泉のほとりにて我渇き死ぬ
最近の愛国者は日本について深く掘り下げて考える気はないようである。私は彼らが口を開けば「韓国が」「中国が」と言って、日本の文化も歴史も上っ面の理解しかしていない事に個人的に腹を立てていた。
…しかし、この「腹を立てていた」というのは八つ当たりだというのも告白しなければならない。というのは、私は日本文化や日本の歴史を理解する必要を感じて丸山真男の『日本政治思想史』を読んだりしているのだが、これはかなり苦痛だった。その腹いせという事もある。私は日本を愛するとか日本は凄いとかいう人から、深い洞察を聞いた事がない。…という事は、彼らのやる事なす事その影響は結局表面的なものに留まるのではないか。
日本は凄い、素晴らしいと言いつつ、彼らが本当に言いたいのは「自分達は凄い」という事だ。だから、転生したら無敵になっていたという馬鹿話と同じように、日本人だから自動的に凄いというような話が喜ばれる。そんなに日本人が凄いなら苦労はしない。私も日本人なので、もっと自信を持ちたいが自信など持てない。だから勉強せざるを得ない。
ではそもそも日本人と何か。日本とは何か。これは大問題なので、私は私に必要な部分だけ抽象する事にしよう。
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私が以前から気になっていたのは、明治の知識人は優秀だという事だ。今のインテリとは比べるまでもない。彼らは、古い言葉、大雑把な概念を使いながら、的確に物事の本質を突いている。例をあげれば、福沢諭吉、内村鑑三、夏目漱石、中江兆民などだ。
同じ事だが、これら明治の知識人の方が西欧近代的と以前から感じていた。彼らは論理がサッパリしていて、情緒的ではない。そこには一種の蛮勇があって、平気で危険な所に飛び込んでいくような感じがある。また、平気で自分の生を捨て去る、捨て身の部分もあるが、それは「天皇万歳」「お国の為」というような感覚とは違う。つまり、昭和の戦争世代とは違っていて、もっと主体性を感じさせる。「胆力」とか「器」あるいは理想としての「天」「道」などの概念は、個が全体に溶け込む自己犠牲とは違う色合いを見せている(これについては後述する)。そのあたりの感覚を知りたければ、勝海舟の「氷川清話」などを読んで欲しい。勝海舟の語り口はユーモラスだが、同時に常人離れしており、ものすごく遠くの時代の人のように感じる。
私は何故、自分がこんな風に感じるのか、ぼんやりと疑問に感じてきた。その事はまた、日本が何故、アジアで唯一まともに近代化できたのかという歴史問題にもなるだろう。裏を返せば、本当に近代化できたのか、そこに差異はなかったのか、という問いにも繋がっていく。
結論から言うなら、明治の知識人とか、政治家、軍人などは武士道的エートス (エートス=精神的類型)で動いていたという事だ。この武士道的エートスは、西欧近代の、キリスト教派生の主体性と貫通する部分があった。だからこそ、日本にも曲りなりに近代文学ができ、近代化が成された。もちろん差異もあって、それは課題となって残されたのだが、この文章では課題の所は置いておく。
武士道的エートスが西欧近代と繋がるのはどういう事か。例を出すと、内村鑑三や新渡戸稲造の、武士道→キリスト教の貫通である。これに関しては簡単に感想だけ書いて次に行きたい。
私はある時、図書館で最近の日本の小説などをパラパラめくっていた。それを読んで(つまらないなあ)と思いつつ、なんとなく内村鑑三の「ヨブ記」を手に取った。本を広げて、驚いた。そこには日本人でありながら、異様にラディカルに、本質的にキリスト教を捉えている個人がいた。内村鑑三という人に心底驚いた。
もう一つ例をあげるなら、夏目漱石だ。漱石の「こころ」を読んだ海外の学者か誰かが「こういうものはキリスト教を知っていなければ書けない」と発言した、というのを何かの本で見た。私はその人は、漱石文学の核心を突いていたと感じている。
今あげた例は、キリスト教と明治精神の同一性だが、その根底には、武士道的エートスと西欧近代の同一性がある。その同一性とは何かと言えば、それは「主体性」である。「主体性」について少し考えてみよう。
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西欧近代文学をパラパラと読んでみた時、大抵は悲劇的な物語が書かれている。現代の人間はこれのどこがいいのか、と思う。というのは、現代の人間は、幸福を得たがっているからであり、それが絶対的な価値観だからである。
