第十二話 変態はどこにでも存在する
セトの買ったワンカートンのタバコは既に尽きていた。
この世界には紙タバコがなかった為、パイプを使って吸ってみたりもしたのだが、どうにも強いし、味がきつい。ならば作るか、と思い立ったら即行動するところが彼の良いところだ。
「紙が無い」
また最初から躓いてしまった。
先述したが紙は高級品だ。その辺に売っていたりはしない。そしてタバコも安価という訳ではない。だがパイプがあれば吸える為、その辺に売っていたりする。
売っているタバコはいわゆる刻みタバコである。
タバコの葉を乾燥させて刻んで作り、キセルパイプに詰めて火を着けて吸うという仕組みだ。その為、この世界の喫煙者は皆自慢のパイプを持っていたりする。しかし、セトの求めているのは自身の吸い慣れた紙タバコなのだ。
岩に刻み込む。粘土をこねて利用する。木などの植物をそのまま使う。動物の皮を舐めして使う。などなど。筆記媒体の歴史は非常に長い。その中で最もポピュラーなものはやはり紙だろう。では紙が現代の紙として認識されるようになったのはいつかというと紀元前百五十年ほど前からだという説がある。これが日本に伝わったのは七世紀頃になる。
ではどうやって作るのか。
まず植物の中から繊維を取り出す。紙をすく。脱水、乾燥させる。完成。簡単に言えばこれらの作業工程で紙を作ることは可能だ。しかし、言うのと、行うのとではまるで違う。実際問題、この世界での紙は高級品で広く流通していない。
「さて、どうしますかね」
まずは紙の代用品として香りの良い幅の広い葉っぱを手に入れる。キューバではバナナの葉を巻いてタバコを作るというが、残念ながらここにはバナナは無い。適当なもので代用する。
乾燥していると巻けないので色が変わったくらいのものを使う。形が整えばそのままの形で乾燥していくはずだ。
後はフィルターの部分に羊毛を丸めたものを置き、刻みタバコを中に巻き込んで形を整えると——。
「葉巻じゃねえか!」
いや、当たり前だ。紙を巻いて作れば紙巻きタバコに。葉を巻いて作れば葉巻タバコになるのはごく当たり前のことなのだ。そして紙の代用品に葉を使ったのだからこれはなるべくしてなったことでしかない。しかしフィルターは取り着ける事が出来たのだ。これできつい味からも解放されるはずだ。
「おじさん、何か疲れちゃったわ……」
そう漏らした彼の背には何とも言えない哀愁が漂っていた。
◆◆◆
セトはテントで生活しているのだが、フウとブレンダは安宿に泊まっている。戦闘能力の高い冒険者とは言え彼女らは女性だ。カーポからは小遣い程度の金額をもらっているし、討伐の報酬もある。
それならセトとキヘイはテントで、フウとブレンダは安宿へとなったのはつい昨日の話だ。
「あ、おはようございます」
「ん?」
セトは其の声に違和感を感じた。先に起きたキヘイが朝食の準備をしていると思ったのだが——。
「誰?」
そこにはセトと同じほどの身長にボサボサの茶色い髪、緑のかかった灰色の肌をした筋骨隆々の鬼がいた。鬼と確認できたのは髪の毛の隙間から二本の角が生えていたからだ。
「え? あ。……キヘイですよ?」
「は? 嘘吐くなよ。お前誰だよ? そんなでかいキヘイ知らんわ」
「いや、それが、朝起きたら、体が変わっていまして」
「はあ?」何をバカな事を——。そう思ったのだが、セトは最近似たような事があったのを思い出した。フウの事だ。理由は分からないと言っていたが、キヘイにも彼女と同じ事が起こったのかもしれない。
「昨日、何したっけ?」
「タバコを作っていましたね」
「おじさんの事じゃないよ。キヘイ君、君の事だよ」
「私ですか?」
キヘイは「うーん……」と難しい顔をしていたが、ハッとしたように「セト様に名前を付けて頂きました」と、答えた。
