか?」
「まだです」
「わかった。私が報告に伺う」
フィリップは、その足でライランス家へ向かった。
すでに、ライランス家には主の死が伝えられており、屋敷内は混乱を極めていた。
その中で、妻であるケイト・ライランスと長子のパトリシア・ライランスがフィリップに応対した。
「残念ながらカイル殿はお亡くなりになりました」
「そうですか・・・」
ケイトは、悲しみを堪えているようだった。
「カイル殿に、恨みを抱いている者はいらっしゃいますでしょうか?」
「・・・いえ」
ケイトが少し動揺したのを、フィリップは見逃さなかった。
「どうされましたか?」
「いえ・・・」
そこに、パトリシアが話し出す。
「お母さま、お話しすべきです」
「でも・・・」
「父上が死を迎えた限り、私たちは今抱える問題を騎士様にお伝えすべきです」
その言葉に、ケイトは覚悟を決めたようで頷く。
「パトリシア殿、構いません。お話し下さい」
「騎士様、我がライランス家は今、メルヴィル家とある事案で揉めております」
「それはなんでしょうか?」
「私、パトリシアとメルヴィル家の長子ピエール様と婚約をしております。学園を卒業後に、婚姻の運びとなっておりますが、ですが、ピエール様はある子爵家の長子であるお方と密接な関係となっております」
「それはカイル殿もご存じですか?」
「はい。父はその事実を確認するために、ピエール様と子爵家を調べておりました」
「なるほど。それで調査の結果はいかがでしたか?」
「ピエール様の不義密通を確認できました。その事実は、すでにメルヴィル家に伝えており婚約破棄を願い出ております」
「メルヴィル家の反応は?」
「メルヴィル家は、我がライランス家に謝罪しております。ですが、ピエール様は婚約破棄を喜んでおり、子爵家の長子の方と改めて婚約を結ぶと喜んでおります」
「よろしければ、子爵家の長子のお名前をお聞かせ願いますか?」
「ジャビエンヌ・セイリグ様です」
その名前に、フィリップは聞き覚えはなかった。
セイリグ家は子爵家としてはまだ新しい貴族であり、東属州でも有名ではないのだろう。
「あと・・・ジャビエンヌ様にはよろしくない噂がありまして・・・」
「それはなんでしょうか?」
「他の貴族の子息たちと仲が良いようでして、その影響で・・・学園内では恋人同士の破局などが起こっております」
フィリップはその話を聞くと、なんとも言えぬ思いを抱いた。
それは、学生同士ではありえない恋愛ではないかと言うものだった。
「ピエール殿の件も、その影響ですね?」
「はい。ですので・・・・父は学園長に対してジャビエンヌ様の退学を意見しておりました」
「その事実を知るのは、ピエール殿も知っておられますか?」
「おそらくは。父はメルヴィル家にも確認しておりましたので」
フィリップは考える。
おそらく、この流れではピエールとジャビエンヌはともにライランス家が彼女の退学の申し出を届けたのは知っていたと思うべきだろう。
そうなると、二人には殺害の動機はあると見るべきであり、殺人を請け負う者たちを雇った可能性が高い。
「ありがとうございます。我々はこの後、ピエール殿とジャビエンヌ殿に聞き取りを行います。それまでは屋敷内でお待ち下さい」
二人から聞き取りを終えたフィリップは、礼を言うと屋敷を出ようとする。
その時、玄関先が騒がしくなった。
フィリップが近寄ると、一人の青年が何か叫びながら、無理やり中に入ろうとしていた。
「何をしている!」
フィリップは青年に近寄る。
青年はどうやらピエールのようだった。
「誰だ貴様!!俺はパトリシアの婚約者だぞ!!」
ライランス家の使用人を振り切ると、ピエールはフィリップに殴りかかる。
何も考えずただ振り回すだけのピエールの右腕をフィリップは掴むと、そのまま投げ捨てて地面に押さえつける。
「貴様!!俺は伯爵家の長子だぞ!!無礼だとわからないのか!!」
爵位にかこつけて恫喝するピエールに、フィリップは呆れながら答える。
「わからぬのはお前だ。俺はキリキア旅団のフィリップだと言えばわかるはずだ」
「なっ!!」
思わず、ピエールが言葉に詰まる。
フィリップの名前は有名どころではない。
王グスタフの三男であるだけでも、爵位をひけらかす自分が惨めになるのはわかりきったことだった。
「いいか?今、我々旅団の者たちが調査を行っている。関係者であるお前も同様だ。勝手な事をするのは許さないぞ。ただでさえ、不義を働いて婚約破棄されようとする者が何故ここに来た?」
「わ、私は婚約破棄は認めておりません。私は、今でもパトリシアの婚約者だと思っております。彼女を心配するのは当然です」
