第五話 誰かと飲みたくなる時もあるさ
森には「ロングアームモンキー」と呼ばれる魔物が存在している。通称サルと呼ばれる魔獣で、ボスが率いる群れで行動する。ボスは基本的に一匹のオスが務めるのだが、配下にはメスだけでなくオスも複数存在し、たまにそのオスが、ボスを追い落とす事もある。背丈は人間の腰くらいだが、狡猾で、動きが素早く、好戦的で、稀に道具を使う個体も存在するという。そして仲間内のみではあるが、言語のようなものを使ってコミニケーションをとっているという噂がある。
討伐ランクは「青銅級」。中堅者向きだ。
「サルは群れで攻撃してくる。戦闘回数をこなすならうってつけの相手だ」
「あー……。そうなんだ? じゃあ、おじさんはこれで——」
セトが立ち去ろうとすると、すごい力で首根っこを掴まれた。
「行くぞ」
「いや、俺はボコボコにした方ですから」
「関係ない」
「戦闘経験はそこそこありますし」
「関係ない」
「今日はちょっと。……って感じで……」
「関係ない。行くぞ」
こうしてセトは引きずられるようにしてロングアームモンキーの駆除へと向かわされた。
◆◆◆
アンテラの街の北には大きな森がある。湖周辺の伐採は済み、農地の為の伐採も行われているのだが、森の規模が大き過ぎる。はっきり言って手に負えない程だ。
そんな森の奥深くにロングアームモンキーの群れが住みついたらしい。森に入る人間は冒険者以外には滅多に無い。それゆえに放っておいても問題は無いのだが繁殖力旺盛なサルたちだ。あまりに増え過ぎると、食料確保の為に畑を荒らしに来ないとも限らない。今回の依頼はつまり間引きだ。
「良いか。サルどもは狡猾だ」
「了解ー」
やる気十分のブレンダに対して、セトはやる気不十分だった。
セトのそれは、無理やり連れて来られたからという理由もあるのだが、そもそも気が進まなかった。初心者冒険者に討伐、駆除、退治といった依頼は荷が重すぎるというのが一般的な考えだ。例えベテランや、中堅クラスの者がパーティにいたとしても、彼らが倒れてしまったらどうしようもない。後は一方的な攻撃に晒されるだけになる。つまり今回はブレンダが倒れれば、セトの命も無いという事だ。
きちんと断るか、全力で逃げるか、しておけば良かった。今更ながらに後悔の念が浮かんでくる。はっきりと断っていれば今頃はカーポ邸で——。
森の中に入ると即戦闘が始まった。まだまだ森の入り口にもかかわらず、だ。この分では、相当量のサルが入り込んでいる可能性が高い。
依頼の内容が間違っているという事はよくある事だ。依頼を受け、文章を作成し、掲示板や受付に流す。この間、数日から一週間程度。その時間のロスが、依頼内容を変化、間違いへと向かわせる事がある。
「多いな」
ブレンダが言った。
仕留めたサルは十匹。全てブレンダが倒したもので、セトはのらりくらりと攻撃をかわしながら戦っていた。逃げた数は同程度。群れで行動するとはいえ、戦闘に二十匹もの数を駆り出すのは容易な事では無い。子ザルや子育て中のメスを守る防衛役も必要なはずだからだ。
「よほど大きな群れなのか。それとも、何か異変が起こっているのか——」
群れの異変。それは稀にある事だ。例を挙げると、ボス交代の不具合、有力なオスの不在、無理やりな群れの合流などなど。
基本的に、ほぼ全ての指示はボスが行う。その為ボスがいなくなった群れは行動不能となり、他の群れに吸収される事があるのだが、その際には吸収される側の全てのオス、子どもが殺されるという凄惨なルールが存在している。群れを維持する為に必要なものは、自身の血統を繋ぐメスであり、他の血統であるオスや子どもは全くもって不要なのだ。
「この群れもそう言った虐殺から逃げて来たのだろうか?」
