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君と始める異世界料理開拓記  作者: 奥田 舎人
 第一章 おじさんと変わった貴族
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   第二話 偏見だけど貴族って変なのが多い気がする

 昨日までの不安定な天気は収まり、打って変わって青い空が広がっていた。

 砂利が敷き詰められた河原と、幾人の人間が乗ってもビクともしない大きな岩々を脇に従えて広い川が流れていた。名を「アンテラ川」という。対岸までの距離は十数メートルといったところか。深さは良く分からない。

 近くに粗末なテントが張ってあった。これがセトの住処になる。ちまちまと小銭を稼いでやっと手に入れた彼の城だ。粗末に見えても、雨風が凌げるだけでもありがたい。

 数日前、セトは寝に帰るだけの安宿に泊まっていた。

 宿賃は一日鉄貨(てっか)五枚。物価が大きく違う為、便宜上日本円に換算するとそれは五百円程の金額になるだろう。つまり鉄貨は一枚百円くらいの価値という事になる。では、鉄貨が一枚百円という事だが、百円玉ばかりで買い物をするのかと言われるとそういう訳でも無い。

 この国では銅貨、銀貨、金貨、純金貨という貨幣が存在している。全部で五種類あり、いずれもが硬貨である事から「五硬貨」と呼ばれているのだが、平民が拝めるのは銀貨までだ。鉄貨を百円とするならば、銅貨が千円、銀貨が一万円、金貨は百万円相当の価値を持っているのだ。そして、滅多に市場に出回る事はないのだが、純金貨はたった一枚で一千万円もの価値が付けられていた。

 そうは言っても金貨十枚を持っていけば純金貨交換してもらえるかといえばそういう訳ではない。何故なら、純金貨の本来の目的は市場流通ではなく、有力貴族のステータスとして家宝のように扱われているからだ。もし仮に純金貨が市場に出回ったとすれば、きっと貴族同士の大抗争が勃発する事だろう。

 話は変わるが、冒険者という職業で大成した者はそう多くはない。

 ギルドに赴き依頼や仕事を選択し現場へ向かう。仕事が終わればギルドに戻り報酬を受け取る。例外もあるが、これが簡単な仕事の流れになる。しかしその報酬はさほど高くはない。下手をすれば、一日鉄貨五枚という安い宿賃ですら支払いを渋る者も存在する。


「ちょっと、セトさん! 宿賃払っておくれ!」


 ギルドの左隣には宿がある。その規模はマグの街の中でも大きな方で、この宿には百人程が泊まれるだけの部屋があった。その一室にセトは泊まっていた。そして宿屋の主人である老婆はこの無銭宿泊の男に対し、烈火のごとく怒り狂っていた。


「いや、払いたいのは山々なんだがな。財布を落としちまってな」


「昨日も一昨日も同じこと言ってなかったかい? あんたは毎日財布を落としてくるのかね? きちんと紐でも付けて結わえておきな!」


「お、それ採用だ。じゃあこれから新しい財布と紐と中身を調達してくるわ」


 そそくさと逃げ出そうとするセト。そんな彼の背後から、老婆は素早くその太い腕を掴んだ。そして華奢な老婆とは思えない力で万力のようにギリギリと締めてくる。


「いや、俺、まだまだ若い気もするんだよね。そんな情熱的に迫られても、ね」


 怒り心頭の老婆はそんなセトの冗談に付き合う気などまるでない。ただただ最終宣告を突きつけるだけだ。


「明日までだよ」


「はい?」


「明日までに鉄貨二十五枚用意しときな。で、ないと即追い出すからね」


「今日、昨日、一昨日と明日の分で鉄貨二十枚じゃない?」


「明後日の分の前払いだよ!」


 そんなやりとりがあったのだが、それからセトは宿に帰っていない。追い出されたのかと問われると、結論はそうなるのだろう。大した荷物も置いていなかった。わざわざ結果を確認するためだけに宿に戻るのも癪な話だ。適当に金を稼いで、鉄貨二十五枚よりも安い金額で新しい住処を手に入れた方が気分的にも良い。

 川の端と端はマグ湖に繋がっているのだがそれほど大きいものではない。その為、たまに通る船は座礁しないよう底の浅い小舟ばかりに限られていた。

 アンテラの街を通るからアンテラ川。単純すぎないかと問われそうだが、名の付け方など得てしてこのようなものだろう。

 セトは昨日と同じような場所にいた。大きな岩にふんぞりかえるように座り込むと竿の先に釣り糸を一本垂らしている。その脇には、座った彼の頭まであるような大きな樽が置いてあるのだが、中身はまあまあ上等な葡萄酒だった。


