第六話 秋深し——
セトはカーポの屋敷に一人で通されていた。
ブレンダもジャニオンもいない。彼らは彼らで冒険者仲間と森の魔物退治に行くそうだ。最近森の魔物の被害が大きくなっている為、駆り出されたらしい。もちろんセトにもそんな話が来たのだが、彼は即断っていた。
アビーク家には三人の兄弟がおり、その全員が男である。そして彼らには、アビークけ当主である父親から適当な領地が与えられ、それぞれがその地で屋敷を構えている。
カーポはアビーク家三兄弟の長男なのだが、次代の当主という訳ではない。では、次男か三男かが当主になるのかと問われると、そういう訳でもない。単純に後継ぎというものには、当主が元気な内は触れないという暗黙の仕来りがあり、カーポは今年で二十四、当主である父親は四十五歳、まだまだ働き盛りというだけだ。
今日の目的は「ごはん」である。
昨日の話で、カーポの屋敷には「米」があるらしい事が分かった。しかしその米の利用価値は不明で、今のところ人間の食用としては考えられていないらしい。
「人間用で考えるなら小麦か大麦だね。でも、大麦でパンを作ると、まるで硬くて食えないし僕はあんまり好きじゃないかな。だからパンには小麦、大麦はビールの原料か家畜の餌。ビールって知ってるかな? 酒の一種なんだけどあんまり美味しくないんだよね。苦いだけだし。米は種籾があるから作ってるだけさ。何に使うかいまいち分からないんだけどね」
——とはカーポの話だ。おそらくは父親が貿易に精を出している為、そこで紛れ込んだのではないかと彼は推測していた。
「まあ、興味があったから植えてみたんだけど全然育たないんだよね。きっと土が合わなかったんだと思うよ?」
同じイネ科の植物ではあるが、麦と米の作り方は全く違う。
日本人には見慣れた風景である田んぼ。これは米の性質上、水分を確保するために作られている。それに対して麦はそこまで水分を必要としない。むしろ水分が余剰に存在すると呼吸ができなくなり腐ってしまう。その為、麦は畑で作られるのだ。しかし田んぼで麦を作る事が不可能な訳ではない。きちんと下準備をした水はけの良い田んぼでなら、麦も問題なく生長する。
「米は田んぼで作るもんだぞ?」
「たんぼ? 何それ?」
「浅い池みたいなもんかな」
「池? 池で育てるのかい? 畑じゃなくって?」「うん」
正直言うと、セトも農業のことはよく知らない。記憶を頼りに発言しているだけに過ぎない。その為、突拍子のない例えを出してくることもある。しかしカーポはその曖昧な情報を熱心に聞き入っていた。
「——と言うことは、米という作物は麦と違って水が大量に必要になるってことかい?」
「ああ、多分そうだな」
「なるほど」
そう言ってカーポは少し考え込んでいた。米の量のことだ。今日の目的はセトの言う「ごはん」を食すことだった。しかし手元にある米の量はさして多くはない。
もちろん最初の内は、生育が難しく使い道のない米などさっさと食べてしまうべきだと考えていたのだが、セトの話を聞いている内にどうにかなりそうな気がして来たのだ。
「セトさん」
「ん?」
「ごはんは少し待ってもらえないだろうか?」
「え? マジで?」
「あなたの話を聞いている内に、この米という植物を麦のように大量生産してみたくなったんだ」
「あー……」
「もちろん食べさせないというわけではないよ。だって、僕らには米を生産してもそれを調理する方法が分からないからね。結局はセトさんに頼りっきりになるだろうしね」
なるほど。多少墓穴を掘った感はあったが、上手く運べば継続的に米飯を食べる事が出来るということか。ならば答えは「YES」に限定される。
「ところで——」
◆◆◆
秋深し隣は何を食う人ぞ。
二週間前にはまだまだ緑の方が強かったが、今は赤、黄色、橙色の葉に山は覆われている。紅葉の季節にはまだ多少遠いが、この時期の山には良いものがたくさん育っている。