ブレンダの後から森を進んでいたセトが足を止めた。そして少し脇にそれると「さあね。だが——」と自身の長剣を伸ばした。
「サルってのは、同族で食い合うのかい?」
セトの長剣の先には、ほぼ皮だけになったサルの死体が引っかかっていた。
ペラペラになったそれには内臓らしきものは存在せず、セトの足元には赤黒い血のようなものが飛び散っている。
「餌がないからってことかね?」
「いや、まさか。わざわざ同族を食わなくても、この森にはいくらでも食料となるものがあるはずだぞ?」
「へえ。……そんな習性があるのか。興味が湧いて来たよ。進んでみますかね」
◆◆◆
森に入って一時間ほどが経過した。
最初の攻撃以来、サルによる襲撃はない。どこかで待ち構えているのか、それとももう攻撃の手段が無いのか。どちらにせよ今回の依頼は、ロングアームモンキーの駆除になる。全滅と言わなくとも、もう少し倒しておかなければ達成報酬はもらえない。
「十五匹は必要だな」
「後、五匹か。余裕だな」
「お前は、のらりくらりとしていただけだったがな」
「初心者じゃ、そんなもんさ」
「ふん、鍛錬にならんな」
「おい……」セトが言った。
不意に強烈な臭気が漂って来たのだ。
獣の臭い。血の臭い。腐った肉の臭い。それらが一体化したような酷い臭いだった。
「鼻が詰まってなかったら吐いてたとこだわ」
「私も腹が減ってなかったら胃の内容物をぶち撒けていたかもしれん」
「サルの巣ってのは、どこもこんな臭いなのかい?」
「そうかもしれんな」
二人は酷い臭いのする方へと足を早めた。大木のうろの中、随分と規模が大きい。集団で隠れ住むには随分と丁度の良い場所だ。猿の巣穴という事だろうか。
「あ、あー。……うあっ。……うー——」
「子ども?」
うろの中には、ついさっき殺されたのであろうまだ血の渇ききっていないサルの皮がいくつも転がり、その中心には一人の人間の子どもが座っていた。周囲に動いているサルはいない。
子どもはサルに攫われて来たのだろうか。年齢は五、六歳くらい。血を浴び、真っ赤に染まった顔に無邪気な笑みを浮かべている。しかしまともな言葉は話せないようだ。ひたすらに「あー」とか「うー」とかを繰り返していた。
「くっ——。きっと凄惨な目に遭わされたんだろう。おい、この子を保護するぞ」
「あいよー……と、言いたいところだが——」
うろの中に飛び込もうとしたブレンダの動きをセトが制した。ブレンダが怪訝そうな顔でセトの顔を睨みつけた。
子どもはたった一人切りだ。早く助けてやらなければならないというのに、この男は何故止めるのか。
「これはダメなやつだな」
「何だと!?」
ブレンダは怒りの声をあげた。次のセトの動作が少しでも遅れていたら、きっと襟首をつかんで持ち上げられていたかもしれない。
セトは子どもを指差した。自然とブレンダの視線もそこに移る。
瞬間、子どもの顔が醜くひしゃげた。そして皮膚の下が大きく蠢いた。
「人間ってのは、あんな動きをするもんなのかい?」
ブレンダはあまりの出来事に言葉を発することが出来なかった。ただただ、口元を押さえて目を見開いていた。そしてそれは既に戦士の顔では無かった。
「おじさんの予想なんだけどね」
セトはゆっくりと剣を構えると子どもに向かって歩みを進めた。
「サルの死体はみんな皮ばっかりになってたからな」「それで思ったのよ」「サルって群れで行動するからさ」「サルに紛れ込んでたらサル食い放題じゃん?」「多分そういうことだと思うんだよね」
歩きながら子どものそばまで近づいたセトは、そのまま剣で子どもの腕を貫いた。途端に子どもの腕が弾けると、どろりとした中身が溶け出した。
「それを今度は人間でってことかね?」
今度は胴を貫いた。やはり弾けて中身が溢れ出した。