悲劇というのは、主体にしか起こらない。一人の人間が、自己の成した行為、その責を天(神)から負わなければならないというストーリーの中に悲劇は生まれてくる。現在は、個人が社会的システムに溶ける事が素晴らしいとされているので、悲劇が存在しない。あるのはただ個人的不幸でしかない。それを慰めたり、勇気づけたりはするだろう。しかし、自分の存在を自分の理性で捉えて、不幸を満身で受け止める事に人間の偉大さがある。そこに文学というものがある。
近代文学の祖になったのは、キリストの物語と言ってもいいかもしれない。キリストは主体的に不幸を背負った存在である。それによって「精神」がこの世に示現されたのだが、それはあくまでも、痩せた一人の無力な男、つまり肉を背負った個体でなければなかった。肉が痛みを受容する事に、その向こう側に神性が具現化する。この構造は非常に重大だと感じる。
偉大な文学作品は、大抵不幸な話である。しかしただ不幸な話ではなく、それを理性で受け止める事に意味がある。不幸に意味を与える事に意味がある。その向こうに、苦痛の向こうに理想が感じられたからこそ、文学の偉大さは際立った。一方、現在は肉を癒やす事により、肉の苦痛によって霊性を具現化するという『取引』の関係は消失した。
精神性を盛んに喧伝するスピリチュアリズムを見てみればいい。彼らは例外なく、金持ちになる事、物を持つ事を幸福と捉えている。それを精神的な豊かさと一致させ、おまじないをすれば物質的幸福が向こうからやってくると平気で言う。ここで試みられているのは肉と霊の幸福な結合だ。脳科学が、科学の範囲を逸脱して、自己啓発を語る時、それは脳という物質を語る試みを精神を満足させるという事柄と融合させてしまっている。大衆向けに堕落した脳科学とスピリチュアリズムは裏と表でぐるっと回ってよく似ている顔つきをしている。
漱石の「こころ」という作品に着目してみよう。「こころ」の最後では、先生の自殺は明治精神との心中だという点が強調される。明治精神とは、武士道的なエートスであると今は考えたい。武士道的エートスが廃れていく過程と、皇国史観が強まっていく過程はパラレルである。主体の決意や覚悟が、完全なる自己滅却へと近づいていく所に、全体化の問題が現れた。個人の消失、主体の消失は、自己の生死を理性で捉えるという把捉の消失から起こっている。自分が消えれば、あとは自分を完全に無化する巨大な価値観しか残っていない。
先生を自殺に導いたきっかけである乃木大将は、武士→軍人のタイプだった。乃木大将の自死というのは、悲劇というよりは古典的なものである。そこには封建社会の倫理がある。
私は近代というのは、現代と中世の間だと考えている。それについて説明する。
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「こころ」の解説で、江藤淳が、漱石は江戸時代の倫理観を強く持っており、それが為に近代の危険性、限界を知悉でき、結果として『ポストモダン(近代の超克)』的な領域にまで進む事ができたと論じている。私はこの説は、妥当であると思っている。ドストエフスキーにも似たようなものを感じる。そこでは、過去の価値観に引きずられる事がむしろ、「今」の先の未来を照らし出すの役に立っている。現代のように、近代的自由だけが繁茂した世界、それに浸ってその先を考えない世界においては、むしろ中世のような静的な世界像と類似しているのではないかと私は考えている。
…要するに、近代とは、中世と現代の間の時代だった。これは私の主観からは次のように見えている。中世のスコラ哲学とか、日本で言うと儒学・朱子学は退屈である。先に結論が出ていて、結論を補強する為に論理が生まれてくるから退屈と感じる。逆に言えば、世界は安定していた。
現代はどうだろう。私は現代の色々な哲学だとか論理も退屈だと感じる。自己啓発などはその例だが、先に、物質的な繁栄を神とする社会のあり方、価値観が是認される所から逆算されて様々な論理が引き出されてくる。SNSを通じて、いかに莫大な空語が消費されたか。いかに実のない、後世に全く残らない議論が展開されたか。価値というのは葛藤から生まれてくる。二つのものが矛盾し、その矛盾を統合しようとする過程に価値が生まれる。価値は闘争の中にしかない。二つの退屈な時代ーー中世と現代の間において、葛藤と闘争の時代があった。それが近代だった。
だから近代文学とは、完成された形態ではなく、むしろ矛盾や闘争の塊である。私はそんな風に思う。日本で言えば、漱石の作品には封建社会の倫理が色濃く残り、そこから近代的な個人の自由が批判的に摂取される。そこに日本近代文学が現れた。この場合、個人とか主体とかいうものの悲しみ、生死全体を概観する世界観は、むしろ古い価値観が負っていた。それは封建社会の歴史的残渣であり、この残渣が消えた時、はしゃぎまわる子供のような、葛藤のない個人的自由が残される事になった。私はこの自由の中に全く文学的価値を認める事ができない。理想は一度達成されてしまえば、理想ではなくなる。天才が困難を好み、凡人が安楽を好むというのもこうした点から説明する事ができるだろう。
