反問=王都にて
この話より解決編になります。
ジャンカルロ・ブレディット伯の長子であるシルヴァーナが登城したのは夕刻を過ぎた頃だった。
すでに懇談会周辺は貴族階級や騎士階級の人々が待機しており、その周囲には警備の騎士団の姿もあった。
彼らがシルヴァーナの姿を見つけると口々に噂話を始めた。
彼らの大半がアルフレッドの共鳴者や我関せずの傍観者たちだった。
本来の同伴者たるアルフレッドがいない中でシルヴァーナは侍女に声をかけられると用意された控室に案内された。
部屋に通されると侍女がシルヴァーナに声をかける。
「エヴァ様からです」
侍女はエヴァがパウロに頼んで用意した女性騎士だった。
彼女はエヴァが用意した封蝋された羊皮紙を渡す。
その内容をすぐに理解したシルヴァーナは侍女に向かい頷く。
懇談会が始まった。
会場に管弦楽団の旋律が煌びやかに鳴り響く。
微かに漏れる演奏の音の中でシルヴァーナは静かに時を待つ。
半刻後には自分の名前が呼ばれるだろう。
父であるジャンカルロ・ブレディットは王グスタフの件で懇談会の場から遠ざけられていた。
これもアルフレッドの手配によるものだった。
残されたのは自分だとシルヴァーナと覚悟をしていた。
・・・自分には最後の手段が残されている。
また、法務官であるエヴァがいる。
その時が来るまではシルヴァーナはひたすらこの場所で待つのみだった。
懇談会が始まると会場からガラファノーロ子爵が姿を消した。
彼は王城の奥にある炭小屋に控えていた配下たちと合流する。
彼らは会場の周囲を包囲するとそのままブレディット伯を急襲する。
現在は予定通りに事は進んでいる。
その様子だけでガラファノーロ子爵はマリサが王妃として王族に迎えられることに歓喜していた。
残るは宰相であるジャンカルロ・ブレディット伯の長子であるシルヴァーナの婚約破棄でありアルフレッドの合図があればすぐに動く準備は出来ていた。
他の貴族たちも手勢の配下たちを王都各地の主要場所を抑える手筈も整っている。
まもなくその時が来る。
だが、一人の配下が何か異変に気付いた。
「扉が開きません!!」
「なんだと!!」
ガラファノーロ子爵自ら扉の握りを掴む。
どうやら外から施錠されたようだった。
「どういうことだ!?」
「まさか近衛騎士団に気付かれたのでは?」
「アルフレッド皇子が近衛騎士団を動きを抑えている。それはありえん」
「ガラファノーロ様!」
窓の外を覗いていた別の配下がガラファノーロに声をかける。
ガラファノーロはすぐに窓の外を覗く。
彼の視線の先には完全装備をした多くの騎士の姿が確認できた。
「謀られたのか・・・」
そればかりではない。
そこにはユリウス国の王旗が掲げられていた。
「なぜあれが・・・」
ガラファノーロは唖然とする。
アルフレッド皇子が王旗を押さえていたのではないのか?
