第十章 西涼の董卓
西暦184年10月
官軍の将 廬植が黄巾賊の総大将の張角を後一歩というところまで追い詰めていた。
しかし、廬植のもとに視察目的できた宦官に賄賂を渡さなかった廬植は
あることないことを皇帝の耳に入れられ、そのまま獄につながれてしまった。
そこで黄巾賊は一気に攻勢に出ようとしたが総大将の張角が突然あっけなく病死してしまった。
張角の弟の張宝と張梁が後をついだが、それぞれ朱儁と皇甫崇に捕らえられ処刑された。
各地の黄巾賊も官軍の将や李世民などの義勇軍の活躍のおかげでほぼ壊滅した。
李世民はこれまでの功績と、宦官にばら撒いて置いた賄賂が効き
江夏の太守という破格な地位をもらっていた。
黄巾賊自体はいなくなったが、政治の乱れは以前にもまして酷くなり
各地で黄巾賊の残党や羌族などの遊牧民や豪族たちの連合軍が反乱を起こしていた。
そして宮廷内でも大将軍何進ら外戚と張譲などの十常侍ら宦官の権力争いが続いていた。
「私がいた時代も酷かったが後漢末期は内でも外でも乱れて酷いことになっているな。」
李世民は李勣と城の中で語っていた。
「ここまではほぼ歴史書どおりにいっています。この後十常侍が大将軍の何進を殺し
袁紹らが挙兵しますが、結局十常侍は皇帝を連れて逃げ、菫卓につかまるはずです。」
「そして今度は菫卓の独裁政治が始まるわけだな。なんとかして防げないものかのう?」
「しばらくは歴史の流れに身を任せましょう。群雄割拠の時代になったほうが我々も
行動をしやすいとおもいます。」
「うむ、李勣がそういうならそうしよう。」
「しばらくは周辺の賊たちを討伐して功績をあげ、同時に軍を鍛えていきましょう。」
李世民は善政をひき、役人の不正や兵の略奪なども許さなかったため民心は高まっていた。
そのおかげで生産性もあがり商業や農業で得られる税も倉庫に蓄えられないほどたまり民に還元した。
その噂を聞いて色々な人物が李世民の元を訪れ仕官をしてきた。
西暦189年4月
漢の皇帝の霊帝が34歳の若さで病死した。
後継者となる息子は二人いて
大将軍何進の妹の何皇后が産んだ劉弁と側室の王美人の子の劉協だ。
無論、何進は劉弁を皇帝にたてて自分の地盤を更に固めようとしたが
そんなことになると自分たちの権力が弱まると危ぶんだ張譲ら十常侍たちは
劉協を皇帝にたてようとした。
十常侍は何進の暗殺を企てたが失敗し、両者の中は更に険悪になった。
何進と何皇后は強引に劉弁を皇帝として即位させ、十常侍ら宦官を排除すべく
袁紹らの力を借りて何進を暗殺しようとした首謀者の蹇碩を殺すことには成功したが、
他の十常侍を殺そうとしたところ、何皇后が反対したため何進はあきらめた。
十常侍らは何皇后に賄賂を送ったのだ。
一度は何皇后の反対で十常侍を殺すのをあきらめた何進だが、このままにしておくと何が
おこるかわからないため、諸国から有力者たちを集めて軍の増強をはかった。
その諸国から招いた有力者の中に董卓がいた。
董卓は西涼の太守で、羌族を手なずけて強力な軍隊を持っていた。
李勣に言わせれば
「宮中の悪い虫を退治するために、外からのより悪い虫を宮中に入れるようなもの」
ということになる。
身の危険を感じた十常侍たちは果たして暴挙にでた。
西暦189年8月
何進を宮中に呼ぶと、参内してきた何進を待ち伏せして殺してしまったのだ。
怒った袁紹は宮中の宦官たちを皆殺しにするが、張譲は劉弁と劉協を連れて洛陽から逃れた。
皇帝さえ手中におさめておけば何とかなると思ったのだろうが、逃げる途中に西涼からきた董卓に見つかり
張譲は殺され、劉弁と劉協は保護され、董卓は二人を奉じて堂々と洛陽に入った。
そして李勣のいう「外からのより悪い虫」の恐怖政治が始まるのであった。




