第十四話 出たとこ勝負は大体負ける
ヴァライン大陸の東の果てには青い空と、青い海岸線が広がっていた。
獣族という亜人族がいる。変化前のフウがそうであったように、彼らの顔は獣であったり、鳥であったりし、肉体にはそれぞれの特徴を踏襲している。そしてこの辺一帯は獣族の集落だった。
「この近くに住みたいと?」
森の中。大木の上に作られたツリーハウスは、柱と、床と、屋根だけの簡素なものだった。獣族の家はこういった造りの物が多く、あまり壁が作られる事は無い。それは、風はともかく、雨が凌げられればそれで良いと言う考えなのだそうだ。
集落の長であるクマの顔をした全身が毛に覆われた巨体の獣族に問われ、少し緊張したようにはい」と、返したのはリスベッツだった。後ろにはセトとフウが控えている。
滅多に人族など来ないのだろう。物珍しげに、と言うよりも警戒しているのか、武器を持った獣族の男たちが家の周りの木の枝に腰掛けているのが分かる。
前職がギルドの受付嬢だった彼女は、セト・カンパニー設立メンバー唯一の頭脳派に当たる。それならばと言う事で今回の交渉に駆り出されたのだが、人には得手不得手があるのだろう。なかなか上手くいかないようだ。
「それは構いませんが……」
クマは難しい表情を浮かべていた。
「人族は我々の事を奴隷として扱っていた歴史がありますからね。もちろん、それは現在進行形でもありますが……」
長はチラチラとフウの様子に視線を送りながら言った。
「それは……」
「私個人としましては、異文化を受け入れるのは非常に興味深い。ただ、集落全体の感情を考えると、なかなかお勧めできないのが現状なのです」
要は「お断りします」と、言う事なのだろう。そして勝手に住み着いたら酷い目に遭うぞと言う事を案に諭しているのだろう。ならば、これは交渉決裂だ。リスベッツは額の汗を拭いながら立ち上がろうとした。
その時、セトの口元が「フウ」と動いた。
それに反応してフウがセトに視線を向けた。
「何か?」
「君の立場を教えてあげると良い」
「奴隷の件ですか? かしこまりました」
「奴隷? ふん、やはりその女は奴隷だったのか。恥知らずな」
長は怒りに突き刺さるような鋭い視線でセトを睨みつけた。そして膝は崩し、片手は床に、もう片方の手は自由に動くように膝に置く。次の言動次第で容易く相手に飛びかかる事が出来るように。
「セトさん!」
リスベッツの悲鳴にも似た声が響いた。しかしそんなリスベッツの様子など知らぬと言うように「私は奴隷だった——」と、フウは淡々と話を始めた。
「——いつ奴隷に落とされたのかは記憶にない。子どもの頃から奴隷だったような気もする。私のいた場所は酷い環境だった。殴られ、蹴られは当たり前。柱に縛り付けられ、鞭で叩かれると言うこともあった……」
長は「人間を憎んだ事は?」と尋ねた。
「——ある。殺してやりたいと思った事も何度もある。だが、心が折れるのだ。満足な食事も与えられず、延々と暴力を振るわれ、自分がただの商品である現実を突きつけられる日々。逆らう気力は奪われ、まだ見ぬ自分を買い取ってくれる主人に憧れる。逃げようなどと思わなくなる。例え、拘束が解かれたとしても、私は外に出る事は無かっただろう」
「もう十分だ! この場にいる人族を皆殺しにする」
長が立ち上がった。怒りに震え、固く拳を握りしめる。周囲で様子を伺っていた獣族の戦士たちも中に飛び込んできた。
同時にリスベッツとフウが跳ねるように立ち上がった。しかし、セトは座ったまま「おいおいー。話は、最後まで聞けよー」と、長に向けて静かに言った。
「まだ言うか? そこの獣族の女奴隷。今から貴様を自由にしてやる。こいつらを殺してな!」
「何を言う? 私はすでに自由の身だ。今更、獣族が干渉する理由は無い!」
「何だと?」
「私を育てたのは人族だ。私を奴隷商から買い取ってくれたのも人族だ。奴隷から解放し、名を付け、仲間だと言ってくれたのも人族だ。獣族が何をしてくれたと言うのだ? ただ産み落とし、捨てただけではないか?」
「なっ……」
「私の口から引き出した人族への恨みつらみだけを全面に押し出して、二人に制裁を与えると言うのなら、それは単なる卑怯者のやり方だ。仮にも貴様が獣族集落の長であるのなら、全てを聞き、全てを理解した上で判断しろ。少なくともここにいる二人を害する理由など全く無い!」
「貴様……」
まさに一触即発だった。フウと長は睨み合い、少しでも動きがあれば瞬時に攻撃を仕掛けられるようにと、臨戦態勢を解かない。周囲もその迫力に圧されたのか動こうとしない。完全に膠着状態に陥りつつあった。
そんな緊張した場面にもかかわらず、「なあ、奴隷ってここにもいるの?」と、どこか間の抜けた声が発せられた。
「セトさん!」
リスベッツが懇願するような目をしながら彼を呼んだ。
「いるんだろ? ここにも」
長は握りしめた拳を少し緩ませると「そりゃ、いる。獣族だがな」と、ぶっきらぼうに答えた。人族が獣族を奴隷にしていることに対して怒っているのだがに、自分たちも同じような事をしていると言う矛盾点を突かれたのだ。少しバツが悪い。
長はそこを突いてくるのかと思って待ち構えていたのだが、全く違う言葉が返ってきた。
「買いたい。幾らなんだい?」
「セトさん、やめてください。何であなたはそんな事言うんですか?」
リスベッツは既に涙目になっていた。