だが、現実はそうではない。
王旗が近衛騎士団の手にあるのだ。
彼の目の前には見覚えのある騎士たちの姿があった。
それはパウロ配下のアランとレナートだった。
彼らは手を挙げると迷うことなく矢を射かけた。
矢の束は炭小屋の窓を突き破る。
窓の側にいた配下たちが射殺される。
「応戦しろ!!」
ガラファノーロはすぐさま指示を出す。
だが、大型弩砲であるバリスタからも大型の鉄鏃の矢や矢羽のついた槍が放たれる。
その勢いで壁に次々と刺さるとそのまま壁は崩れ落ちた。
開いた穴にも騎士団の矢やバリスタの矢が放たれる。
バリスタの矢がガラファノーロ子爵の隣にいた配下を吹き飛ばした。
それがきっかけに炭小屋の中にいる騎士たちは次々と倒されてゆく。
もはやなす術もなかった。
管弦楽団の演奏が終わる頃にはすべての騎士たちは倒された。
残されたのはガラファノーロのみだった。
彼も背中に矢を二本受けており、抵抗は無意味な状態だった。
「ガラファノーロ子爵、拘束します」
アランが指示をすると後ろに控えていた近衛騎士団の団員たちがガラファノーロを拘束する。
「あなたを拘束します。これは終身法務官ビョルン・トゥーリからの通達書です」
レナートがガラファノーロ子爵の前に書類を示す。
「知っていたのか・・・」
ガラファノーロ子爵が惰弱な声で呟く。
「所詮はあなたは小物だった訳です」
その言葉にガラファノーロは無言のままアランたちを睨みながらその場から離された。
「戦場の経験がないとここまで脆いものだな」
レナートが炭小屋の中で息絶えた騎士たちを見る。
「感傷に浸る暇はないぞ。これから王都にいる反徒たちを鎮圧しなければならないからな」
「そうだな。俺はこのままあの方と合流する。急ごう」
彼らはその足で王都にいる反徒たちの元へ向かった。
管弦楽団の演奏が終わった。
しばらくしてアルフレッドの近侍と思われる者が部屋にいるシルヴァーナに声をかける。
「皇子がお呼びです」
「わかりました」
シルヴァーナはゆっくりと席から立つ。
その姿に悲壮感はない。
彼女は落ち着いた足取りで会場へ向かう。
・・・私は間違いを犯さない。
シルヴァーナが会場に着くとそこにはアルフレッドとその取り巻きである子息たちがいる。
他の貴族階級や騎士階級の人々は左右に分かれて待機している。
だが、マリサの姿はない。
・・・やはりあの方はいない。
今回の婚約破棄の張本人である令嬢の姿はない。
生まれ変わる前の時もそうだった。
彼女はその姿を隠して婚約破棄の場を外から眺めていたのだろう。
今回も同じだった。
この事はシルヴァーナは覚悟をしていた。
やはりこうなるのだと。
彼女はそのままの足取りでアルフレッドの前に立つとカーテシーをする。
「ジャンカルロ・ブレディット伯の長子、シルヴァーナ・ブレディットよ。貴様に伝える!」
アルフレッドは王族としての威厳を周りの人々に見せつける。
「聞くがよい!お前はマリサ・ガラファノーロ嬢を不当に虐待した。王太子の婚約者にあるまじき行為の数々。その罪を許す訳にはいかない。今日この時をもって私は貴様との婚約を破棄する!!」
これも生まれ変わる前に聞かされた断罪の言葉だった。
あの時は衝撃と動揺のあまり何も答えることができずその場から引き摺り出され屋敷に連れ戻された。
その後のことは忘れもしない。
屋敷にアルフレッド皇子とガラファノーロ子爵に率いられた騎士たちが乗り込んできた。
あの時の光景は忘れはしない。いや。忘れてはならない。
「シルヴァーナ、反論があるのなら聞いてやろう」
アルフレッドが下卑た笑みを浮かべている。
この喜色こそが彼にとって権力を手にできる快楽なのかもしれない。
この卑劣な宣言に対してシルヴァーナは本来尋ねるべき理由を無視してこう答える。