刺す、刺す、刺す——。何度セトが剣を突き刺した事だろう。ついにそれは人の形を諦め、自身の肉体に最も都合の良い形を露わとした。
その禍々しい姿を視認したブレンダが震えるような声を漏らした。
「ブラッドスライム……」
赤い血のような色をしたスライムの名だ。
スライムは粘ついた液状の魔獣で、物理的な攻撃があまり有効ではないのだが、弱点ははっきりとしている。内部に核を持っているのでそれを破壊すれば形態を維持出来なくなるのだ。そしてスライム自体はそう珍しい魔獣では無いのだが、このブラッドスライムに関しては、ほとんど目撃情報がなくその生態すらも謎に包まれていた。
討伐ランクは「黄金級」。個体の強さよりもそのエンカウント率からのランクとなる。
どうやらこのブラッドスライムは、サルの皮を被って群れの一員になりすまし、仲間を捕食していたのだろう。その正体が露わになったことで群れが狂乱状態に陥ったということだ。そして正体がバレた原因は、たまたまサルたちがさらって来たこの子どもに、体を乗り換えようとしていたからか——。
「殺せ」
ブレンダが叫んだ。セトが「ああ」と呼応する。
「殺せ!」
「ああ!」
「そいつは殺せ! 生かしておいて良い生き物じゃ無い」
セトは何度もブラッドスライムに剣を突き刺した。物理的な攻撃は有効では無いが、数打てばその内に効果が現れる。それにこのスライムは液状の体型では動きが取れないのだろうか。ただうねうねと蠢くだけで何の反撃もしてこない。剣が突き刺し放題だった。そして何度目かの攻撃で核を破壊したのだろう。蠢いていたスライムは最終的にその動きを止めた。
「帰ろう、ブレンダ」
放心状態で、跪いたまま動かないブレンダの肩を軽く叩いてセトが言った。
「子どもが……」
「忘れろよ。もう死んでいた」
「助けられなかった」
「そうだな」
「もっと早く来ていれば……」
「タラレバは良しな。原因があって、結果があっただけだ。早かろうが、遅かろうが、因果は変わらんよ。そもそも生かしておいちゃいけない生き物って言っても、それは人間が思ってるだけじゃないのかね?」
「くっ——」
◆◆◆
二人は冒険者ギルドに戻って報告を入れたが報酬は無かった。証拠になるはずのブラッドスライムの死体が無かったからだ。その上サルを倒した数は十匹のみ。達成金すら支払われなかった。
「割に合わんなー」
仕事が終わってから、セトはリズの店で愚痴をこぼしていた。周りで飲んでいる冒険者たちは明らかに機嫌の悪い彼のそばに近寄ろうともしない。
「どしたの? セトさん」
「ブラッドスライム倒したのに報酬無しだってさ」
「あちゃー。それは困ったね」
「そうなんだよ、おじさん困っちゃう」
「困るのは良いけど、お勘定はよろしくね」
「マジで?」
「マジで!」
「ツケにならない?」
「なりません」
二人がそんなやりとりをしていると店のドアが開いた。
「いらっしゃいませー」
リズは愛想よく挨拶をすると「何にされますかー?」と、駆けて行った。
「マジか。ツケも利かないのか」
セトの財布の中身は銅貨が一枚と鉄貨が数枚入っていた。
足りないかもしれない。セトはそわそわと落ち着かない素振りを見せ始めた。
「私はワインを。後……。こちらにも同じものを」
「は? 俺はちょっともう。……あっ!」
「奢らせてくれよ。今日は飲みたい気分なんだ」
ブレンダだった。セトは「奢り」という言葉を聞いて「それならまあ」と、答えた。
それを聞いたブレンダはニコリと笑った。
「今日はとことん付き合ってもらうぞ」
「やめとけ、やめとけ。潰れちまうのがオチだよ」
「ならば、勝負だ!」
昼間、嫌なことがあった。でも愚痴をこぼす相手がいる。一緒に飲んでくれる相手がいる。何をすれば良いのかはまだ分からないけど、今日が楽しく終わるならそれで構わないかもしれない。