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福田恆存は「人間・この劇的なるもの」で、近代文学は始めから完成された形式として現れてきたと言っている。福田が上げているのはシェイクスピア「ハムレット」とセルバンテス「ドン・キホーテ」だ。この二つは、近代の最初期に出てきた作品にも関わらず、完成された形式性を備えている。
普通の考えで言えば完成というものは徐々に成されるものだ。しかし、福田の論を信用するなら、最初に完成された形が現れたという事になる。事情は日本近代文学でも同じではないか。漱石・鴎外の頂点が始めに出てくる。あとは下っていく一方だ。
どうしてこういう事になるのか? 「ハムレット」という作品について考えてみよう。「ハムレット」は、主人公のハムレットのキャラクター性が近代的な、苦悩と思惟に彩られた人物として注目された。ハムレットは苦悩し、葛藤する近代的な主人公だ。しかし、作品全体を見れば、ハムレットの姿はきっちりと作品の枠組みに当てはまっている。作品の構成を、主人公の自意識が崩す事はない。ここには調和性がある。
福田は、この調和性は、中世的な宗教意識が残存しており、為にキリスト教的な物語、「懲罰」としての物語として機能しているからだと考えている。私はその論に納得した。というか、そう考えないと自分の中で辻褄が合わない。
ベートーヴェンという大音楽家について考えてみてもいい。ベートーヴェンとかゲーテ、ヘーゲルという人達は、終局的には、キリスト教的な芸術家・哲学者だったという事ができるだろう。それは彼らが大家であると関わりがある。彼らの大家としての枠組みは、キリスト教の倫理が、主体内部のエネルギーをきっちりと整序したが為である。
ベートーヴェンの音楽はロマン主義的だが、その熱情が作品の構成を壊しはしない。そこには調和的な何ものかが存する。調和性は、過去から伸びてきたものであろう。ベートーヴェン以降、主体の熱情は、調和的な形式を壊すに至った。文学的に言うならば、主人公ハムレットが作品「ハムレット」を食い破ったのである。神無き世界において、主体の内部が撒き散らされた。そこでは、整然と加工された世界像は崩れたのである。
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話を最初に戻そう。明治の武士道的エートスは、西欧近代の主体性と貫通すると言った。それは具体的にはどういうものか。
漱石の作品をモデルに考えたいが、漱石にとって近代的な主体はただ喜ばしいものではなかった。それらは自由故の危険や苦難が予想されていた。
「それから」における代助は、内なる「自然」に従い、親友の妻を横取りする事によって、家庭から、社会から見放された。ここでは近代的な個我の意識が、自我を主張する事により社会から放逐する様が描かれている。この時、大切なのは、代助はそれを意識しており、それでもそれを選択するという事にある。不幸が常に被害者としてしか感じられない我々には悲劇は難しい。逆に言えば、悲劇とは精神的な強さを持つ「英雄」のみにあるのかもしれない。オイディプス王は強い人物だからこそ、目を突いて野辺を彷徨うのである。
「それから」は、直接にはイプセンの「人形の家」をモデルとしている。この同一性と差異性を考える事も、西欧近代と日本近代の違いを理解するのに役立つ。…特に重要なのは、日本のような社会においては、家族から見放される事は世界から捨てられる事とイコールだという事だ。日本は血縁的、家族的な社会体制だ。そこで主体の主張は、必然的に家族からの離反になる。
しかし、主体の主張が社会に受け入れられたらどうなるのだろうか? 漱石と村上春樹を比べて見るなら、主体が社会に包摂されるのだという理想を、さしたる葛藤も感じずに描いたのが村上春樹と言えるだろう。この時、主体は、社会に受け入れられるが故に、力弱いものとしか現れない。精神の力は肉の痛みと引き換えに示現される。村上春樹に元々、スピリチュアル的な雰囲気があり、村上春樹の嫡子的存在の吉本ばななが本当にスピリチュアルにはまってしまったのは、私には偶然とは思われない。
彼らは主体の痛みを社会に包摂させる道筋にいる。そこで、彼らは過酷なリアリズムを空想によって弱めて、やんわりと受け入れられるものに変えていく術を覚えた。これは現在の社会ーー大衆には受け入れられたが、文学の歴史で大きな価値を持つかどうかはまだわからない。私は無理であろう、と思う。先に言ったように、価値というのは葛藤や闘争から生まれるからだ。