「仰せのままに」
「な、何だと?」
会場にいる誰もが予想だにしない返事だった。
シルヴァーナはアルフレッドの狼狽をよそに彼女は近くにいた近侍に封蝋された羊皮紙を渡す。
それはエヴァが彼女に渡した婚約破棄を認めた書類だった。
「これは何だ?」
近侍から羊皮紙を受け取ったアルフレッドはその中身を確認する。
その内容を見た瞬間、アルフレッドは大声で叫んだ。
「これは何だ!!」
アルフレッドは羊皮紙を破ろうとする。
「それを破るとあなたは法を破った罪人になりますよ」
澄み切った声が会場に響く。
誰もがその声の先に顔を向ける。
会場の扉の前に法衣を纏った法務官エヴァ・ハヴィランドとフィリップ・フォン・ヴィスコンティがいた。
「フィリップ、何故お前がいる?」
アルフレッドは予想外の人物に驚きを隠せない。
彼にとっては弟であるフィリップはこの王城にいること自体がありえなかった。
フィリップはすでに属州に戻っているはずだった。
「兄上、すでにあなたとシルヴァーナ嬢の婚約は法律で解消されています」
「嘘だ!!父は認めていない。父は未だ回復していない。その婚約破棄の書類は無効だ!!」
「いえ、あなたはご存じない。王グスタフはすでに押印されています。よく御覧下さい」
エヴァに言われアルフレッドは改めて保証人の欄を見る。
彼は動揺のあまり見逃していたが改めて内容を見ると見覚えある文字があった。
そこには父である王グスタフの直筆と玉璽が押されていた。
「いつ玉璽を押されたのだ・・・」
アルフレッドは何度も視線を書類とエヴァたちを繰り返し見る。
「兄上、この場でシルヴァーナ嬢に対して婚約破棄を行うことを父上は知っております」
「・・・父上が」
「そうです。そればかりか自らが兄上の手で毒を盛られることも覚悟しておりました。レナトゥスに繋がっていることも当然知っております」
フィリップの言葉にアルフレッドの表情が強張る。
「こうなることを見越して父上は婚約破棄の書類を用意しておりました」
「だが、シルヴァーナは<悪役令嬢>だ!!マリサを害しこの国を亡ぼす元凶になるはずだ!!」
「それは誰が決めたのですか?」
エヴァが尋ねる。
「レナトゥス、いや、マリサ自身が私に話してくれた」
「では、マリサ嬢が<悪役令嬢>だとは考えも及ばなかったのですか?」
エヴァの問い質しにアルフレッドが言葉を詰まらせる。
「ご存じだったんでしょう?マリサ嬢が<異世界からの転生者>だったことを」
アルフレッドの体が震え出す。
「どこまで知っているのだ・・・なぜ、今夜のことまで知っているのだ・・・」
「それはシルヴァーナ様が一番ご存じかと思います」
エヴァはシルヴァーナを見ると彼女は話し出す。
「アルフレッド様、私はあなたに婚約破棄を宣言されることをすでに知っておりました」
その言葉にアルフレッドは驚きを隠せない。
「マリサ様と不義を働く前から知っております」
「馬鹿な!!」
アルフレッドが叫ぶあまり前に一歩踏み出す。
「不思議ですよね。何故婚約破棄を知っていたのか」
エヴァが冷笑する。
「わからぬ。何故知っていたのだ?」
「シルヴァーナ様は<前世の記憶>を持っているのです」
会場にいる誰もがエヴァが何を話しているのか理解できなかった。
だが、アルフレッドはその意味を理解していた。
それはレナトゥスから聞いたことがあった。
・・・<異世界からの転生者>以外にもまれに<前世の記憶をもつ者>がいる。
レナトゥスもその姿を見たことはなかったと聞いていた。
だが、その体現者が自分の婚約者であり断罪者であるシルヴァーナとは思いもしなかった。
「シルヴァーナ、お前は私が婚約破棄をした後も知っているのか?」
「もちろんです。そのために私はエヴァ様含め皆様にすべてを告白しております」