   ◆◆◆


 昨日の晩は大盛況だった。

 三串用意した焼き魚の内の二本は早々に飲み代として消え、最後の一本を懇願する店の客たちの視線を一斉に浴びながら、セトが意地悪そうに大きく口を開いたところで一人の男が現れた。

 肩くらいの金色の髪、整った顔、華奢な身体つき、所々身に付けられている高価そうな装飾品。その上、着ている服はまるで汚れていない。どうやら彼は随分な金持ちか、身分の高い者のようだ。


「その串、待った!」


 店内の視線が声の方へと向きを変わる。


「僕の名は『カーポ・アビーク』。アビーク家の長男だ。その焼き魚を僕に売ってはくれまいか!」


「ダメ」


「では、僕がここの飲み代を代わりに——」


「いや、もう払ったよ(俺じゃないけど)」


「そ、それなら、どんな料理を注文しても構わんぞ!」


「いや、ここの料理まずいし」


「お願いします! 僕はその串焼きが食べたいんだ!」


 カーポ・アビークは、アンテラの有力貴族の息子だった。

 貴族といえば高級な衣服に身を包み、大きな立派な屋敷で、贅を凝らした生活をしているといったイメージが先行しがちだが、実質それが可能なのはほんのわずかの「超」がつく程の金持ち貴族だけだ。

 具体的な例を挙げるとまずこのアンテラ一帯を治める領主の一族が存在する。それがアンテラ地方での最大貴族で、カーポの名乗るアビーク家はその領主に仕える貴族の一家だ。アビーク家を含むこれらの貴族はいわゆる中堅の立場にあり、生活に十分な土地を与えられている者が殆どだ。上手くその土地を運営出来ていれば、ある程度の贅沢を続けていても即生活に困るという訳ではない。

 その中堅貴族に仕えるのが下級の貴族なのだが、この辺りの線引きは少々難しい。

 ——というのは、彼らは名ばかりの貴族が大半を占めているのだ。

 代々の貴族である、という者は少なく、貴族の家名を買い取った商人であったり、貴族の家名を奪い取った強力な戦士であったり、果ては適当な血筋をでっち上げ勝手に名乗っていたりなど、実に複雑だ。

 その上勝手気儘な者が多く、中堅貴族に仕えているというよりは、反旗を翻さないよう彼らに管理、監視されていると言った方が相応しいかもしれない。それでも中堅以上の貴族には私兵を運用している者が多く、下級貴族たちも表立って反抗する事はない。

 ここに登場した中堅貴族であるアビーク家の息子だが、金持ちのボンボンにいそうな我儘放題といったものとは一線を画す。そういう毛色は多々あるのだが、一番の要因は貴族としての考え方の問題だ。

 一般的な貴族の考え方として一番に挙げられるのは「俺は貴族だぞ」という差別意識だ。「平民のくせに」「下級貴族のくせに」と、言った考え方は上から下に水が流れるように働く。しかし、カーポ・アビークにはそう言った考え方が薄かった。

 貴族は平民には絶対に頭を下げない。謝らない。礼を言わない。これが当たり前の環境であるにもかかわらず、彼はすんなりと頭を下げる事が出来るのだ。しかしそれを受け入れる側の平民からすると、貴族が頭を下げる行為など異常としか映らない。


「おい、貴族が頭を下げてるぜ」「初めて見たよ」「すっげえな」


 カーポ・アビークは頭を下げる事が出来る貴族である。しかし、彼には頭の下げ方を区別する程の知識も経験もない。彼にとって頭を下げるという行為は九十度の角度で上半身を折り曲げるという事か、傅くか、もしくは土下座しかなかった。


「頼む。この通りだ!」


 カーポは上半身を勢いよく九十度に折り曲げていた。

「屋敷で雇っている冒険者から聞いたんだ。この世のものとは思えない程の美味を作り出す男がいると。その男が、今日ここに来ていると聞いて居ても立っても居られなくなってここに来た」

 同時に大爆笑が起こった。


「おいおい貴族様」「俺らより良い物食ってんだろ?」「平民の餌なんか食えたもんじゃないだろう」


 ここにいる客は全員平民だ。そして貴族の殆どは平民を見下している。そんな貴族様が頭を下げるのは自分より身分、地位が上の者しか存在しないはずだ。しれが平民に、しかも異国人であるセトに向かって頭を下げている。彼らにとってこの光景は、滑稽にしか映らない。

 カーポ自身にもこれが恥ずべき行為である事は理解出来ている。しかし、彼は自分の欲を満たす為にはどんな手段でも使う。それが自身の体裁や世間体を貶める行為であろうと関係がない。笑い飛ばされるのも覚悟してここに来たのだ。もちろん、適当に金やもので釣れるならそれに越した事はないが、そんなものではこの男には届かないだろう。

