昔噺
昔、とある種族は地上で人と共に手に手を取り合って仲良く暮らしていた。
共に笑い、共に泣き、共に励まし合い、共に戦い。
愛情が芽生えれば、婚姻だってした。永遠の誓いを神の前で交わし、お互いにそれを受け入れていた。
子供ができ、子供を産み、育て、協力しあって共に暮らしていた。
仲睦まじく。誰もが羨ましがるほどに。
――しかし、ある時、ほんのちょっとしたことがきっかけで諍いが起こった。
人と共に暮らしていた種族は、不老不死をその手にもち、体にもつ珍しい種族であったが、人はそういうわけではない。
長い年月をかけ、少しずつ成長し、少しずつ体を作っていき、そして立派になった後には、少しずつきちんと衰退していく。
それなのに、人の伴侶となった相手は、全く老いていかないのだ。
それは、人にとっては恐怖の対象に、徐々になりつつあった。
いつか、自分たちが死んでしまった後も、伴侶はずっと生き続けていく。そう、羨ましいほどの若さと美しさを保ったまま、彼らは時を止めたまま自分たちを<ruby>置いていく<rt>・・・・・</rt></ruby>のだ。
それを自覚した瞬間、人とその種族との間に、決定的な亀裂が入った。
人は、永遠を誓い合った伴侶を避け、伴侶の仲間を避け、時には攻撃的な言葉で攻撃し、傷つけ、それでも恐怖を拭うことができないまま過ごすこととなってから、年月がただ無駄に過ぎていく。
そして、人は決意したのだ。
――もしかしたら、彼らの体内に巡る“血”を摂取すれば、自分たちも同じになれるのではないかと。
――そうしたら、永遠を誓い合った伴侶とも、ずっとずっと幸せに暮らせるのではないかと。
そう自覚してからは、人は、虎視淡々と隙を伺い続けた。
しかし、不老不死を持つ彼ら種族は、元来の警戒心が強いのか、そういった隙は全く見つけることができず、また無駄に年月が流れていく。
早く。早く行動を起こさなければ、自分たちは愛しい伴侶においていかれてしまう。その焦りが、人を支配し始めた時。
和睦の証として、人とかの種族との婚姻が発表された。
人に嫁いでくるのは、美しい姫。そして相手は人の王。
申し分のない婚姻に、彼らはこれで人に狙われることはなくなると安堵した。その種族の姫も、自分がいくことで解決するのならと自ら贄となることを了承したのだ。
そうして、二人の結婚式当日。
その悲劇は、幕を切る――。
荘厳な結婚式には似合わぬ甲高い悲鳴。人のざわめきとは言い難い声。
首から血を流し、真っ白な婚礼衣装を真っ赤に染め上げている姫君に、その姫君を見下すように笑いながら見ている人の王。
謀られたのだと理解して時にはすでに遅かった。
何人もの仲間が人に斬り付けられ、拘束されて、まるで血を搾り取るようなその悍ましい光景に、姫は言葉を失う。
ゆっくりと己に近づいてくる人の王に恐怖し、それでも喉が凍り付いたかのように声が出ない。
人の王は、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「あなたと共に、人生を歩みたい。そのためには、貴女がわたしに捧げてくれなければ。ねぇ?」
ねっとりとした声に、言葉に。
姫は愕然とし、絶望し、そして、初めて怒りの感情を宿した。
首から血を流しながらも立ち上がり、立会人として立っている司祭が手に持っている十字架の剣を奪い、人の王に向けた。
その瞳に宿る苛烈な怒りの感情に、人の王は怯えた。
それでも、姫は、許すことができなかった。
一歩踏み出し、しっかりと十字架の剣を握りしめ、人の王に向かって突き出す。その切っ先は迷いなく、人の王の心の臓を貫いた。
口から血を吐き出し、何事かを言っている彼の胸から、十字架の剣を引き抜き、足元に倒れた人の王をただ見つめる。
「――愚かな選択を致しましたね。我ら不老不死が一族・月の国のものを敵に回すなど。己が種族が滅びるのを、しかと見ているがいい」
そう言って、姫は、手に握った十字架の剣を、振り向きざまに横なぎにして近づいてきていた人を切り捨てる。
人の悲鳴を聞きながら、それでも次から次へと襲ってくる人を切り捨て続け、彼女はいつしかその真っ白な婚礼衣装を、己と人の血で真っ赤に染め上げていた。