まずはキノコ。松茸や、シメジ、舞茸などを筆頭に焼いて良し、煮て良し、炙って良しの万能素材。まさに秋の味覚の代表選手と言えるだろう。
次にはイチョウ。落ちてくる実の匂いは強烈だが、きちんと処理をすれば甘苦い癖になるような味に出会える。
他にも秋には美味しい食材が増えるのだが今回のお目当はこれだ。
「イモを掘ります」
「イモ?」
「うん」
「イモってあのイモ? 僕はあんまり好きじゃないんだよな」
この世界で一般的にイモと呼ばれているものは「ジャガイモ」だ。しかし現代のジャガイモと比べるとサイズは小さく、味も落ちる。それでも生産性が高く二毛作が可能な上に、税とも直結しない為、どの農家でも畑にジャガイモが植えられていたりする。ただし、芋の名前はジャガイモではなく「ニドイモ」と呼ばれており、これは二毛作が出来ることから広がった名前となる。
ちなみに農家だからと言って食糧不足に悩まされることが無いという訳ではない。
基本、農家で何を育てても問題はない。しかし彼らに対する税は「小麦」か「貨幣」に限定されている為、農家では主に小麦を栽培し、その合間に別の作物を栽培するという形式が取られている。そして税は村単位、領地単位で毎年設定されており、小麦は自分たちの食料というよりも、村単位で税を納めるために育てていると言っても良いだろう。結果、育った小麦の大半は税に消え、農民たちの口に入る量は高が知れている。
ならば、自分たちの食い扶持は自分たちで手に入れなければならない。それがニドイモであり、その他の野菜という訳だ。
「まあ、セトさんが言うんだから手伝うよ。あんなイモでも美味しい食べ方があるんだろうしね」
カーポは嬉しそうに鍬を担いでセトの後からついていく。しかしその衣装は農作業にはまるで向いていない。時折光に反射してキラキラ輝くのが少々うっとおしい。
日本人にとってのジャガイモ料理といえば何を想像するだろう。肉じゃが、ポテトサラダ、ふかしイモ、フライドポテト。様々なものが想像出来るはずだ。しかし今回セトが掘り出そうとしているのはジャガイモではない。
「あんなイモ? 今日俺が採ろうと思ってるのは『自然薯』だけど?」
自然薯とはいわゆる山芋の事だ。最近では栽培方法が確立され、容易に手に入れる事が出来るようになっているが、本来は名前が示す通り「山」に自生している。
「じねんじょって?」
「山芋だね」
「山芋?」
「知らないのかい?」
「全く。イモといえば畑から掘り出すものだからね」
「ああ、ジャガイモね」
「じゃが? 何?」
「食事の時に毎回出てくるやつだよ」
「ああ、ニドイモね」
「にど? ああ、ここは異世界だったか」
「うん?」
「いや、何でもないさ」
草に覆われた獣道を、辺りを警戒しながら歩くこと数十分。セトはついに目当てのものを見つけた。
「お、自然薯の花だな」
「んー……。あのピンクの花かい?」
自然薯を見付けるためにはまず花を探すことから始まる。その花から伸びている蔓をたどり、地中に埋まっている山芋へと至る訳だが、素人どころか何度も掘り慣れている人間ですら発見が難しい代物だ。しかし、今回は運が良かったようだ。きっとセトのステータスにも関係しているかもしれない。
「花から伸びている蔦をたどって——」
「うん」
「結構木に絡みついてるな」
「うん」
「お、やっと地面か」
「へー……」
「傷つけないように優しく掘って——」
「おおっ——」
「あ、折れた」
「おぉ……」
地中から引きずり出す途中で折れてしまった山芋は、合わせて一メートル程のものだった。これはなかなかの上物だ。途中で折れてしまったが、自分たちで食べてしまうのだから問題ない。むしろ作業が捗るくらいだろう。
「さて、戻ろうか」
「そうしよう! 僕は楽しみだよ」
セトは帰る途中に自生していた銀杏の実を拾った。落ちてドロドロになったギンナンからは凄まじいまでの刺激臭が放たれている。カーポは鼻を抑えて怪訝な表情を浮かべていたが、淡い期待感からかそれを制止することはしなかった。