 奥歯を噛み締め、顔を耳まで真っ赤に染め、恥辱にも近い平民たちの笑い声に耐え続けていたカーポの耳に「何で笑ってんの?」という声が聞こえた。

 その瞬間、先程まで茶化し、笑っていた客たちの声はしんと消えた。


「おじさん、がっかりです」


 そう言ってセトは木のグラスに半分ほど残っていたビールを一気に飲み干した。


「今日は気分良く飲んで帰りたかったのに嫌なものを見ました」


 客たちの針のような視線がカーポに注がれた。彼自身にも自覚があるのだろう。頭を下げたまま肩を微かに震わせている。こうなってしまってはもう物事は先に進まない。

「突然の無礼を——」言い終わる前にセトが口を挟んだ。


「恥を忍んで頼みごとをしている人を笑うとはどういう事ですか? おじさん、みんなにがっかりです」


 その発言に、客たちの顔は一様に呆気にとられていた。それはあくまで現代日本における考え方であり、この世界での考え方ではなかったからだ。


「恥を知りなさい」


 セトはそう言ってゆっくりと立ち上がると「カーポさん、頭を上げて下さい」と、彼の肩に手を置いた。しかし彼の上半身は動こうとしない。

 セトはそんなカーポに「私は異国から来た者なので、この国の方針や考え方には疎い部分があります。ですが、恥を忍んで頭を下げている方を笑い飛ばすような恥さらしな真似は出来ません。どうか頭を上げて下さい」と、肩をポンポンと叩きながら言った。

 カーポは警戒しながらゆっくりと、そして徐々に頭を上げた。


「ありがとう、異国の方。そして恥を恥と理解し受け入れてくれる方よ。私はまずその心に礼を言いたい」


 心からそう思ったのだろう。そう言ったカーポの瞳は、多少潤んではいたが晴れ晴れとしていた。


「あ、それは別に良いや。当たり前のことだし」


「いや、それでは僕の気が収まらない」「良いよ」


「礼だけでなく形になるものを」「良いって」


「樽いっぱいの酒とか!」


「それ良いね!」


 ——こうして、セトは樽いっぱいの酒を手に入れた。


   ◆◆◆



「セトの兄貴ー!」


 岩の上。空になった木のグラスに樽の中の葡萄酒をすくい上げていたセトに向かって呼びかける声が聞こえてきた。呼んでいるのは二週間前、セトを棍棒で殴りつけ、最初に宙に舞ったチンピラだった。


「何? 『ジョニー』。後、兄貴はやめて」


 岩の上によじ登ってきたチンピラに向かってセトが尋ねた。


「いや、俺の名前は『ジャニオン』だけど」


「チンピラの名前は大体ジョージなんだよ」


 これは単なる偏見だ。そしてセトにとって「ジャニオン」は、発音し辛かっただけと言う話でもある。


「そうなのか? まあ、兄貴がくれた名前なら大事にするさ」


「良く分かってるじゃないか。『ジョージ』。そして兄貴はやめなさい」


「名前どっちだよ?」


 二週間前、完膚なきまでに冒険者たちを叩きのめしたセトではあったが、その後は彼らとも良好な関係を保っている。しかしながら良好と言うのはセトがそう思っているだけであり、実質はセトの一強体制でしかない。そこに彼の料理の腕が絡んでいるおかげで、自然と飴と鞭のようなものが出来ているだけに過ぎなかった。

 だが例外も存在する。

 その圧倒的な腕力に恐怖ではなく羨望の眼差しを向ける者だ。特にこのジャニオンはセトを兄貴と慕い絶対的な信頼を寄せていた。


「——で、何? おじさん忙しいんだけど?」


「酒飲んで、釣り糸垂らしてるだけじゃねえか」


「お酒を飲むことは大切なことなんですー。モチベーションが上がるんですー。この釣りも依頼なんですー」


「『ですー』じゃねえよ。その依頼人が来たぜ」


「え? もう?」


 樽の中身は三分の一程減っていたが、魚はあまり釣れていなかった。魚の数は二匹。数の指定こそされてはいなかったが、セトは自分の食べる分も確保しておきたかった。


「『おじさんはいない』って言っといてくれない?」


「樽から酒すくい上げてるとこから全部見られてるよ」


「マジか……」


 頭を項垂れながらセトは立ち上がると、岩の下の依頼人にゆっくりと手を振った。それを視認すると依頼人は満面の笑みを浮かべ、大げさに手を振り返して来た。


「セトさーん! 釣れてますかー?」


 依頼人の名はカーポ・アビーク。この地方有数の貴族の息子だった。

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