その姿に、人はとうとう怯え、背中を向けて走り去っていった。姫は、目着た人をむやみに追うことはしなかった
代わりに、その場にいた同族に呼びかけた。
「――我らは! 人を敵とし、人に敵とされた! 咎は全てわたくしにある! しかし、わたくしは人の残虐な蹂躙が許せなかった! みすみす同族であるあなたたちを見捨てることなどできなかった! これにより、わたくしは、月に帰る! 今宵はちょうど、我等の故郷への道が開通する時! さあ、同志よ! わたくしについてきなさい! 人の世に未練があるのもわかっている。愛する人と離れ離れにするという残酷なことをしているということも理解している! しかし、わたくしは同族を見捨てたくない、見捨てられない! お願いです。わたくしと共に、月に帰りましょう!」
十字架の剣を掲げて、姫はそう宣言する。
月の国のものたちは、姫の言葉に同調した。このまま地上に残り、愛する人と共にいようとしたとしても、きっと酷いことをされるだけだと、先程の蹂躙で理解したのだ。
姫は、同調してくれた同族に涙を流しながら感謝の言葉を口にして、己の胸に深く十字架の剣を突き刺した。
同族のみんなが声もなく悲鳴を上げる。剣から伝って、彼女の血が地面に流れ落ちていく。一滴、二滴、三滴……そうして、血溜まりが出来上がった頃に、透明の透き通った階段のようなものが、地上から月に向かって伸びていく。
姫の血で道が開通し、そして姫は同族を先に月へと帰らせる。
早くいきなさいと声をかけ、故郷に戻れたら怪我の治療をきちんとしないさいと己のことを後回しにし、彼女は同族を送りお返してから、己の心臓に突き刺した剣を引き抜いた。
カランと剣が地面に落ち、息が乱れる。
姫! と己の騎士が声をかけてくるのを手で制しながら、姫は、己の伴侶となるはずだった人の王のそばに歩み寄った。
すでに虫の息である彼のそばに跪き、姫は王に語りかけた。
「それほどまでに、わたくしたち不老不死の力が欲しいのなら、あなたにさしあげましょう。そのかわり、あなたは必ず後悔をします。それを、肝に銘じなさい」
そう言って、姫は己の口の中で舌を噛み血をにじませる。
身をかがめて、口の中にたまった血を人の王に口移しで飲ませていく。彼の喉が上下するのを確認した後に、姫は己の騎士に体を支えられながら立ち上がった。
「……これは、呪いよ。あなたがどれほど愚かなことをしたのか。人がどれほど愚かなことをしようとしたのか、とく思い知るといいわ」
そう言って、姫は騎士と共に地上を離れていった。
しばらくして、人の王は、己の呼吸が楽になっていくのを自覚する。
体を起こせるほどにまで回復したことを自覚して、驚いて体を起こし、あたりを見回してそして目を見開いた。
己の周りにあるのは、人の屍。そう、そこはまるで地獄絵図。驚くほどの血を流し、その場に力なく倒れている人は、すでに全員が息をしていない。何が起こったと、理解が追いつかない中で、背後で人の悲鳴が聞こえてきた。
ハッとして振り返れば、そこには、神に誓う時に掲げられる、大きな十字架の台座のすぐそばで腰を抜かして人の王を怯えた瞳で見上げている司祭だった。
生きている人を見つけ、王は安堵した。そして声をかけようと体を動かし、近づいていくと、司祭の顔色がみるみる悪くなっていく。
なんだ、と疑問に思った瞬間。
「くるなっ、化物っ!!」
そう叫び、司祭は王から逃げ出した。司祭の叫びに呆然とし、そして王は、その時初めて己の胸を見る。そして、目を見開いた。
自分は、あの姫に心の臓を貫かれたはずだ――ならば、なぜ今自分は動くことができている?
あの姫は言っていたではないか。これは、呪いだと。
では、どんな呪いだというのか。簡単だ。自分は、あれほど焦がれていた、“不老不死”の体を手に入れたのだ。
そう、あれほど焦がれていたものが手に入ったとうのに。
それを理解してくれる仲間が、彼にはすでにいなかったのだ。
人の王の咆哮が、夜空を裂くように響き渡った。
人の王は誓った。
どれほどの残酷非道な行いをしたとしても、己にかかった呪いを必ずとくと。そのためには手段は選ばないと。
心に硬く誓いを立てた彼の復讐は、500年後に思いもしない後悔を招く結果となることを、この時の彼が知るはずもなかった。