第九話 肉食う生き物
アンテラの街の噴水の前で、セトはブレンダに肩をがっしりと掴まれた。
「行くぞ」
こうしていれば声をかけてくるだろう事は予測していた。ならばこう言えば良い。
「カーポ・アビーク。……知ってるな?」
「な、何故その名を!?」
後は動揺するブレンダを獣族の女奴隷と一緒に捕まえて拉致——。
「ハァ、ハァ、ハァ——。まだまだ! 君たちの思い通りにはならんぞ」
「この筋肉女! 大人しくしろよ!」
「セト様、武器の使用許可を!」
「街中じゃダメだ!」
会社の設立に関する書類はカーポが作った。しかし肝心の社員の数が不足していた。
『 会社設立ニハ
社員五名ノ署名ヲ
必要トスル 』
「——とまあ、こうなってるんですよ」
「俺と、あんたと? 後はどうするんだ?」
「僕はダメですよ。出資はしますが名前は出せません。まだ父上から睨まれたくないですからね」
この地方の経済の中核を担う「アビーク商会」。
宣伝文句は「始まりと終わりはアビークへ」だが、アビーク家の現当主が会長を勤める会社である。身内から商売敵が出ようものなら、会長の面目丸潰れとなる可能性もある。その為、カーポは現状自ら派手に動く事は出来ない。
「じゃあ、今、俺だけ? この娘は?」
「……すごいこと考えますね? 奴隷は無理です」
「解放すれば良いんじゃないか?」
「あ、それ採用ですね」
トントン拍子に自分の頭を通り越して決まって行く重大事項。その中には奴隷の自分までもが含まれているという事実。女奴隷は震えるような声で「よ、宜しいんですか?」と、問うた。
「良いよ。メイドが不足してるって事はないし。……でも、要らなくなった訳じゃない。君にはセトさんの秘書をやってもらおう」
「秘書? ……ですか?」
首を傾げるところを見ると、女奴隷にはいまいちピンと来なかったようだ。
秘書とは上司に付いて仕事のサポートをする人間の事だ。主にメールや電話の対応、来客の接遇、上司のスケジュール管理などを行う。そうは言ってもここは日本ではない。メールや電話は手紙に変わるし、もっと他の仕事が与えられる事にもなる。例えば、護衛などだ。
「上司の世話をする仕事だよ。身の回りの世話や、下の世話なんかもね。ハハッ——」
セトが「おいおい」と、カーポの冗談を諫めようとしたところ「そ、そ、そんな! 私なんかで宜しいのですか!? セト様にも好みというものが! それに私、あまり経験が——」と、女奴隷の暴走が始まった。
「いや! 私は選ばれる立場ですので文句は言いません。でも、選択肢が私しかいないというのはよろしくありません。是非とも他にも数名の秘書を……」
「おい、おい——」
「冗談だよ。真に受けるな」
毛に包まれた獣族の顔色はさすがに分からないが、きっと耳の先まで真っ赤にしていた事だろう。自分の耳を抑え込み、イヤイヤと頭を振る彼女の姿は何とも言えず可愛らしかった。
「後は、誰がいる?」
そんなセトに向かってカーポは「良い人がいる」と、不敵な笑みを向けた。
◆◆◆
ブレンダは下級貴族だ。貴族と言っても名前だけの彼らは副職を持っている者が多い。例えば商人であったり、兵士であったり、果ては冒険者であったりと様々だ。彼女もそんな一人だった。
今年で二十三にもなるというのに浮いた話の一つもなく、ならず者の多い冒険者稼業などやっている彼女に、両親がやっとの思いで持って来たのが「カーポ・アビークとのお見合い」だった。
貴族らしくない貴族、変わり者、変人などの異名を持つカーポではあったが、それを補って余りある「アビーク家の長男」というステータスは非常に魅力的だ。しかしそんな評判なのだからアビークの家督は弟の誰かが継ぐだろうという話もある。
だが、それが良い。お互い変人同士気が合うのではないか。
見合いは大成功だったという。
だがその後の二人の関係は付かず離れずなものだった。もともと自由主義のブレンダは家に帰ることが余りなく、もともと所有欲の薄いカーポはブレンダを妻に娶るという意識が薄かった。その結果、付き合っているのだか、付き合っていないのだか、結婚するのか、しないのか、二人の関係はとても曖昧なものとなっていた。
「ここにサインしろ!」
「断る! 私はサインなどしない!」
「頑張れー。『フウ』」