「お前は<異世界からの転生者>なのか?」
アルフレッドは改めて確認する。
「違います。私はあくまで<あなたから婚約を破棄された上、父上を殺された記憶>があるだけです」
シルヴァーナは激しくアルフレッドを睨む。
過去の記憶を思い出したのだろう。
その怒りはアルフレッドを怯ませる。
「そんなはずでは・・・」
アルフレッドの手から書類が落ちる。
・・・シルヴァーナは前世の記憶を持つ者
これこそがビョルンが用意した策だった。
彼はエヴァを通じて知ったシルヴァーナの秘密を婚約破棄を宣言する場で婚約破棄を承認した書類をアルフレッドに渡し、その流れで彼女の秘密を話すことにより罪を認めさせる方法を選択したのだった。
「シルヴァーナ様の秘密は皇子、あなたの罪を認めるための手段です。レナトゥスやマリサ嬢も知り得ないはずだと終身法務官殿は考えております」
「・・・だが、終わっておらん。お前たちを殺せば何もかも終わる」
アルフレッドの言葉に取り巻きの子息たちや周囲に紛れていた子息たちの配下たちが剣を抜く。
「この城はすでにガラファノーロの手の者で押さえている。王旗も我が手にある」
「兄上、残念ながらそれは無駄に終わっております」
フィリップが手を挙げると会場に続々と近衛騎士団の騎士たちが現れる。
「兄上、その王旗は私がビョルン殿と相談し急ぎ作らせた偽物です」
フィリップの配下の者が会場に王旗を掲げる。
「こちらも正式の書面にしております。王グスタフの名のもとに」
「ありえぬ!ありえぬぞ!それは偽物だ!!」
その怒声と共に取り巻きたちがフィリップの元に剣を構えたまま歩み出す。
だが、騎士たちはすぐに矢を構える。
これはパウロが飛道具を見せることで相手の戦意を喪失させるために常用的に使用する方法だった。
取り巻きや子息の配下たちは騎士団が向ける鉄鏃の群れに動揺する。
「すでにガラファノーロは拘束しております。彼の手の者は全員射殺しました」
そう言うとフィリップは手にした矢を取り巻きの一人に向けるとそのまま射る。
その矢が取り巻きの一人の首を貫く。
深々と突き刺さった矢を触ることもなく、射られた者はその場に崩れ落ちた。
傷口から血が流れ出すとあまりの出来事にアルフレッドや取り巻きたちが唖然とする。
「兄上、私は躊躇いませんよ。次は兄上含めてすべての者に矢を射ます」
フィリップはアルフレッドに矢を向ける。
これが決定打となった。
アルフレッドと取り巻きたちは武器を捨てた。
騎士たちはすぐに彼らを拘束する。
同時にレナトゥスと関わりある貴族階級や騎士階級の人々を拘束する。
フィリップはこの場ですべての罪の火種を消すつもりであった。
「兄上」
フィリップが捕縄されたアルフレッドの前に出る。
「・・・フィリップ」
目の前にいるアルフレッドには、すでに王族としての威厳は失われている。
「兄上、私は残念に思います。私は父上の跡を継ぐのが兄上であると信じ、兄上を助けるために軍の道に進みました」
「・・・そうか」
「兄上はこれより罪人となります。今後は法に従い裁かれるでしょう。ですが・・・私の兄弟は兄上のみです」
フィリッが表情を変えず答える。
「・・・フィリップ、許してくれ。父にも伝えてくれ」
アルフレッドは騎士たちに連れられて外へ出される。
「シルヴァーナ様、ありがとうございます。あなたの勇気があってこそアルフレッド皇子を断罪できました」
エヴァの言葉にシルヴァーナは涙を流す。
「・・・私は前世の記憶を誰にも伝えることができませんでした。ですがエヴァ様にお会いできたことであなたに秘密を話すことができました。フィリップ殿下にも感謝しております。私の秘密に気づいて頂かなければエヴァ様に秘密を打ち明けることができませんでした」
