第十一話 壊れた感覚
ゴブリンは人に対して憎悪を持っている。原因は無い。理由もない。誰かにそうプログラミングされたように情景反射的に人を襲う魔物なのだ。それ故に、数を稼ぎたい冒険者にとっては狩りやすい討伐対象であったが、出会いたくも無い一般人にとっては厄介この上無い魔物であった。
その小さき者は、生まれた瞬間から発生するであろう、人に対しての、怒りも、憎悪も持ち合わせず、あまつさえ憧れに似た感情などを孕んでいた。それ故に疎まれ、一族の欠陥品と罵られた。集落を追われ、同種に狙われ、他種にも狙われる生活が一年も続いた頃、彼はようやく自身にとっての王を手に入れた。
リズの酒場は今日も賑わっていた。しかしいつもと違う部分があった。
それは——。
「魔物が酒を飲むなんざ、この店どうかしてやがるぜ。店主も魔物か?」
酔っているのだろう。フラフラとした体の大きな冒険者が口汚く罵った。途端に「訂正したまえ」と、しわがれた声が響いた。
「あぁん?」
「魔物は、ゴブリンである私だけで、店主はただの人間だ。そしてこの店は何も悪く無い」
どこからどう見てもゴブリンだ。少々背丈は普通のゴブリンよりも大きいが、緑色の肌に、鋭い牙、凶悪そうな顔つき。そのどれにもゴブリンの特徴が表れているが、彼はどことなく人間に近いものに感じられる。更に彼は流暢に人間の言語を話し、しっかりとした防具まで身につけている。正面から見なければ、冒険者でも通じそうな気もする。
「うるせえよ! 魔物が人間様の店で飲み食いしてるのが気に入らねえんだよ!」
「何だ、そんな事で怒っているのか? ならば私が出て行く事にしよう。君はゆっくりと飲んでいると良い」
ゴブリンは「ふぅ」と、小さなため息を漏らすと、立ち上がって「お勘定を」と口にした。途端にリズが飛んできた。
「え? もう、帰っちゃうの?」
「ああ、この御仁は私の事が気に入らないらしい」
「あそ。じゃあ、そこのデカイやつ。さっさと出て行きな」
「はあ?」
とっさの出来事に、その場にいた全員が口を開けて呆けていた。
「金を払う人は客。金を払わないのは客じゃない。こっちのゴブリンさんはきちんとお金を払うんだろうけど、あんたはどうなの? 今日までのツケ、結構溜まってるんだけど?」
「お、おい。……そんな理由で、魔物の味方をするのか?」
「うん。何故、味方してもらえると思ったの? 人間だから? まずはツケを返しなさい。そして今日の分のお金を払いなさい。そしたら私は中立になるから」
「こ、この女あ——」
金を払っても中立と言われてしまってはどうしようもない。怒りに震えながらリズに向かって冒険者が手を伸ばした瞬間「——やめないか」と、手を払ったのはゴブリンだった。
「いたいけな少女に、手をあげるとは何事か!」
それはまさに、少女を守る為に悪漢に立ち向かう紳士の発する言葉だった。これがゴブリンでなければ、どれだけ絵になる光景であっただろう。しかしながら、現実は全く違う。狩られる者であるはずのゴブリンが、リズを守る為に狩る者に対して立ち向かっているのだ。
周りの冒険者たちも黙っていた訳ではないのだが、一様に困惑の表情を浮かべていた。普段は倒すべき相手であるゴブリンが正義を語り、その正義に対して自分たちの仲間である冒険者が暴力を行使しようとしているのだ。これでは、どちらを応援したら良いのかいまいち分からない。
「この魔物風情が!」
冒険者が怒りの拳を振り上げた瞬間だった。
「よお、俺だけど空いてる?」
セトが来た——。
波が引くように、冒険者たちは席に戻り、貝のように口を閉ざし、音を立てないように努力する。しかし、タイミングの悪いセトの登場について行けなかった当事者の二人は、にらみ合ったまま動けないでいた。
「ケンカですかね?」「ん? そうみたいだな」
セトの後に続いて店に入って来たのはフウだった。更にその後ろにはブレンダが続く。
三人が登場してもなお、二人の睨み合いは続いていたのだが、実情は、引くタイミングを逃した冒険者が動けなくなっているだけである。ゴブリンの方は、周りを囲んでいた冒険者たちが席に戻ったことを不思議に思っているのだが、目の前の敵が動かないのでどうしようもないという状況だった。
「いらっしゃいませー! カウンターどうぞー。ゴブリンさんも座って」
「ゴブリン? さん?」
セトは昼間のゴブリン討伐を思い出した。そして辺りを見回すと、睨み合っている内の一人がゴブリンでは無いか。
「チッ——。命拾いしたな」
大柄な冒険者はそのまま金を払わずに出て行こうとしたがセトに腕を捕まれた。
「金」
「……はい」
ツケと今日の分の支払いだが、足りなかった分は武器と防具で立て替えた。おかげで冒険者は、裸同然の格好で外に放り出された。
「へー。……良いゴブリンなのか?」
「ゴブリンに、良いも悪いもありませんよ。良いゴブリンなんてのは、換金出来る死体だけです」
「何だ、冗談も言えるのか? だったらもう一杯飲めよ」