実は獣族には名前を付ける習慣がない。さして多く無い人口と、多くの種から成り立つ彼らにとっては「おい、○○種のお前」や「○○種の○○毛」程度で誰かを認識する事が可能だったからだ。それ故に女奴隷の彼女にも名前は無かったのだが、会社設立の為の書類には署名をする必要がある。
それにせっかく奴隷から解放したのだからとセトが「フウ」という名前を付けた。その翌日、彼女の姿はより人間に近いものへと変貌していた。
「……どうゆう事?」
全身を覆っていたはずの獣族独特の毛は無くなり、人間と同じような肌が露出していた。灰色の毛色は髪の色に引き継がれていたのだが、髪の毛と同色の耳がぴょこんと頭に生えていた。左右に人間の耳は確認出来ない。まあ、わざわざ耳を四個もつける必要もない。
「いえ、私にも分かりません。今朝起きるとこうなっていました」
「元々は人間で、悪い魔女の呪いで、今までの姿に——」
「そんな呪いはありません」
セトのジョークはぴしゃりと否定されてしまった。
「——ですが、我々亜人族は、元々人族であったという昔話を聞いた事はあります。これは、先祖返りという事でしょうか?」
「分からん。あー。……フウ?」
「はい」
「ブレンダを捕まえに行くとしよう」
「かしこまりました」
フウの身体能力は素晴らしいものだった。
一般の冒険者の到達点である白銀級のブレンダの動きについて行くどころか、彼女の動きを鈍らせる為の手数もある。街中での武器の禁止が制限されている為、まだ使わせていないのだが、弓が得意とも言っていた。さすがは獣族最強の戦士の末裔というところか。
ブレンダも負けてはいない。
さすがは顔だけの女、男並みの体脂肪率、筋肉女と揶揄された彼女の動きはフウのそれよりも洗練されていた。長年の冒険者稼業によって培かわれた体術はフウのそれを紙一重で避け、散々鍛えられた肉体は強靭な筋力を発する。どちらも素晴らしい戦士だ。
セトの口元「フウ」と動いた。
時間切れだ。フウはセトの元へと舞い戻った。
「どうした? 終わりか?」
荒い息を吐きながらブレンダが挑発した。しかしそんな手に乗る必要はない。十分時間は稼いだのだから。
「相変わらずだね? 僕の美しい人」
カーポの登場だった。白い二足歩行の竜に乗り、華やかに着飾った彼は、片手を大きく伸ばすと、その先をブレンダに向けた。
「ブレンダ、僕の頼みを聞いては貰えないだろうか?」
「か、カーポ様……」
◆◆◆
「——で、何故ヒグマ退治を条件に?」
セトが尋ねた。
前回行ったのは東の森だった。鬱蒼とした木々に覆われ、まるで夜がずっと続いているような錯覚に陥ったのも記憶に新しい。しかし今回向かうのは西の森だ。東に比べて随分と人の手も入り、獣道ではなく少し広めの道が出来ていた。
狩人はその道から森に入って獲物を狩るのだが、最近この森での獲物の量がめっきり減っていた。
「——言うな」
ブレンダが答えた。
あれだけの大太刀周りをした上に、婚約者まで出て来てしまったのだ。彼女は、何かしら条件を出さなければ恥ずかしくてカーポに顔向けが出来ないと思ったのだ。
「だからって森のヒグマ退治ですか……」
フウは呆れたと言った表情を浮かべていた。
メンバーはセト、ブレンダ、フウの三人だ。カーポはブレンダに用件を伝えると、颯爽と帰って行った。その要件とはもちろん、ブレンダに「社員になれ」と言うものだったのだが、ブレンダが一つだけ条件を出して来たのだ。
それは森の「ヒグマ」の討伐だ。「火熊」と、書けばわかりやすいだろうか。要するに口から火を吐くクマである。毛の色も、下位種である「ワイルドベアー」が灰色なのに対して、燃えるような赤色をしている。その毛皮は高値で売買されており、他にも有用な素材が手に入ると言う。討伐難易度は青銅級の上位。前回のロングアームモンキーよりも上となる。ちなみにワイルドベアーはランク鋼鉄級に分類されているのだが、ロングアームモンキーよりも強い。
ヒグマは獰猛な上に大食漢だ。その為、早い段階で討伐しなければ、森の生態系が崩れてしまう恐れがある。狩人の獲物の量が減ったのはまさにそのせいだった。
「肉食に思われがちだが、穀物や果物も食べるからな。手当たり次第口に放り込んで行くぞ」
「何それ。最新の掃除機みたい」
「ちなみに大食漢の上にグルメでな。口に放り込む前に、食材をよく焼いてから食べるそうだ。まあ、これは噂に過ぎないがな」