「名前?」
確かに昨日、セトはキヘイに名前をつけた。しかしだからと言って、名付けだけでこんな劇的な変化が起こるとは思えない。しかしここは異世界。何が起こっても不思議ではない。
「なあ」
「はい?」
「名付けって結構すごい事だったりするの?」
「はい、それはですね——」
名付けは神聖なものであり、親がするものである。少なくとも人族はそう考えている。他種族でもそれは同じような傾向にあるのだが、獣族は名付けをしないし、魔物も名付けをしない。
様々な理由はあるのだが、例えば獣族は人口が少ない為、名前をつける必要がない。わざわざ名前を付けなくとも、呼び方次第で簡単に個人を特定する事が可能だからだ。
逆に魔物は数が多すぎる為にわざわざ名前を付けたりしない。いちいち大量に生まれてくる魔物に名前を付けるのは面倒だし、基本的に彼らは使い捨ての生体兵器だ。すぐに壊れることも多い。それなら最初から付けない事で統一している。
実際父親と、母親が誰で、自分が何者なのかを理解している個体は少ない。
「名付けは格上の者が、格下の者を区別する為に行う事です。ですから誰にでも可能という事ではなく、逆に誰にでも名前が付けられるという事でもありません。その為、名前を付けられた者は『強き者に才能を見出された』と、周囲からも尊敬される存在へと変わります」
「それが今のキヘイ君って事かね?」
「分かりませんが、そういう事になるのでしょうか?」
事実がどうかは分からないが、誰かに名前を付けるという行為は、どうやらとんでもない事だったようだ。そして奴隷として働いていたフウに誰も名前を付けなかったのはそういう理由があったのかもしれない。
「まあ、良いや。考えても結論が出ない」
「はあ」
「とりあえず、朝メシ食って冒険者ギルドに行こうか」
「了解しました!」
◆◆◆
キヘイが火を起こしてくれていたのでとても助かる。
つい先日、火を起こす為の頼みの綱である百円ライターのガスが切れた。いまいち魔法を上手く使えないセトは毎回火打石を使って火を起こしていたのだが、これがまた面倒な作業だった。、
藁や木の小枝を集めて、火打石を叩いて着火する。燃え始めたら徐々に大きな木の枝や薪を補充して火を大きくする。上手くいけば十分少々。湿気ていたりすると最悪つかない場合もある。まあ、そう言った時は大人しくリズの店に行ったりするのだが——。
「ベーコンエッグとフレンチトーストで良い?」
「それが何かは分かりませんが構いません。お願いします」
そうは言っても地球のベーコンエッグとフレンチトーストとは別物だ。
ベーコンは角が幾本も生えたイノシシのような魔獣「ワイルドボア」の肉を燻して作ったものだし、卵は鶏の胴体に蛇の頭がついた魔獣「コカトリス」の卵を使う。さらにはこの世界では牛乳を飲む習慣がないので、フレンチトーストは卵のみで作る事になる。どのみちパンはカチカチで食えたものではないので、火が入れば少しは食べやすくなるだろう。
それにしてもバターやチーズまで存在しないのは気に入らない。セトは、溶いた卵にパンを浸しながら、いずれは自分の手で作ってみようと思った。
後は沸騰したお湯に、玉ねぎと、塩のみを放り込んで作ったオニオンスープ。
塩味のお湯に玉ねぎを入れただけだと侮るなかれ。玉ねぎは火を入れると段々甘くなる。そして原形をとどめられなくなった玉ねぎが、完全にスープと一体化すればオニオンスープの完成だ。
「うん、美味い」
「これは素晴らしい料理ですね。ベーコンエッグとフレンチトースト?」
何度も食べているセトには少々物足りないのだが、初めて食べたキヘイは感激の声をあげていた。さすがに今までの食生活が、食生活だったからか、調理されているものを食べられるだけでも嬉しいようだ。