「いや、もう——」
「良いから、良いから——」
遠慮というよりも、限界スレスレの状態のようだ。しかし、それに追い打ちをかけるようにセトが酒を注いだ。
「何で、人族の街に?」
「恥ずかしい話ですが、人に憧れているのかも知れません」
「ふーん?」
「我々の理性は最初から死んでいます。人は殺すもの。雌は奪い犯すもの。……ああ、女性陣を前に失礼しました」
ちらりとフウとブレンダに視線を送り、ゴブリンは小さく頭を下げた。ブレンダは「気にするな」と、だけ答えた。
「人間には理性がある。知性もある。本能に任せて衝動的に動いたりしない。全員が全員そういう訳ではないのかも知れませんが、ゴブリンはほぼ百パーセント最初から壊れていますからね」
「いや、壊れてるのは多分お前の方だぞ?」
「そうかも知れません。種全体から見れば、私は壊れているのでしょう」
「俺も壊れてるけどな」
セトは「ハッハッハッ——」と、笑いながらワインを飲み干した。
「私は、そうですね。……人間に、なりたいのかも知れません」
「人間にか? それって憧れ拗らせ過ぎて、悪魔になりたいって言う中二みたいなもんじゃないか? 『俺の右腕に封印されし——』とか、眼帯して『邪眼が——』とか——」
「表現は良くわかりませんが、憧れを拗らせているのは私も同じですね。ですが、私のような者は、ゴブリンとして生きづらい」
「まあなぁ。……かといって、人としても生きられんだろう?」
「その通りです。冒険者ギルドに登録するのも一苦労でした。何しろ名前がありませんからね。『ゴブリン』で、登録はしておきましたが……」
なるほど。どうやら魔物には名前が無いらしい。と言うことは獣族同様に適当な呼び方をしているのだろう。
「で、今後は?」
「冒険者として活動しながら、人間になる方法を探します。なれるなら、亜人でも構いません。別に亜人を下に見ているのではありませんが、単純にゴブリンである自分が嫌なので、ゴブリン以外なら何でも良い気がする」
「なるほどね。じゃあ、ノープランだよな?」
「え? まあ——」
「じゃあ、ここにサインを——」
「あ、はい」
ゴブリンは言われるがままに書類に名前を書こうとしたのだが、ふと自分には名前がない事に気付いて手を止めた。と、同時に脇で飲んでいたブレンダも彼らのやりとりに気付いた。
「お、おい!? 君は、何をしようとしているんだ!?」
「え?」
「そのゴブリンを社員に迎えるつもりなのか? という、ことだ!」
「ダメなのか?」
「いや。それは。……うーん……」
ブレンダは考え込んでしまった。フウの件から奴隷は登録不可なのは分かるのだが、魔物はどうなのだろうか。いくら紳士的ではあるといえ、彼はいわゆる怪物なのだ。昼間もそうだったが、駆除される側なのだ。
「分からん……」
ブレンダは力なく答えた。
——後日、役所に確認したところ「魔物で? ゴブリンですか? いや、まあ、あの。……突然変異の可能性もありますし、知性があると確認出来れば。……奴隷や、家畜では無いのでしょう?」との解答だった。
駆除の対象である魔物が良くて、人間であるはずの奴隷がダメというのはなかなか理解しづらいのだが、基本的に奴隷には市民権が無いらしい。「無い」と言うと、弊害があるのだが、奴隷はそう言った一般市民が行使できる権利を剥奪された状態らしい。その為、会社設立のメンバーとして署名が出来なかったのだ。
所員の回答に対し、ゴブリンは「確かに私はゴブリンではありますが、知性の判断とはどうすればよろしいのでしょうか? 狩りや、体を動かす事には自信がありますが、読み、書き、計算は少し苦手なのです……」と、流暢な人語で答えた。
役所の所員は引きつった笑みを顔に貼り付けていたが、すぐに「もう、構いません」と言った。しわがれた声ではあったが、これだけ流暢な人語を操る存在に知性がないとはとても言えなかったからだ。
セトはこうして四人目の人材を獲得した。
残るは後一人なのだが、脳筋ばかりが集まってしまった。最後の一人はせめて頭脳派が欲しいのだが——。
「——忘れてた」
セトはポンとゴブリンの肩を叩いた。
「お前の名前は『キヘイ』だ。よろしくな」
それは日本にいた頃に見ていた、時代劇ドラマに出てくる登場人物の名前を少し変えたものだった。ゴブリンが森の小鬼と呼ばれているところから連想した。それにゴブリンだから「ゴブキチ」とか「ゴブオ」と付けるのには抵抗があった。
「私の? 名前? ですか?」
「ああ、いつまでも『お前』とか『ゴブリン』って呼ぶのもアレだからな。それにもう、仲間だしな」
「仲間。……ありがとう。……ございます」
「おう! 頑張ろうな!」
集落を追われ、同胞から命を狙われ続けた小さき者は、こうしてキヘイという名と、仲間と、自身が忠誠を誓う為の王を手に入れた。そして悲しい時と同じように、嬉しい時にも涙が流れる事を彼は初めて知ったのだった。