「では、ジャビエンヌとなぜ不義を働いたのか?」
「そ、それは・・・」
ピエールは答えることはできない。
それは自分が不義を認めたことを示していた。
「お前は婚約破棄を喜んでいたのだろう?ジャビエンヌ嬢と改めて婚約できると言っていたと聞いたぞ」
「いえ・・・それは勘違いなのです!!私はジャビエンヌとは体を重ねましたが、婚約破棄をするつもりはありませんでした」
ピエールは続ける。
「ジャビエンヌは、他の家の者と結婚すると話してきたのです。私には未来の夫がいる。それはあなたではないと」
「ほう、ではお前は素直に従った訳だ」
ピエールの言葉に、フィリップはこのまま質疑をすれば、さらに事実が出るのではと考える。
しかし、呆れる。
肉体関係があると認めながら、まだ、婚約ができると考えるとは。
フィリップは、ピエールを殴りたくなる気持ちであった。
「ジャビエンヌ殿の退学届の話は、もちろん知ってるな?ジャビエンヌ殿にも伝えたのだろう?」
「待ってくれ!私は、確かにジャビエンヌに退学のことは伝えた。それが何だと言うのだ?」
ピエールの頭の悪さにフィリップは呆れてしまう。
「わからないのか?お前が伝えた事がジャビエンヌ殿にとって、不利なものだと考えなかったのか?」
それは、ジャビエンヌがカイルを殺害する動機になりえる可能性があると言うことだった。
「まさかジャビエンヌが!?」
ピエールが驚愕する。
「何を驚く?お前も共犯なんだろ?」
「違う!!私は、ジャビエンヌが裏切ったから、少しでも傷つけば良いと思って退学の話をしたのだ」
「それがそもそもの間違いだ。ジャビエンヌが、お前だけでなく貴族階級の子息に手を付けた貞操観念のない人物だと考えてみろ。自分の邪魔をする者がいれば、お前含め彼らを利用して排除するのがわかるはずだ」
「そんな・・・」
ピエールが泣き出す。
「隠していることがあればここで言え。まだ犠牲者が出るかもしれん。パトリシア嬢も保護対象になりうるしな」
「・・・パトリシアが」
ピエールのすべての力が抜ける。
フィリップはピエールを解放する。
「ジャビエンヌから言われたんだ。卒業式でパトリシアと婚約破棄を宣言すれば、私が婚姻して挙げると」
「なぜ、彼女はそのようなことを?」
「パトリシアは、悪役令嬢で私を不幸にする悪魔だと。だから、私はその準備をしていた。だが、カイル殿が私たちの噂を聞きつけて、先に父上に婚約破棄を願い出た。その事を聞いたジャビエンヌが急に激怒したんだ」
「なぜだ?」
「彼女が言うには、悪役令嬢は物語通りに卒業式で罪を糾弾されて婚約破棄を受けるはずだと。なぜ物語通りにいかないのかと」
・・・<物語>と<悪役令嬢>とは一体なんだ?
フィリップは戸惑う。
「その後は?」
「彼女は僕に会ってくれなかった。彼女は別の子息に心変わりをしたんだ。だから私は・・・」
「退学の届け出の話をしたのだな?」
ピエールは頷く。
彼は少しでもジャビエンヌの気を引くために退学の話をしたのだろう。
その話を聞くと、少しだがピエールが哀れに思えた。
「ジャビエンヌ殿は、まだ手を下したかどうかわからないが、この後は彼女に聴取する。それまでは、屋敷で大人しくしていろ。警備の者もつける」
フィリップから解放されたピエールは、騎士たちに守られながらメルヴィル家へ戻った。
「どうされますか?」
「まずは、ライランス家の警備だ。彼女はまだ命を狙われる可能性がある」
「手配します」
「あとは・・・ジャビエンヌの聞き取りと彼女と関係を持った子息たちの調査だ。おそらく、彼女は自分から手を下さない。子息たちを操るはずだ」
「交易ギルド含め調査を開始します」
「頼む」
こうして、フィリップは調査を開始した。
ただ、フィリップには不可解な疑問が残っていた。
<物語>
<悪役令嬢>
これは一体何なのか?
聞いたことのない言葉に戸惑いながら、フィリップは自らの任務を続けるのだった。
〇主な登場人物
ジュリアン・トランティニャン・・・
神官。前職は法務官。
フィリップ・フォン・ヴィスコンティ・・・
王であり執政官であるグスタフ・フォン・ヴィスコンティの三男。
現在は東属州キリキアの旅団長。
カイル・ライランス・・・
被害者。公爵家ライランス家の領主。
ケイト・ライランス・・・
カイルの妻。
パトリシア・ライランス・・・
カイルの長子。ピエールの元婚約者。
ピエール・メルヴィル・・・
伯爵家メルヴィル家の長子。パトリシアの元婚約者。
ジャビエンヌ・セイリグ・・・
子爵家セイリグ家の長子。ピエールの不義の相手。