キヘイは何度も何度も「美味い」を、繰り返しながら朝食を食べていた。
◆◆◆
人だかりの中心になっているのはフウだった。その周りに集まっているのはむさ苦しい冒険者の男たちで、あぶれた女冒険者はつまらなそうにおしゃべりをしていた。
「何だ? どうなってるんだ?」
そうなっているとは全く知らないセトが呆気にとられていると「やあ…………。君、おはよう」と、ブレンダが声をかけて来た。
セトは「お前、いい加減に俺の名前覚えろよ」と、文句を言った後に「——で、これどうなってるの?」と、尋ねた。するとブレンダは、一瞬セトの後ろのキヘイの姿にギョッとすると「ああ、フウだ。男どもが鼻の下を伸ばしているんだ」と、答えた。
「フウ?」
「そう、フウだ。腹が立つ事に彼女の容姿がその辺の男どもの琴線に触れたのだよ」
「どういう事?」
「キリッとした顔つき、長く美しい灰色の髪、白い肌。宝石のような金色の瞳。薄い桃色の可愛らしい唇。顔は小さく、背は高い。出るところは出て、引っ込むべき部分はきちんと引っ込んでいる。まさに完璧なプロポーションだ。男どもが騒ぐのも致し方ないな」
「マジか……。解説ありがとう」
「どういたしまして。ところで、彼は?」
ブレンダは怪訝そうな顔でキヘイを見上げた。
現在、キヘイの背丈はセトと同じくらいなのだが、ブレンダよりは大きい。自然と見上げる形になるのだ。
「キヘイ君」
「劇的な変化だな。ゴブリンどころかオーガじゃないか」
森の小鬼がゴブリンなら森の大鬼は「オーガ」である。ゴブリンの突然変異種とされており、ゴブリンよりも圧倒的に高い戦闘能力を秘めている。さすがに一般冒険者では相手にならず、数人がかり、もしくは黄金級以上を招集しての戦いになるという。
ただし、滅多に変異する事はなく、変異直後も体が慣れない為か結構簡単に討伐する事が出来る。黄金級以上を招集するのは変異してから時間の経った個体相手となるだろう。一応の討伐ランクは黄金級である。
「まあ、良いじゃないか。それより、フウ!」
フウはセトの呼びかけに「はい、セト様」と、答えた。
一瞬にしてギルドホール内の全ての声が消えた。そしてモーゼの海峡渡りのように集まっていた人だかりが左右に分かれると、中心にいたリリィアが「セト様、こちらです」と、軽く手を振った。よく見ると何故か彼女は、四つん這いになった人間の腰辺りに座っている。
「大丈夫だったか?」
「ええ。こちらの方々がお話し相手になってくれましたから」
その場にいた全員が一斉に目を逸らした。絶対にセトと視線を合わせてはならない。皆、本能レベルで理解していた。
「そうか。それは良かった」
「はい」
「——で、君は何をしているのかな?」
人間椅子となり、リリィアに座られている青年は、頬を赤らめながら「あなたの恋人の座り方は、実に気品に満ちている」と、自信満々に答えた。
瞬間「ちげーよ」と、セトの蹴りが彼の顔面を捉えた。奇妙な悲鳴と共に、青年の顔が勢いよく反対側に向いたが、それでも彼は人間椅子の体制を崩さない。
慌ててフウが止めに入った。
「大変申し訳ございません、セト様。私がセト様の恋人などと滅相もありません。この方は勘違いしておられるだけです。そしてこの方が『俺に座って下さい』と、おっしゃったのです」
「はあ?」
「美しい人。私をかばってくれるのはとても嬉しい。だが、私は——」
もう一撃。ヒグマの頭を蹴り飛ばした蹴りが飛ぶ。
フウが飛び降りると青年はそのまま床に倒れこんだ。それでも尚、彼の表情は恍惚に満ちていた。そして何よりも、フウが降りるまで椅子の体制を維持し続けたという事実。紛れも無い、彼は——。
「何、この変態?」
そう呟いたセトは青年の事をまるで汚物でも見るような目で眺めていた。