漱石の作品には、武士道的な倫理が色濃く残っている。先生が自裁するのは、行為に責任を感じているからだ。これは封建社会の道徳性が残っているからだが、私は、封建社会は物質的な欠乏故に、垂直的な道徳を必要したと見ている。
封建社会全体を論じるのは不可能だが(今、考え中なのだが)、当時は、個人の内面や自由を存在させない事が社会の維持に必須だった。新井白石の「折たく柴の記」の冒頭で、ああしたエッセイ風の文章を書く理由を白石自身が述べている。そこでは、個人の内面を記すのが恥ずべき事だったというのがわかる。個人の自由、内面の発露はわがままであり、社会は全体の統制を取る為に、生産性を上げるのではなく、欲望を律する方向に移行した。それぞれの内面が発露しない社会はある意味で安定していた。しかし、その裏には厳しい年貢の取り立てや、武士の厳しい自己節制があった。江戸時代が平和で繁栄した社会であったというのは一面的な見方に過ぎないだろう。
だが、現在から見れば、その結果、人間は肉や餌に釣られない「精神」を獲得したと言える。この「精神」がなければ、近代は存在しない。欲望を解放するだけの社会改革、そこに近代文学は発生し得ない。近代文学、というか文学の精髄は苦悩や苦渋と大きく関わりがある。かつて人間は、自然を制御する術を知らなかったが為に、自分の「中の」自然性を克服する事を強いられた。それが精神として、例えば、聖書は精神の力の具現化として、千年単位の人間の歴史を規定した。現在は、消費社会に従う限り、欲望を律する必要はない。略奪や強姦、暴力は、システムに回収される。よくもこんなシステムを作り上げたものだ、と動物は感嘆するかもしれない。しかしシステムに耽溺し、システムの改良を願う所にはどんな主体も現れ得ない。人間は遂に、死すらも克服しようとするのか?
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苦悩や苦渋のない存在に、精神はない。従って文学も悲劇もない。道徳は弱められた。かつて警告された、自我の自由、それ故の危機は、システムの完成(そう見える)によって克服された。この社会においては、葛藤はない。不満があるとすれば、それは我々が精神を持つ事ができないという不満ではないのか。物質的不満を精神に転化できない、という不満ではないか。
長くなったので、最後に主体とは何かという簡単な答えだけ書いて、この文章を終わる事にする。私が思い浮かぶのは二人のフランス人の詩句だ。一人はフランソワ・ヴィヨン、もう一人はアルチュール・ランボー。
「泉のほとりにて 我渇き死ぬ」 (ヴィヨン)
「泣きながら、俺は黄金を見たがーー飲む術はなかった」 (ランボー)
(注:「黄金」とはオアーズ川を意味するーーヤマダ)
二人の詩人は共に水を飲めない。泉のほとり、川のほとりに来て、水を飲めない。ここには「意志」がある。自然性に反する意志が存在する。この頑強な意志こそが、西欧世界の根源にあるものではないか。東洋・アジアのレベルにおいて、内部の欲望を「自然」だと肯定するのは普通の事ではないか。自然に反する強烈な意志。その人工的で不自然な姿勢こそが、西欧の強みだったのではないか。
二人の詩人は、目の前にある水を拒否する。水には癒やしのイメージ、母なる大海のイメージが付随しているだろう。自然の恵みを詩人は拒否する。ここに主体が立ち上がる瞬間がある。この不自然さは、人間が理性を持って本能に反する事ができるという脳組織に根拠を置いている。しかし、理性を動物本能を充足させる為に使う事もできる。理性を本能に従わせた人間は動物よりも動物的だ。下劣な人間は、動物よりも遥かに下劣になれる。
主体は世界の恵みを拒否して、己を自覚する所から始まる。二人の詩人が強烈な自己を持っていたのはその詩句から判明する。…では、現在、我々が拒否すべき世界の恵みとはなんだろうか。通俗作家らが、新しい世界の規範、救済と見た、サブカル的世界観、物質的幸福、大衆に受け入れられる心地よさ、これを自ら拒否する所に精神はあるのではないだろうか。精神の存立は何よりも批判から始まる。批判から創造は始まる。
だが、今、創造を喧伝する人は水の中にいる水のように、葛藤も差異も知らない人達であろう。彼らのざわめきは一つの時代の特徴として、分別できないものとなって波の向こうに消えていく。主体は自己を否定する自己から始まる。そうしてこの自己は何よりも、世界を認識する所から始まる。世界から身を離して、始めて自己が認識される。そこには寂寥や悲しさがつきまとうが、それは自己を得た事に伴う「おまけ」だろう。楽園喪失の伝説は、今でも両義的な意味を持って存在している。過去の神話を軽蔑し現在に溶けていくよりは、泉の水を汲めずに死んでいく事の方に価値があると考えたい。
「己が生命を救わんと思うものはこれを失い、己が生命を失う者はこれをうべし」