第六章 陳慶之の諜報部隊
近隣の村人たちには周元は死に、新しく頭領についたのが李世民であることをつげ
今後は山賊行為を行わないことを触れ回り、奪った金品の一部を返却した。
そして黄巾賊を倒して天下泰平の世を作るために共に戦う男を募集したところ
近隣の村から500人くらいの若者が集まり、元山賊とあわせて役1000人の兵が集まった。
厳しい訓練と略奪行為を禁止し、自給自足の生活に切り替えた結果、逃げ出す兵もいたが
李世民ならばこの世を変えてくれるかもしれないという噂が広まっていき
更に兵は増えていき、1ヶ月後には3000を超えていた。
李世民一行は周元のいた屋敷を作戦会議室として今後のことについて話し合っていた。
「豫州刺史より、潁陽で暴れている波才と、汝南で暴れている彭脱を
討伐するための義勇軍を募集する布れが出ている。この機に乗じて私たちも出陣し
あわよくばどこかの城を落として手に入れようと思うが皆のものはどう思う?」
「漢の威光は落ち始めたとはいえ未だ健在。勝手に城などを奪ったとあればすぐに賊軍として
扱われてしまいます。まずは大きな功を立て続け、漢の皇帝より城を任される身分になるほうが
得策だと思われます李世民殿。」
「ふむ、確かに李勣のいうとおりだな。ではまずは手始めに豫州一帯に蔓延る賊軍を打ち破るとしよう。
では現在の官軍や黄賊軍の状況を話してくれ陳慶之。」
李世民に呼ばれた若者は立ち上がると現在の状況を報告し始めた。
尉遅敬徳が山賊の頭の周元のもとまで向かうときに案内をした若者こそが陳慶之だった。
情報を制するものがこの国を制するという陳慶之の進言を聴き、李世民は陳慶之に
どこの国にも負けない諜報部隊を作り上げることを命じていた。
ここで陳慶之について少し触れておこう。
南北朝時代の梁の武将。字は子雲。梁に侵入する北魏に対してたびたび勝利し、
指揮下の兵7000人のみを率いて洛陽を陥落させたりもした。
指揮能力や智謀には長けていたが、陳慶之自身は馬術や武術の腕前はいまいちだったそうだ。。
「では報告させていただきます。現在黄巾賊は中国全土に蔓延り各地で暴挙を振るっています。
ここ河南から一番近いところですと先ほど李世民殿がおっしゃられたように、
潁陽の波才の3万、汝南の彭脱の2万、あとは南陽の張曼成の3万などがおります。
特に一番近くにいる波才軍ですが勢いが凄まじく、官軍の将朱儁率いる2万が戦いを挑んだそうですが
ほぼ壊滅状態に追い込まれたようです。」
更に陳慶之の話を聞くところによると,兵の士気が圧倒的に官軍のほうが低く、黄巾賊は乱れた世を
正そうとして立ち上がったものが多いのに対し、厭世気分の官軍では初めから戦いにはならなかった。
どっちが官軍だかこれではわからない。
更に黄巾賊には4人の猛将がいるらしく、その4人が出陣すると官軍の兵は皆恐れおののいて逃げてしまう
とのことだった。
「官軍とうまく連携をとり、その4人の猛将を何とかし、更に奇襲などを用いれば兵力差はありますが
勝てない戦いではないと思います。」
「李勣殿のいうこともわかるが、プライドだけが高い官軍どもが我々のような見た目山賊くずれの軍と
連携をとってくれるとは思えません。」
「衛青殿のいうこともわかりますが、官軍全てが偏屈な人物ばかりではありません。
朱儁将軍旗下の王允殿ならば、私たちの話も聞いてくれるでしょう。
会うまでに多少賄賂などが必要ですが、そこは我々諜報部隊が何とかしましょう。」
「よしでは王允殿にまずは会う手はずを整えてくれ。頼んだぞ陳慶之。」
「はっ!」陳慶之は返事をすると早々に事を進めるために出て行った。
「では我々も出陣だ!」李世民はそういうと立ち上がった。