奴隷の話で移住を拒否され、ここまでの大事になったにもかかわらず、奴隷を買いたいなどと、そんな神経を逆なでするようなセトの発言を止めようと必死になっていた。
そんな彼女の努力を無下にしながら「良いから、良いから——。で、幾ら?」とセトが言った。
「銀貨十枚だ」
長のその声には明らかな怒りが込められていた。それでもいきなり彼が飛びかかってくるような事はなかった。それどころかゆっくりと腰を下ろす。それを合図としたのか、周囲を囲んでいた戦士たちもその場に座り込んだ。
一気に人口密度が上がってしまったが、居心地悪そうにしているのはリスベッツだけだった。周囲をキョロキョロと見回している。
「じゃあ、十人ばかし用意してくれる?」
「え?」
「子どもが良いな。見た目、性別は問わない。即金で支払うよ」
この男は何を言っているのか。先ほどの怒りはかき消され、長の顔には驚きの表情が浮かんでいた。それは周りの獣族も同じだった。そして皆一様に、次の長とセトのやりとりを待っていた。
「子どもなど、何の役にも立ちませんが? それともあなたにはそういった趣味が?」
子ども奴隷は、孤児や、奴隷の子どもなど、行き先や引き取り手の無い者たちが選ばれる。さすがに重労働をさせられる訳ではないのだが、愛玩用という考えも無くは無い。いつのまにか長の口調も元のものに戻ってしまっていた。
「いやいや、学校をやろうと思ってね」
「学校?」
「教育を施す場所さ」
「教育? それが何の役に?」
「子どもに教育を施す。その子どもが大人になる。大人になった彼らが役に立つ」
「……何の?」
「読み、書き、計算、農業、漁業、経済、経営、料理、洗濯、マナー。これらを手に入れた彼らが、さらに子どもに教育を施す。それを繰り返す。そうすれば、この集落に使える人材が育成されていくと言う話さ」
「そんな、気が遠くなるような……」
「だが今始まらなければ、十年後にも始まらない。その間の十年は無駄な時間だ」
長は考えていた。
時間がかかり過ぎるし、人族は信用出来ない。そして成功した場合のメリットがしっくり来ない。それに対するデメリットはちょっとした土地と、役に立たないと思われていた子ども奴隷のみで、それについては厄介払いにもなる。
「最終的に……。というか、買った奴隷はすぐ解放する。奴隷である必要性が無いからな。フウを見ろよ。彼女も即解放した」
「本気ですか?」
長が言った。理解出来ない。この人族に何のメリットがあると言うのか。
そんな事を思っていると「慈善事業だよ」と、セトが答えた。
「俺らがここに会社を作りたいって言っても、あんたらには過去のしがらみや何やらがあって、感情的には許可したくないんだろ? そんで、その感情ってやつは意外と大事なものだってのが、さっきのやりとりで分かった。だから慈善事業さ」
誰も言葉を発しなかった。長も、周囲の人間も同じく次のセトの言葉を待っていた。
「俺らにとってはデメリットしかないが、あんたらにはメリットがある。子どもの食い扶持を考えなくて良くなるからな。それに言葉は悪いが、要らないと思ってたものが、必要なものになって帰って来るってのは面白い事じゃないか? それに俺たちは冒険者上がりばっかりだ。腕には多少なりとも自信がある。有事には利用してもらっても構わんよ?」
「せ、セトさん?」
会社設立にそんな計画は無かった。ここで農作業を行いながら、様々な加工品を作り、それを販売するのが当初の目的だったのだ。それが、いきなり学校経営になってしまうとは——。
そんなリスベッツを尻目に、長が「土地についてですが——」と切り出した。
交渉再開だ。しかし交渉の主導権は既に、リスベッツにも長にも無い。「農業をやりたいんでね。水辺が良い。ただし海はダメだ」と、完全に主導権を握ったセトが答えた。
「なるほど、我々も雑食性でして。農業についての知識がありませんが、非常に興味があります。その辺は相談させてもらいましょう」
「後は学校なんだが、ある程度の規模が必要だな」
長は「ふむ……」と、顎をさすりながら答えた。
「確かに十人以上の人間が住む為の施設が必要になりますな。家も十軒以上作らなければ——」
「ああ、それは宿屋形式にする」
「宿屋ですか? 泊まった事がないので不安ですが、大人数を一軒の建物に押し込むので?」
「簡単に言えばそうなる。でも、きちんと個人の部屋を用意して、それに共同の食堂や風呂、便所なんかを入れれば問題ないんじゃないか?」
「なるほど。それが宿屋形式なんですね? それなら家を用意する必要もない。ですがどうやって作るんですか?」
長が乗り気になってきた。異文化には興味があるような事を言っていたが、どうやらあれは本当だったようだ。同時に周囲の戦士たちからも意見が飛び交い始めた。
「服が欲しいんだが?」
「狩った獲物の加工が得意な奴がいる。そいつに任せよう」
「武器が欲しいんだが?」
「全く新しいものは無理だが、使い勝手や何やを強化するのは可能だと思う」
「俺は、美味い飯が食いたいんだ」
「それはおじさんも思ってるね。そもそも会社設立の最大目的はそれだからね」
更には長や周囲の質問に、全て完璧な回答を繰り出すセトという存在が大きい。隣でしょんぼりしているリスベッツやフウなど、もう目には入らなくなっていた。
そんな二人ではあったが、自身の交渉力の弱さを痛感したのか、じっとセトと長の話を聞く事に徹していた。しかしただ聞くだけでは無い。次があるなら次に活かす。交渉人として何かしら吸収しようと努力していた。