「吸ったり、吐いたり、と大変だな」
セトはそう言うとパイプを咥えた。紙タバコが切れたので、パイプで代用しているのだがなかなかこの味に慣れないでいる。
「おい、こんな森の中でタバコなど——」
「フッ——」
風をまといながら針が飛んだ。
針は一直線に獲物に襲いかかると、その肉を抉って突き刺さった。
「何をした?」
「これって、おじさんがパイプを改造して作った吹き矢なのよね」
「吹き矢?」
弓使いであるフウが首を傾げた。
数十センチから数メートル程度の、筒状の棒に先の尖った矢のようなものをはめ込み、肺活量で吹き出すと言う武器を「吹き矢」という。弓矢よりも携帯が便利という利点があるが、射程距離と殺傷能力は弓矢に大きく劣る。
「針は縫い針で作って、先っぽに毒を塗ってる。といっても、毒入りじゃ食べられなくなるから、実際に塗ってるのは麻痺薬なんだけどね」
「弓を使ったほうが早いのでは?」
「おじさんは不器用なんです」
針の飛んだ方へ向かってみると、そこには小さなウサギが転がっていた。薬が効いたのだろう。四肢が痙攣している他は、目玉だけがギョロギョロと動き回っていた。
「ダガーラビットか」
「ダガーラビット」。齧歯類特有の鋭い前歯は無く、代わりに犬歯が異常に発達したウサギだ。草食性の大人しい性格だが、その鋭い牙を使って戦う事もある。すばしっこいせいでなかなか捕まらないが、その牙はナイフ代わりに使う事が出来る。
セトはブレンダがとどめを刺そうとするのを見て「これから解体するからちょっと待ってくれ」と、制止した。
「ここでか!?」
「今やらないと味が落ちるんだ。フウ、手伝ってくれ」
「はい」
まずはウサギの後足を紐で結び、木の枝に逆さに吊るす。
次にウサギの首に切れ目を入れて血抜き作業を行う。
次に下腹部から首に向かって一直線に切れ目を入れる。内臓は処理出来ないので、ごっそり全部刮ぎ出して土に埋めておく。
ここまで終わった時点でブレンダの方を見ると、随分と難しい表情を浮かべていた。
「君は随分と手際が良いんだな?」
「そうか? 猟の好きな友人がいてね。おじさんも教わった事があるんだよ」
「残酷だとは思わないのか?」
「君は肉を食わないのか?」
「悪い質問だったな。失礼した」
セトの質問の意味を理解したのだろう。ブレンダは小さく頭を下げた。
食肉。それは人間が食事をする上で必ずぶち当たる問題だ。
人間は何かを壊しながら生き続ける生き物だ。空気を吸い、二酸化炭素を吐き出す。物を食べて糞を、水を飲んで尿を排泄する。そんな生き物だ。そして地球上のすべての生き物が、そんな人間と同じ行動をとっている。違うのはせいぜい食物の種類といったところだろう。
草や野菜を引き抜いて食べる。果物をもぎ取って食べる。肉を解体して食べる。全部同じ行為だ。食べる為に壊しているだけに過ぎない。
肉になる前の生物は生きているから可哀想なのだろうか。では野菜や果物には痛みも感情も無いというのだろうか。可愛そうに感じるのなら食べなくて良いではないか。しかしそういう訳にはいかない。食わなければ人間は死ぬのだ。
本当に残酷なのは、目の前の真実を受け止めず歪曲するものである。
「初めて肉の解体現場を見た」
「死体は見慣れてるのにか?」
「死体を食おうとは思わないからな」
「そりゃそうだ」
ウサギの皮を剥がす。手持ちのナイフが脂まみれになったのでウサギの牙でやってみた。なるほど、これは使いやすい。携帯用に持っておいても良いくらいだ。
そうこうしている内に解体はほぼ完了した。後は肉を切り分けるだけなのだが——。
「————!!」
凄まじい吠え声だった。三人のすぐ目の前にヒグマの姿が現れた。
「なっ! こんな近くに!?」
ブレンダは慌てて剣を抜いたが、構える前にヒグマの前足に弾き飛ばされてしまった。剣は彼女の遙後方まで飛ばされ地面に突き刺さった。
「しまった!」
フウが後ろに飛びながら弓に矢をつがえた。
「えい!」先ほどの吹き矢など比にならないほどの風切り音をまとって、矢が勢いよくヒグマに向かう。しかしそれに気づいたヒグマが、口から炎を吐きかけて矢を燃やした。矢は勢いを失ってあらぬ方向へと落ちた。
なるほど。これがヒグマという事か。どうするか。
——どうする? どうする? どうする?