フィリップがシルヴァーナにハンカチを渡すと、彼女は涙を拭く。
彼女の涙はこの日まで囚われていた自らの運命に解放された瞬間でもあった。
「シルヴァーナ嬢、この後は我らと同行して下さい。あなたの命を狙う者がいるかもしれない」
「わかりました」
王城はすでに近衛騎士団の管理下に置かれている。
だが、油断はできない。
レナトゥスの影がどこかにいる可能性があるのだ。
同じ頃、王城に潜む影も動き出していた。
彼の目的は王グスタフの暗殺であった。
アルフレッドの行う婚約破棄の混乱時に乗じて王グスタフの部屋に忍び込んだ。
懇親会の婚約破棄など影にとっては囮でしかなかった。
だが、影の前には待ち受けた騎士がいた。
それは近衛騎士団のパウロだった。
ベットにいるはずの王グスタフの姿はない。
すでに避難させていたのだろう。
「遅かったな」
パウロは剣を抜く。
彼は右肩に剣の峰を乗せながら前に踏み出す。
「お前が来るのはすでに予想していた」
影が両手に短剣を用意する。
「それがお前の得物か。確かにアランたちが戸惑うのもわかるな」
パウロが足を止めると両足を踏ん張るようにして態勢を整える。
一方で影は左手を前に出し右手を胸の前に置くと短剣を逆さに構える。
影の戦い方は現在で言う近接格闘術だった。
それは彼が<異世界からの転生者>の前に軍人を職にしていたからだった。
その彼もパウロと対峙するだけで緊張する。
それは油断すると自分自身がやられると感じ取っていた。
サイレント・キリング、つまりは無音殺傷法を得意とする影にとっては目の前にいる騎士が剣の使い手だと一瞬で見抜いている。
この目の前にいる影は幾度もなく戦場を駆け抜けて戦い続けていたのだろう。
大柄な体ながら戦場で鍛えられた肉体が俊敏さを兼ね備えているように見受けられる。
ただ、影には自分が有利な点があると知っている。
それは室内戦闘として長い剣と使うのは不利になるはずだと。
しかしパウロは動じていない。
この剣で戦える自信があるのだ。
無言のまま影がパウロに襲い掛かる。
影の短剣がパウロの両足を狙う。
パウロは後ろに下がりながらその横薙ぎを剣で素早く払う。
影の左右から繰り出される短剣が今度はパウロの両腕に向けられる。
その動きもパウロは躱すと不意に彼が剣を持っていない左手を影に突き出す。
影の胸元を掴むとそのまま自らの頭部を相手の顔に叩き込んだ。
急激な痛みを堪えながら影がパウロの左手に短剣を刺す。
刃はパウロの籠手を突き破って差し込まれた。
これで動きが止まる。
影がより刃を差し込もうとする。
だが、影の顔面にまたも痛みが走る。
再びパウロが影に頭突きを食らわしたのだ。
今度は痛みが意識を混濁させた。
影が足元がふらつかせる。
続け様にパウロの剣が襲い掛かる。
影は平衡感覚を失いながらも短剣二つでパウロの剣を防ごうとする。
だが、左手の短剣は吹き飛ばされてその勢いで壁に吹き飛ばされた。
影は痛みを耐えながらも呼吸を整えながら立ち上がる。
・・・こんな戦いは見たことがない。
影はパウロの戦い方が戦場で覚えたものだとすぐに知る。
戦場では戦いが始まると生き残るために剣だけでない、
鎧でも兜でも拳でも何でも使ってでも戦わなければならない。
目の前にいる男は生きるために戦い続けて覚えた術で自分に対峙している。
「急所を狙い相手の動きを封じる。それがお前が前の世界で覚えた技か。楽しいぜ」
パウロは差し込まれた傷を見ながら笑う。
「今度は俺から行くぞ」
パウロが雄叫びを上げたなら影に斬り掛かる。
その姿に影は動揺する。
これが戦場に身を置いた騎士の姿なのか。
影はパウロの動きを封じるために背中に隠していた無数の短剣を投げ込む。
その短剣が鎧に刺さるがそのまま突き進んでくる。
・・・避けないだと!?
