幸せな人
「幸せな人」
私は人です。人ですから、幸不幸を重ねながら生きていきます。
私は普通の人ですが、少しストレスに弱いらしく、元々持っている片頭痛と精神性の頭痛が重なって
頭が割れるように痛くなる体のようです。
人は幸せであり不幸せです。その人の環境、精神、思想で幸福かどうかは決まります。
誰しも幸せに生きたいものです。不幸を望む人など居ないのです。
私は人ではないのではないかと疑ったことがあります。
ある日、友人と喧嘩をしました。私はどちらも悪いような気がしますが、友人は私と話そうともせず
和解せずにその日を過ごしました。
頭が痛いです。
頭が痛くて、イライラして、そのストレスでまた頭が痛くなります。
病院に行って薬をもらいましょう。
薬を飲みます。とても強い薬です。
頭痛が止みました。しかし薬が切れるとまた頭が痛くなります。
薬を飲みます。
薬の副作用でお腹を下し、睡魔に襲われ、何度も意識を失いかけます。
あぁ、こんなに辛い事から逃げてしまいたい。どうしたって不幸は追いかけてくる。
こんなにも私は不幸だと思います。
薬が無くなりました。病院に行きましょう。
待っている間、ぼうっと見ていたテレビには凄惨な事件が映っています。
女性がビルから飛び降り自殺をしたそうです。彼女は品行方正で正義感が強く素晴らしい人だったと
彼女の知人が喋っています。
可哀想に。そんなに素晴らしい人でも不幸に苛まれ自殺してしまうなんて。
彼女を殺したのはどんな不幸だろう。考えただけでも恐ろしい。
私は自分を不幸だと思ったことは幾度かありますけれども、自殺しようだなんて思ったことは一度も
ありません。私は彼女より幸せなのです。
頑張って生きよう。私は不幸では無い。
不謹慎ではありますが私は彼女から生きる糧をもらいました。
それから悲しいニュースを意識的に見るようになりました。
そのうち音楽や漫画や映画や本でも悲劇を好みました。
そうすると自然に頭が痛くなくなるのです。私はあれより不幸ではないと思うから。
それに比例してバラエティ番組なんかは見なくなりました。
芸人、俳優女優、タレント、彼らに不幸がないわけではないのは理解していますが、
幸せそうに見えるんですもの。私の不幸を意識させるものは嫌いです。
こんなことをしていると、なんだか私は自ら不幸を好いているような感覚になります。
私は幸福を求めない人間なのでしょうか。
それでもいいと思いました。何故か私は不幸を見ると落ち着きます。
ストレスが解消されるのです。
あの地獄のような、ストレス→頭痛→薬→苦痛→ストレスの循環を壊せれば、私は少なくとも
不幸ではありません。
不幸を食べて、不幸を治していました。幸せの為に、不幸を吸収していきました。
それはさながら悪夢を食べて満足する夢喰いのようでした。
そのくらいの時期、いやもっと前からかもしれませんが、私は自分が人間だと意識しなくなりました。
前は人の不幸を好んで見るなんて嫌な趣味を持ってしまったと罪悪感を持ち合わせていたものですが、
気づいた時にはもう手遅れでした。
いつものようにネットで悲しいニュースを探したり、他人の不幸自慢を覗いたりしていると
自殺志願者達が利用するチャットサイトにたどり着きました。
私は歓喜します。何故気づかなかったのだろう。
不幸の果てにある自殺。事故などでたまたま死んだ人も可哀想だけれど、その人は第三者から見て
不幸であっただけ。ほんの一瞬の出来事。彼らは普通に幸せと不幸せを繰り返し、その一瞬不幸なだけ。
自ら命を絶つのにはたくさんの不幸とその時までの長い葛藤があり、その間にも続く苦しみや意志を
決めた要因となる絶望。
何て素晴らしい不幸だろう!私よりうんと可哀想。ぜひ本人に会って話を聞いてみたい。
カウンセラーなんかが天職ではないだろうか。
そんなことを考えつつ胸を躍らせながらログを見た。
---------私は明日死のうと思います。
学校でいじめられています。
結婚を考えていた恋人が3股してました。
子供が交通事故で死にました。
もう誰も信じられない。
失明して光の無い世界に閉ざされました。
人生に意味ない。
虐待を受けています。 今日も死ねない。
希望が持てません。
誰も愛してくれない。 人を殺しました。 ドラッグ。
死ぬの怖い。 どの死に方が楽ですか? 兄が死にました。 お金がない。
死にたい。
死にたい。
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい
死にたいから明日死にます。---------------
「羨ましい。」
誰もいない部屋で誰に言うわけでもなく呟きました。
人はそんな理由で死を望むのか。
彼らの全ての人生を知っているわけではないのに、とても幸せに見えました。
彼らは酷く絶望し、とても不幸で、だからこそ死にたがっている。
とても可哀想なのに、幸せそうだ。
何故幸せそうに見えるのだろう。彼らは不幸なのに。
芸人、俳優女優、タレントが幸せそうに見えるのは、私より幸せだから。
私より、幸せだから。
私は彼らより不幸?
私は、不幸?
そう気づいた瞬間、心臓から胃から血管から憎悪やら偏見やら悲しみやら恐怖やら何なのか原型も付かない
液体のようにどろどろと、しかしその源は動かず流されず確固たる個体で、全身を巡る霧状の毒のような
不幸を吐きました。
骨が曲がり、肉がちぎれ、細胞が静かに息絶えました。
私は人です。人は幸せを望みます。
私は幸せを望んだ結果、絶望という「幸せ」を手に入れました。
私は不幸ではありません。どんな幸せも私を揺るがすことはできません。
とても安定しています。死にたいとも思いません。生きたいとも思いません。
この世界は幸せに包まれています。私も「幸せ」に包まれています。
悟りを開いたような素晴らしい心持です。
私の神は生きる糧をくださいました。
そのおかげで私は今。「生きています」