セトの頭の中がその言葉で一杯になった時、ヒグマが動いた。しかし二人にでは無かった。毛皮を剥いだウサギの方へと向かったのだ。
どうやらこのヒグマは血と肉の匂いに惹かれてここに誘われて来たようだ。
ヒグマは勢いよく肉の塊となったウサギに齧り付いた。
「た、助かった」
ブレンダが安堵のため息を漏らしたその瞬間。
「おどれ、何、さらしとんじゃい! このど畜生があ!!」
セトの怒りが爆発した。
あっさりと解体出来たように見えるが、その作業には随分と時間かかっている。その上やっと作業の終わった獲物を横から掠め取られた形だ。普段は無表情で感情を表に出さないセトではあるが、ここは怒りが先行した。
ヒグマの脇腹を勢いよく蹴り上げる。
分厚い皮と脂肪に阻まれ満足な打撃は与えられなかったが、ヒグマはビクッとこちらに顔を向けた。肉を齧っていたのだろう口元はうっすらとウサギの血で染まっている。その顔面をセトは固く握りしめた拳で殴りつけた。
不意打ちに近い攻撃ではあったが、なかなかの効果があったようだ。固い物同士がぶち当たった衝撃音に続き、ヒグマの奇妙な鳴き声が混ざった。
後は、殴る。殴る。殴る。殴る。
右拳。左拳。交互に、繰り返しヒグマの顔面を殴り続ける。しかしヒグマも負けてはいない。口元に炎の域をまといながらゆっくりと立ち上がった。
「でけえ図体してんじゃねえか」
セトの身長が百九十程なのだが、その彼が見上げる程の巨体だ。三メートルはあるだろうか。つい先ほどまで殴られっぱなしだった、ヒグマは怒りの形相でセトを見下ろしている。
「あ?」「何、見下ろしてんの?」「畜生のくせに人間様の真似か?」「人間様見下してるって訳か?」「殺すよ」「マジで殺すよ?」「はい、三、二、一——」
ヒグマが炎を吐いた。しかしそれを上手く回避してセトのローキックが一閃——。
ヒグマの後足が砕けた。もう二足歩行が維持出来ない。ヒグマは自身の体重を片足で支える事が出来ず、炎を吐きながら折れた足の方へと崩れた。
「——は?」
ただの一撃で体勢を崩したヒグマと、それを行なったセトに交互に視線を送りながらフウは驚きの声をあげた。彼女の中でのセトの認識は「軽い男」だった。
口八丁で物事を収め、実際に動く事はしない。金も無い、力も無い、権力も無い、行き当たりばったりで計画性も無い、そんな男だと思っていたからだ。確かに名前を付けてくれた事には感謝しているのだが、それはそれだ。彼女は適当なところでカーポの元へ戻ろうとも思っていた。
「次、サッカーボールキック? だっけ?」
セトの蹴りがヒグマの顎に衝撃を与えた。牙が折れる。舌が裂ける。
ここで初めてヒグマは明確な悲鳴を上げた。しかしセトには容赦が無い。慈悲も無い。自らが敵と認定した相手を一方的に嬲ることしか考えていない。
太い腕が大蛇のようにヒグマの首に絡みついた。
チョークスリーパーだ。頼みの炎を吐きながら、強靭な前足を振り回しながら、ヒグマは暴れた。しかしセトはこの技で締め落とすことを目的とはしていない。そのまま力を込めて——。
ヒグマの首が折れた音が響いた。同時に、ヒグマは全身をダランとさせるとそのまま動かなくなった。目玉は飛び出し、その頭骨はひしゃげ、更には首の骨を折られた。
もうすでに息はしていなかった。
「お前さあ——」
ブレンダが言った。
「武器も無しでヒグマ倒すなんて、人間じゃないだろう?」
「そんなもんかね?」
「そんなもんですよ。本当に、恐ろしい……」
フウはブツブツと言っていたが、気を取り直すとセトに向かい跪いた。
「セト様、私は改めて名付け親であるあなたを、本当の親と同じように尊敬いたします」
「え? いいよ、そんなの」
「なりません。名を持たない獣族にとって、名付けとは新たなる誕生と同じ事です。親を尊敬しない子など獣族には存在いたしません」
突然のフウの豹変に疑問も浮かんだのだが、セトは「あー……」と、鹿野城のこもらない声を漏らすと「じゃあ、解体手伝ってくれ」と、続けた。フウはにこりと笑いながら「はい!」と答えた。
解体直後のウサギの肉は実は硬い。ある程度熟成しておかなければならないのだが、我慢し切れずに三人で焼いて食べてしまった。しかしそんな状態にもかかわらず、この世界のどんな肉料理よりも美味かった事は言うまでもない。