驚きが油断を導く。
影が一瞬の感想を思った時にパウロの刃が完全に彼の体を捉えていた。
影の左肩に剣が当たると左肩の骨が砕かれた。
悲鳴を上げることもできず、今度は影の体が右側に吹き飛ばされる。
床に滑るように吹き飛んだ影をパウロが追う。
そのまま剣を左肩に振り下ろすと今度は影の左肩に強烈な痛みが走る。
骨は砕かれなかったが、重い打ち身のため影は短剣を握ることができなくなっていた。
「まだ痛みで声を出さないだけでも大したもんだ。だが、お前さんは短剣も握れない。降伏しろ」
その言葉に影が笑う。
影は奥歯に毒を仕込んでいた。
それを砕こうとした時、パウロが傷ついた左手で影の顎を掴む。
「死ぬな。お前は戦士として優秀だ。だからこそ俺は敬意を込めてお前を死なせはしない」
パウロは影の口に布を入れ込み、そのまま背中に回ると首を絞めると影は気を失った。
その後、パウロは控えていた部下たちを呼び、影の身を引き渡した。
「団長、大丈夫ですか?」
残った部下の一人が言う。
パウロは鎧に刺さった短剣を見る。
剣先が少しだけだが胸に触れており少量の血が出ていたが痛みはない。
「大したことはない」
パウロは鎧に刺さった短剣を抜く。
「これは確かにアランたちが苦労するのがわかるな」
パウロは苦笑する。
「さて、俺たちも行くぞ。フィリップ殿下と合流したらすぐに王都に出るぞ」
「はっ!!」
パウロが歩み出すと懇談会の会場へ向かう。
「あとは任せたぞ、ビョルン」
レナトゥスとマリサは時計台にいた。
この場所からは王都の四方周囲を見回せる場所だった。
王城は相も変わらず煌びやか姿を醸し出している。
今頃はアルフレッドがシルヴァーナに婚約破棄を宣言している。
その間にもマリサの父であるガラファノーロとアルフレッドの支持者である貴族階級や騎士階級の人々が王都の主要場所を抑えるために動いているだろう。
隣にいるマリサは嬉しさのあまり落ち着いていられないようで心が弾んでいた。
しかしレナトゥスは何か不安に駆られていた。
それはビョルン・トゥーリの動きだった。
・・・なぜ動かなかった?
王都の騒乱は彼には予想できているはずだ。
だが、ビョルンの動きが鈍っている。
それが彼が何も手を打てなかったと思っていたが実際はどうだろう。
いや、ビョルンが手を打ったとしても王族を混乱させられるのか確実なものだった。
何せ皇子たるアルフレッドの騒乱を起こすのだ。
・・・だがこの胸騒ぎは何だ?
その思いに駆られていると時計台の階段を何者かが登ってくる足音が聞こえた。
マリサがその音に気付くと階段の踊り場に近づく。
マリサが階段を登るその姿を認めた時、彼女は後ろに踉めきながらレナトゥスの元へ駆け寄る。
レナトゥスの視線に見覚えのある者の姿を認める。
「どうして、なぜあなたが・・・」
マリサは驚きのあまりに息を凝らす。
法衣を纏った褐色の肌と白髪を持つ者は踊り場で立ち止まる。
「お久し振りですね。レナトゥス。いえ、ジョルジュ・ダリュー」
「やっと僕の名前がわかったんだね」
レナトゥスことジョルジュが微笑む。
「今日は何の用かな?」
「今日はあなたを審問に来ました。今回の事件に関してあなたを裁くために」
「へえ・・・楽しそうだね」
「私もです」
ビョルンは数歩だけ歩むとジョルジュと改めて向き合う。
お互いの視線が交わる中、ジョルジュは一度だけ視線を煌びやかな王城へ向ける。
この瞬間がまるで二人に舞台を用意したかのように王城が華美している。
ジョルジュは再びビョルンに視線を戻す。
「さて始めましょう。ジョルジュ・ダリュー、あなたを審問します」
そして、レナトゥスことジョルジュ・ダリューの審問が始まった。




